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Ado 2ndライブ『カムパネルラ』感想 ~銀河鉄道上での変身~

Adoのライブに行ってきたので、その演出について感じたことなどを少々。ネタバレには一切配慮しません。
※「作品」や「テクスト」の解釈は一通りに定まるものではないし、作者が解釈を間違うことも往々にしてあり得る。本稿はその立場に立ったものであることを先に注記しておく。


セットリスト


以下今回のセットリスト。

1. 夜のピエロ
2. ラッキー・ブルート
3. ラブカ?
4. ドメスティックでバイオレンス
5. 逆光
6. 私は最強
7. レディメイド
8. 阿修羅ちゃん
9. 金木犀
10. 花火
11. 会いたくて
12. 過学習
13. ダーリンダンス
14. FREEDOM
15. シカバネーゼ
16. 永遠のあくる日
17. ギラギラ
18. マザーランド
19. ザネリ
20. 心という名の不可解
~アンコール~
21. 新時代
22. 罪と罰
23. うっせぇわ
24. 踊

ここでは、『夜のピエロ』〜『会いたくて』、『過学習』〜『マザーランド』、『ザネリ』〜『心という名の不可解』、『新時代』〜『踊』の4つに分けて考察していきたいと思う。

『夜のピエロ』〜『会いたくて』


ここまでのセットリストのテーマは、一言で言ってしまえば「夜明けから夕暮れまで」ではないだろうか。
『夜のピエロ』で明確に「夜」を打ち出して始まったライブは、『ラッキー・ブルート』『ラブカ?』『ドメスティックでバイオレンス』と比較的「暗め」の曲へと繋がれて展開される。とりわけ、『ラブカ?』は深海、『ドメスティックでバイオレンス』は(タイトル通り)閉鎖的な愛情と、隔絶され閉ざされた領域にスポットを当てた歌詞となっており、「夜」との対応性がうかがえる。
続く『逆光』は「夜明け」としての配置になっている。手前の3曲では鬱屈した想いを自らの内側で完結させるような世界観が提示された一方で、『逆光』では歌詞のベクトルが外に向いているのである。(Adoの姿も「逆光」で見えないようになっている、というのは余談) 続く『私は最強』で物語は「ヒカリの方へ」向かい、完全に夜は克服される。Adoオリジナル曲の中でも比較的アップテンポで明るめな『レディメイド』『阿修羅ちゃん』へと繋がれるのも納得だろう。
『金木犀』『花火』『会いたくて』の並びは、日が沈み再び夜に向かっていくモチーフとして捉えることができよう。3曲ともノスタルジックな歌詞・曲調であることが何よりの証左である(これら3曲のMVもまた説得力を増すものであろう)。
このようにして、ライブは「夜」に始まり、再び「夜」に向かっていく。このライブは銀河鉄道であり、夜を本質とするものだからだ。

『過学習』〜『マザーランド』


ここからの7曲では、「カムパネルラへの変身」が進められると言えよう。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』に準ずるのであれば、カムパネルラは、
①憧れの対象であること
②死んでいること
を満たす必要がある。それがここの7曲で提示されるのだ。
そもそもこのライブは、ジョバンニがカムパネルラになる、つまり、観客席から歌い手という存在に憧れの眼差しを向けていたAdoがステージに立ち、「観られる対象」への変貌を遂げるシンデレラストーリーである。観る側と観られる側、その逆転(ないし境界の破壊)がここで行われる。
『過学習』『ダーリンダンス』の並びでは、「誰も見てねえ」というところから出発し、見られる対象としての意識の発生が描かれる(『ダーリンダンス』の世界観は明らかに自分を可愛く見せようとするものである)。そして、客席(=観る側)全体にスポットライトを次々と当てる演出の中、それまで入っていた「箱」を出て『FREEDOM』へ。まさしく境界の破壊である。
続く『シカバネーゼ』『永遠のあくる日』は「明日が来ることの否定」のモチーフである。死んでいるカムパネルラに、さいたまスーパーアリーナでライブを行う夢を叶えたAdoに、明確な明日はない。それを端的に表象しているといえよう。
『ギラギラ』『マザーランド』も、『過学習』『ダーリンダンス』と同様、観られる側としての矜持を表す歌詞内容となっているが、先頃の2曲に比べ憧れの対象になろうとする意識が強いと言える(「ギラギラ輝いて」「私がマザーランドになるよ」)。その意味で、この時点でかなり「カムパネルラ化」の準備が進んでいると捉えることができる。

『ザネリ』〜『心という名の不可解』


ここまでのセットリストは、全てこの2曲のためにあったと言ってよい。『銀河鉄道の夜』と呼応するような演出の中、『ザネリ』は演奏される。(そもそもザネリは『銀河鉄道の夜』の登場人物の名前なのだから、これは当然のことである。)この1曲によって、Adoがカムパネルラになる準備が完全に整うのだ。
ラスト曲、『心という名の不可解』はまふまふが作詞作曲を手がけたものである。まふまふがAdoの憧れの歌い手であることは本人も公言しているところであるが、まさに彼こそがAdoにとってのカムパネルラなのだ。まふまふが作った曲を歌い上げることによって、Adoのシンデレラストーリー、「客席のジョバンニ」から「ステージ上のカムパネルラ」への変身が完成するのである。

『新時代』〜『踊』


アンコールで衣装を変えて戻ってきたAdoは、既にカムパネルラへの変身を完了している。そしてそこで、自分にとってのカムパネルラであったまふまふを超えていくことを宣言するかのように『新時代』が演奏される。『罪と罰』『うっせぇわ』と有名曲が続いて会場の盛り上がりは頂点に達し(これらの2曲も実は「観られる側」を意識した歌詞になっている)、最後は『踊』で締めくくられる。『銀河鉄道の夜』のカムパネルラには明日は来ないが、Adoはそうではない。そのことを「次回」を明示する『踊』に乗せて表明するのである。




以上、書き殴りの考察であったが、ライブ中に思ったことをまとめた。考えたことを全て書けているわけではないので、もしかしたら今後、加筆や修正を入れるかもしれない。

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