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私ができること。

屁理屈

街で見かける募金を募る人たちを見て、ふと考えてみた。いろんな活動があるけど、私が「おっ、応援しよう!」と思えるのと、思えないものになにが違いがあるのだろう。

支援はしたいけど、援助はしたくない。

これはニュアンス的なとらえ方の違いなだけだと思うけど、誰かを、何かを、応援したい。前へ進むための環境つくりなどの支援はしたい。

でも、援助はしたくない。

屁理屈のようだし、文字に起こすと自分がさらに卑劣な人間に思えて来るが、、、例えば、

進学できるように学費を募金する。→これは私の中では援助。あまり好きではない。
自身が働きながらでも学べるように、学校側の制度を整えるとか、環境を作るために募金する。→これは私の中では支援。ぜひ行いたい。

きっと私の意地が悪いんだろう。

私自身、片親で親の収入が安定していなかったため、高校から学費は自分でアルバイトをして稼ぎながら学校に行った。生活費も足りなくなったときは家計を支えるためアルバイトを入れすぎて疲れ切ってしまい、遅刻が増え、このままでは留年するぞ。と担任に呼び出されたりもした。

世の中の制度や施設などは知らなかったし、ただ毎日を過ごすだけで精一杯だった。それでも留年はしなかったし、今は大卒の人と同じ企業に入って、それなりの生活もできている。

振り返ると、這いつくばっていた時代が一番しっかりしていたと思う。(笑)その底力が今も私を支えている。それに気づけた私は幸運だ。

援助の裏には、「かわいそう」という感情が隠れている気がしてしまうが、決して「かわいそう」ではない。

ただ、本来なら気にしなくていい事を気にしなければならないので、チャンスに気づけなかったり、知識が少なかったりしてしまうだけだ。

だから、「かわいそう」ではなく、当事者の底力を信じて、知識を得られるように、チャンスを見逃さないように環境を整え、這いつくばってでも前へ進めるように支えてあげるのが大人の役目と思ってる。

なぜ私は底力を出せたのか

私の父は夜から明け方まで働いていたから、いつもすれ違い…平日のコミュニケーションは手紙でやりとりしていて交換日記で状況を知るような生活。

一人でいる事が当たり前だし、子どもの頃はそれになんの違和感も感じてなかった。大人になっていろんな人の幼少期の頃の話を聞いて、自分とあまりの日常の過ごし方の違いに、それがどんな日々なのか想像がつかなかったりする。

羨ましいとかさみしいとかではなく、不思議な感じ。

今思えば、家のことを気にしてくれる近所の人たちがいたのでさみしさとかは無かったんだろうなって思う。

いつも周りの人が支えてくれた。

そんな時代は、今から30年ほど前の事。

今は隣の人もどんな人かわからないし、よその家庭にはかかわらない、深入りしない、見て見ぬふりをする。というのが昨今の流れとのこと。

本当なら、支援活動という「活動」をしなくても地域の人たちなどで支えあえたらいいのになぁと思うけど、今は「活動」が必要な時代だと心底思う。

そして、自分に必要な情報にたどり着けない当事者の人たちがたくさんいる。情報を知ることができれば、もっと前へ進めるのに、知らないがために、知ることすら気づけないために、もがいている人や選択肢がないと諦めてしまっている人がたくさんいると思う。

私も周りの人が支えてくれた心強さはあったけど、後から得た情報に『あの時この情報を知っていたら、また違う選択ができていたかもしれない』と悔やんだことは多々あった。

当事者の底力を信じて、知識を得られるように、チャンスを見逃さないように環境を整え、這いつくばってでも前へ進めるように支えてあげるのが大人の役目として支援していきたい。

私ができる支援

1)行き場をなくした子どもや、子どもが生き生きと過ごせるように支援をしている施設や活動を応援している音楽イベント。

音楽を通して未来を作り、応援している。

子どもたちの未来を応援するには、私たち大人が今を楽しく元気に過ごして、明るい未来を子どもたちが描けるように見せていくのがとても大事だと思っている。音楽イベントを通じて大人も楽しめ、大人が笑顔になり、それが子ども支援にも繋がって子どもの笑顔にもつながる、とても健全な支援。

そして、今回クラウドファンディングの目標が金額ではなく、人数である事も素敵と思う。まずは知ってもらうために0円プランがある。
一人でも多くの人が応援している意思表示をする事で、イベントの知名度が上がり、子ども支援に繋がっていく。

大人が下を向いて過ごしていたら、子どもは未来を描けない。
子どもに明るい未来と、そして、今この時代に子どもがさみしいと思うことがないように。

0円プランで応援できます。


2)「みんなで子どもたちを抱きしめ、子育てとともに何でも挑戦でき、いろんな家族の笑顔があふれる社会」をビジョンとして、様々な家族の形を応援している団体。

環境を整えることに注力し、心を支えている。

私は、片親で育ったけど決して不幸だとか、大変とかは全く思っていない。「片親なのにまっすぐ育ったね」などと言われる言葉の意味がわからない。

楽しいんだか何だかわからず、ただ何となく一緒にいる家族の方がよっぽど辛いのではないかと思うし、誰もHAPPYではないと思う。

でも親側は現実的には大変だと思う。一人親だけど、一人じゃない。ということを発信し、一人親を支える活動はとても心強いのではないかと思う。

寄付金控除の対象にもなります。


3)自分ではどうにもならない、と諦めてしまっている子どもたちに寄り添って環境を提供している団体。

大人が目を背けがちな女の子たちに寄り添って支えている。

私も中高生のころ、女という性別を恨んだことがありました。子どもから女に変わったころ、大人の男たちも私を見る目が変わる。それを逆手にとって生きてやろうと思ったこともありました。

でもその選択はしなかった。それをしなくても生き方を教えてくれた大人たちがいてくれたからです。

物品など様々な方法で、支援ができます。


独りよがりだと思いますが、もし少しでも興味を持ってもらえたら各サイトを覗いていただけると嬉しいです。



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