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2023年の総括的な話

こんばんは。
一年の総まとめ日記と言えます。長らくチミチミと書きつづけてこんな長さに。

もちろんこれは、来年以降の私に向けた記録です。
キング・クリムゾンのスタンド能力説明の方がまだわかりやすいので、あえて読む益はございません。

他の方が読む配慮はされていませんが、公開にしておくならせめてもと、最後におすすめの本を3冊選書しました。おかげでさらなる大長編となり申しました。

正月休みがないので、年末年始の出勤タイムには、「2023年買って良かったモノ」記事を書いて楽しもうと思います。


2023年は変化と制限の年

毎年、変化といえば変化は起きるのです。
世の中といたしましては、私に全く関わりないし興味もないけど、ふんわり「巨悪」と認識していたものがいくつも退場していく年でした。正直驚きました。

大きくて遠くの変化の後には、小さくて身近な変化が起きると相場が決まっているので、我が環境の悪しき権力も、これから駆逐されるんじゃあないか、と期待しています。

ワタシ個人としては、体調の面でも、社会的な面でも、精神的にも、変化が大きかった年だなぁ、と振り返ります。

その三つの区分から、振り返っていこうかと思います。
そして最後に、今年の自分に最も影響を与えた3冊のBookを、吟味に吟味をかさね、自分との審議という審議を重ね、選び抜き、コメントいたします。

体調の変化

婦人系の調子
去年から、PMSを和らげるために通院、服薬しています。生理が来ないようコントロールする薬です。
生理によるメンタルの影響は受けない方ですが、腹痛に来るタイプでした。
特に排卵日は、起き上がれず脂汗かくほど痛い数時間がありました。
それでも、器質的にも病気的にも何もないと診断されるのだから、どうにかしたいと思っていました。

服薬を始め、休薬期間以外は生理に関することに悩まされることはなくなり、QOLが上がりました。お金が続く限り、この対策を講じたいと思います。

ただし、人間のバイオリズムに不自然なことをする薬なので、寿命を縮めてる感は否めません。
まあ世のため人のために何も成さぬ人生なので、長く生きる必要はございません。
長く生きるというのは、100歳を前にした、病少なく存命の四人の祖父母を見ていると、祝福でもあり呪いでもある、そう感じます。

胃腸の調子
食生活が大きく変わりました。
今までは、好きなものを好きなだけ食べていましたが、夏頃から、小麦を受け付けなくなってしまいました。

腸が弱いのはもともとなので、薬と付き合いながら半ば諦めていました。
ところが、今度は、強かった胃が音を上げ始めました。胃が痛くなったり、胸焼けがしたり、逆流感があったり。

焦った私は、食べたものの日記と体調の記録をつけ始めて、どうやらパン、パスタ、そうめん、うどんなどを食べるとお腹の不調を数日引きずるらしいと突き止めました。
お腹の調子が悪くなると、やわらか…く煮たうどんを食べて養生するようにしていたので、なかなか治らなかったのも、自分の体質では頷けます。

今は、どこかが悪いと、モノを食べないようにして回復を待っています。猫だってそうしてますもんね。
どうやらそれが今は世の中のスタンダードのようですね。

物心ついた頃から、体調が悪くなると「食べなきゃ治らない」と無理くり口に押し込まれていたのを、ものすごい理不尽なことだと思っていました。
体は「いらない」と言っているのに、無理やり食べさせようとしてくる親たちを、悪魔のように感じていました。

その親も70近くになってようやく、必ずしも「食べなきゃ治らない」「毎日3食必ず食べないといけない」わけではない、と気づいたようでした。
親方日の丸の学校教育の世界で、給食食べながら何十年と生きてきた人たちなので、「とにかく食べる」が当たり前で正義だったんでしょう。

また、テレワークが減り、残業が続くようになったので、夜ご飯を食べなくなりました。
食べてしまうと、次の日の朝に体が重かったり、お腹が痛くなりました。野菜ジュースや梅湯あたりに抑えておくと、次の日は体が軽くて爽快です。

とはいえ正直、毎晩、豪勢なコンビニのお弁当や丼やパスタ類を、ワクワクしながら選んで、楽しくおいしく食べて、ろくに消化もせずにベッドに潜り込めていた時の方が、何十倍も、いや、何百倍も幸せでした。

