見出し画像

たのしい気持ちと並走するざわざわ

今日は雨で、今日は夕方の珍しいこの時間ですね。まだ3時、夕方午後3時です。

昨日、夜中に5回目のしゃべり日記を一度アップしたんですけど、取り消して削除しました。あまりにもヘラヘラしすぎだったので、自分で嫌になって削除しました。

何を話したかっていうと、今の心境をちょっと綴ってみたんですが、今日、今、もう少し本当にヘラヘラせずに、きちっと伝えたいと思っています。

音声配信は、stand.fmというところで、1年半くらいやっているんです。なんとかかんとかやってこれているんですけど、約5日くらい前、1週間くらい前にLISTEN、こちらを見つけて、使いやすさと、それから、ポッドキャストをテーマごとにいくつか分けて作っていくことができるっていう、この形が好きで、アイコンが可愛くて、耳の形のアイコンですね。そういったいろんな、これはいいなと思って、はじめました。

『しゃべり日記』LISTENにて

https://listen.style/p/syaberrydiary

一週間ぐらい経った今の心境を残していこうと思います。

一言で言うと、なんかすごく、たった5日間だけなんですけど、ものすごく、心が乱れています。心が乱れているって言うと、ちょっと漠然として、それは一体どういう意味?いいの?悪いの?って感じですけど、両方の意味において、心が乱れているという感じですね。新しい職場、新しい学校、新しい住まいとか、そういうもの、何か環境が新しくなると、ちょっとザワザワする。心がいろんなものに期待をしながらも、新しいものに自分を慣らしていく時に起こる、ザワザワ感に似ているかもしれない。

なんですけども、楽しいという気持ちがとても大きくて、楽しいっていうのは、何か遊びに行って、旅行をして、そういう楽しみとはまた違っていて、苦しみも少しあるんですよね。
苦しみって言うと、悪い印象を持つかもしれないけれど、その苦しみは多分、ちょっと鍛えられているっていうことなのかなって。

ちょっとですね、リアル日記の方をちょこっと刺し込みたいと思います。

この世には私しかおらず、私が消えれば世界も消えるんだし、みんなお面をかぶって他者の役目を果たしているけれど、その他者は私なんだと思って。でも、中でも本物中の本物であるこの私、この私の言動しか私の人生を左右できない。

とか書いてるんですけど、リアルに合う人の数を遥かに超えた、こういったネット上の人たちからの刺激に、ちょっと当てられているっていう状態なんですよね。

その人は他人のお面をかぶっているけれど、本当は全部自分が自分としなかった自分が他者で。
全員自分なんだ、でも私は今のこの自分を選んで、選ばざるを得ないのかもしれませんけども、それで生きているだけで、自分よりもあの人すごいなって思う人も、本来は自分がそうなれた可能性のある人、でも自分はそれを選ばなかった。
だから他者がそれを生きて自分に見せてくれているとか、逆もありますよね。
自分が苦手だなと思う人であっても、それは本来自分が選ばなかった自分であって、ただその人はそれを演じて、それを生きて見せてくれている。
だから全員自分なんだ、と思ったとしても、そんな多くのことは変わらないかもしれないけれど、
そんな風に思うと、確かになっちゃう自分が今、好むと好まざるに関わらず選んでいるこの自分というものを、もう少し愛してあげてもいいのかね。
大事に、そういう個性なんだね、そういうことを言うんだね、そういうことをするんだね、というふうに捉えて。
そしてその上で、例えば今だったらこのポッドキャストを楽しむ、私が好むと好まざるに関わらず選んだ自分という人物、“わたし”でポッドキャストをすればいいんだって思って。
この人の話はすごいな、面白いなって思うんであれば、その人は自分が選ばなかった、自分がならなかった、そうはならなかった要素をその人が私に見せてくれている。
そう思うと、いちいち自分と比べたりして、変な気持ちにならなくてもいいのかなと思っているところですね。
なんか、1年半ほどスタンドFMの方でおしゃべりをしてみて、人のも聞いて、交流も少しして、やって1年半ぐらい経って、自分はやっと慣れてきているのかなと思っていたんですけど、
このまた違うプラットフォームというか、違う場所に来て、今感じていることは、そういうことでした。
これからも楽しんで、聴いて、話して、関わっていきたいと思います。

今日は節分の日。豆まきはしないけれど、気持ちの中では、鬼は外、邪気は外、邪は外、福は内、愛は内、感謝は内。
そんな感じで過ごして、明日は立春ですね。私は立春の方が気持ちが引き締まるし、お正月のような新しい年に向けてっていう気持ちになるのが立春の方が強かったりします。

では、ここまで読んでくださってありがとうございました。
しゃべり日記、“えぬ”でした。

やってみたいことが「やってみる」に出来る仕組みが増えてきています。 わくわくは特別なことではなくて、平常になりつつあります。 あと一歩。 あと半歩かも知れません。 あなたが背中を押してくれるなら。誰かの半歩が他の誰かの背中を押します。 連鎖の中で歩んでいきたいです。