体が辛いことの原因をひとつひとつ推論して取り除いていっても、また新たな不調が生まれて、また新たにできないことが増えて行くことの繰り返しです。
2023年はまさに、その試行の年でした。

自ら死なずに、生きること。
これって、とても難しい課題です。

体各所の衰えによって、それに気づいた2023年でした。

社会と仕事の中でのわたし

2023年は、新たに勉強を始めた歳でした。
仕事内容と被る分野の勉強だったこともあり、達成感のないまま、いつ間にか分かってる、いつの間にかできてる、というようななんかスッキリしない上達だった気がします。
しかも、天井が見えないし、先を行く人は神のように見えるから、全く進んでないし、進化もしていないと言う感覚も、同時にあります。

目に見えるモニュメントが欲しいので、来年は資格を取ろうと思います。

また、例えれば、大工さんだったところから、現場監督のような仕事内容に変わりました。

転職してからは、「人が嫌いだし、人付き合いが苦手で話し下手だから、絶対に作業者としてキャリアを続けて行くんだ!」という思い込みがありました。

しかし、人が嫌いというのは思い込みだし、人付き合いが苦手でも、話が下手でも、業務はできることがわかりました。

そういう仕事を選ばないことで、人付き合いが苦手で話し下手な自分を認識して、「自分ほんまクソカス!嫌い!」となる率を下げたかっただけなんです。
自分自身で、「人付き合いが苦手で話し下手な自分🟰クソカス」の方程式を組んでしまうことをやめれば、そんなに辛くないことがわかりました。

話が精神ぽくなってきたので、三つ目のテーマに。

精神の変化

内省の時間が増えました。
仕事を円滑に回そうとする中で、失敗が何度かありました。
不快な気持ち、特に、自分を必要以上に責めた時や、「何よ!」のような、他人を責める気持ちが起きるたび、自分と向き合いました。

ほとんどの不快な気持ちを引き起こす原因は、自分の中の何かだと気づくんです。上手く言えないけど。

誰さんがああだからとか、誰が言った・やったとかはほんとうに関係なく、全部自分の中に「なぜそう感じるか」の根っこが見つかるのでした。

上手く言えないけど、
相手が、私にとってこういう良くないことをしている、逆に、して欲しいことをしてくれない、または、欲しくない言葉を言ってくる、逆に、欲しい言葉を言ってくれない、というときは、自分の内側を掘り下げて行くと、自分の中に答えがありました。
かなりカッコ悪くてみっともなくて、見たくない自分がいました。自分を責めているわけではなく。

相手、というぼんやりした言い方になるのも、当然です。
たまたまその人が自分にとって都合の悪い役割を偶然負ってくれてるだけなので、自分以外の他者、という認識で良い気がします。

「あの人はああいう人だから」、という自分の慰め方をよくしていましたが、「ああいう人」というのは、象徴です。
たとえ避けたり逃げても、顔を変え姿を変え関係性を変え、人生に何度も立ち現れてくる、私の課題そのものです。

自分の歪みに向き合って解決しない限り、「そういう人🟰課題」は何度だって現れるんだな、とわかりました。

ただし、地獄なわけではありません。
むしろ人間関係は今までの人生にないくらいに穏やかで平穏なので、だからこそ、些細な波が気になったのでしょう。
だからこそ、落ち着いて自分の中に潜ることができました。

この論法を使ったことで、毎年11月〜3月までの冬の恐怖、これがいつもよりとても軽いんです。
ポジティブなこと書くとまた怖いことが起きそうなんでこの辺にしときますが、自分の心って、開ければ開けて行くほど世界の見え方が変わるな、と思った象徴的な出来事でした。

唯物論的わたしのせかいの崩壊の始まり
永らく、死んだら「わたし」は終わると思っていました。早く生きて、死んで、消えたいと思っています。

しかし、もしかしたら、死んでも終わらないかも、というところに知識が寄ってきています。

苦しみをどんだけ背負っても、他人にどんだけ無体を働いても、死んだら御破産してくれる、て思っていたのに、ずっと背負ったままなのは辛い。

なら、苦しみを解剖したり、なぜ苦しいのかを知ることは大事かも思い始めました。

そして、改めて善良でありたいと思うようになりました。

犠牲的であるとか、献身的であるとか、そういう意味ではないのです。
(もちろん、そうあるべき、と思った自分を裏切ると後で苦しむので、なるべくはそうありたいですが。)

朝起きて陽の光を浴びて、散歩をして、仕事をして生きるためのお金を必要なだけもらって、できる範囲の勉強を続けて、少しの食事をして、夜はよく寝ることとか、そういう意味の、善良です。

そして、必要以上に他人について考えない、意識を飛ばさない。他人を呪わない。
他者と共生できないなら、せめて孤独と手を取り合い親しむこと。

これが私の器でできる最大の善良さと、今生の私がなんとかこなせる課題だと思います。

体調の話と同じように、また、一つ解決してもまた次の一つの問題が生まれてきます。
「善良であること」という軸をブレさせずに、卓球玉のように飛んでくる諸問題に向き合う、それが私の2023年の精神でした。

2023年を象徴する本3選

本、と言いつつ蓋を開けば漫画です。なんだよ漫画かよ、頭使って本も読めよと思われるかもしれませんね。なかなかどうして、文字だけを追うのがしんどくってねえ。ヘヘェ。

※ネタバレを含む可能性がありますので、ご注意を。

①ジョジョの奇妙な冒険シリーズ

第5部、6部は、少年ジャンプ現役読者の時に読んでいて、第一部は学生時代に読んでいるので、大枠は知ったつもりでいました。
ジョースター家と、その血のつながり、親子の話。

此度、懐かしの第6部『ストーンオーシャン』がアニメ化されるということで、第一部から順番にアニメを見ました。すると、再度どハマりしてしまい、漫画も買い揃えつつあります。
岸辺露伴もアニメと漫画とドラマを見ました。ドラマも味があっていいですねえ。

「人間讃歌」がテーマだと言われているように、人間の生きる気力とか、悪意を挫くために立ち上がる意思とか、生命の躍動が素晴らしいです。
こんなやつ絶対に勝てねえだろう…どうやって勝つんだよ…と読んでるこっちがハラハラして目を背けたくなるような強敵にも、諦めずに戦うところなんて、少年漫画の王道だと思いました。
特に第3部なんて、正直、「あんたそんな理由でいつ死ぬともわからない旅に出るのか!?」と言いたくなる謎の動機なのに、一歩も引かず戦い切る奴らの姿には漢を感じました。

そうです、ジョジョシリーズは、普通なら諦めて流してしまうようなところで、深い義憤を抱えている人がよく出てくるのです。理解できるようで、生ぬるく生きている自分には絶対に理解できない気高さがあります。
第六部のジョルノ・ジョバァーナにしても、ブチャラティにしても、根っこは、マフィアのばら撒く薬に未来を侵される子どもたちを救いたいというところから出発しています。

女子としては、イチオシなのがやっぱり「ストーンオーシャン」です。完全に巻き込まれ型だった徐倫が、戦う覚悟を固めていくところが見ものです。強い心のエルメェスもかっこいい。古代ローマ闘士みたいなミニスカアナスイ(♂)も、まあカッコいい。
ジョジョ男子は股間の守りが心許ないですよね…カーズとDIO様筆頭に…。

あとは、敵の若干弱い焦りメンタルが見られるところがまた、ジョジョシリーズの楽しいところです。
第1部と第3部で暴虐の限りを尽くすDIO様ときたら、煽りに煽って、焦りに焦って、読者の心を掴みまくりだったのではないでしょうか。承太郎に頭を打たれて「このDIOが気分が悪いだと!?」と愕然としているところが、う〜ん…。たまりませんな。
第4部の吉良吉影も最高です。【吉良吉影は静かに暮らしたい】というサブタイトルなんて、おててとラブコメする彼らしくて至高じゃあありませんか。ライトノベルのタイトルセンスに影響を与えた大元なんじゃないかと思ってしまいますよね。静かに暮らすために並々ならぬ小さな努力を維持している姿には、皆少なからず自分を重ねちゃうんじゃないでしょうか。
第6部のプッチ神父も忘れちゃあいけません。焦ると素数を数えちゃうという雑魚設定がまた、可愛らしいですね。汗ダラダラかいて、泰然としたふりして、内心、どうしようどうしようどうする自分!?とやっているところが、親しみ湧きますね。
逆に言うと、どんなに強い能力を持っていても、慢心しないということ。頭が下がります。

②王様達のヴァイキング

今年の前半に夢中になった漫画です。ハッカーって、一度は憧れますよね。高校生の私は、黒い画面でよくわかんないの打ってるのが、なんかかっけ〜って思っていました。
なお、その憧れが根っこにあったせいか、わたくしの今の仕事も、黒い画面で今や誰もが良く分かってるやつ打ってる仕事です。「誰でもできることを仕事にしている自分」に落胆していると気づいた時、己の傲慢さに気づいて嫌になったものです。きっと、他者に「すごい!」と思われる仕事をしたかったのでしょう。
この漫画を読んで、そんな嫌な自分に気付かされました。

ハッカーといえば、『アノニマス 〜“ハッカー”たちの生態〜』が有名ですね。
日本だと「ブラッディマンデー」とか。能力の高い主人公と、テロとか謎解きとかアクション的なところに魅力があったかと思います。

この漫画は、コンピューターに関すること(厳密に言うと、数学あるいはアルゴリズムでしょうね。そのアウトプットがたまたまプログラミング言語とかなだけで。)だけめちゃめちゃできるけど、めちゃくちゃ社会不適合な主人公が、コンピューターを通して社会や人と関わっていくという成長物語でもあります。もちろんテロもありますよ!

主人公は、精神科にかかればなんらかの障害があると診断されるようなメンタルだと思われます。初めは善悪の判断力も乏しく、社会への鬱憤を晴らしたり、ただ目の前の問題や敵をぶっつぶしたい、という衝動でクラッカー的活動をしていました。

しかし、パトロンともメンターとも、父親とも言える存在と出会い、コンピューターへの深い理解を、特性として活かすことができたので、徐々に人生の進み方、ホワイトハッカーとして、自らの道を選んでいくようになります。
そして、怖いけど、人と関わることをやってみる、困っている人を助けることで、人を知りたいと思う気持ち、人を大事に思う気持ちも、知っていきます。

なにか大きく欠けたものがありつつ、大きな光を抱える1人の少年が、大人達に尻を叩かれ見守られ、成長していく姿はなんとも感動するものがありました。

正直、パソコンさえあれば大抵のことは解決できて、苦手なことは他人にやって貰えば済む、そのくらいの高い技術力はある子です。
それでも、自分にとって怖いと思うことを、苦手な、人との関わりを勇気を出してやる。
その姿に、私も勇気づけられました。

③ちいかわ シリーズ

初見では良さがなにひとつ伝わらないんですよ。
何回か読んで、ようやく、なんよくわかんないけど惹きつけられる、と気づく不思議なまんがです。

この世界について深く考えると辛くなりそうなので、表面の可愛さを愛でて、癒されようとしています。

大人になって隠してしまったピュアな心とか、キッズの心を思い出させてくれる、なんか軟いところを突いてくるんです。

正直私は、4歳以前からの記憶がかなりハッキリ残っている方で、その時の気持ちや行動とか思考も結構覚えてる方です。
そこから思い出すに、私にピュアな時期などなかったような気がします。物心ついた頃から物事の裏を推測って、計算高くて、底意地が悪くて、卑怯で狡猾でした。
素直じゃないね、とか、ずるい子だとか、先生とか親とか、知らん大人にすごく嫌がられていました。

だから、本などで、「子どもはピュア」だとか「純粋」と書かれているのを読むと、ああ、この著者は子供の頃の記憶がないか、本当にピュアだったんだろうな、と思います。

※私個人としては、体と心が望んでることを素直に表現できることをピュアとして捉えています。正しくはどういう状態を言うのかは、知らんです。

そういう意味で、ちいかわは、私の生まれながら損なってしまった純粋さを、体験できる貴重な本でした。
だから読むと泣きたくなるんですよね。
私が生来的に失ってしまった魂のピュアさとかを感じられるから。

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