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桃源郷まで、その後(笠原桃奈さんの話)

笠原さんはある時から愛という言葉をよく選んでいた。ブログの中の言葉としてだけでなく、実際に口にするようになった。わたしが生きてきた中でその言葉に触れる時、たいていは紙の上や画面の中にはりつけられていたものだけれど、それは急にその体を起こしたかのように立体的なものになった。きっかけはなんだったんだろう。アンジュのみんなが言う、大好き!とかビッグラブ!とは少し違う。とはいえその言葉をアイドルはよく口にする。日本語のそれは、いつもより少し息を深く吸わなければいけないような、そんな響きがする。本来ずしりとした重さがあって、時にはその重さが釣り合わなくて、不自然に聞こえることもある。けれど、笠原さんが口にするとあたたかい、たしかな誠実さをもっていた気がする。笠原さんらしいなあと思う。
限りあるMomentとミラー・ミラーのオンラインサイン会で、運良く当選した私のコメントへ返事をする時、その言葉を口にしていて少し驚いたのを思い出しながらその時の録画を見返した。私は今でも笠原さんのことをよく考えている。

笠原さんはよく自分は人見知りだと話していた。他のグループのメンバーの人に話しかけられないとか、何か嬉しいことを言ってもらえてもうまく返せないとか、時折思い悩んでいた。その反面、自分やアンジュルムを応援している人にはいつもたくさんの言葉で伝えようとしてくれていて、その言葉はどれも、今も、笠原さん自身のものだとわかる輪郭をしている。笠原さん自身から零れ落ちた言葉は、いつも星のかけらとか朝露とか、色とりどりのビー玉とか、光が反射する海とかみたいに瑞々しくてきらきらしていた。武道館で笠原さんが歌う46億年LOVEの「伝えられたら」は、どこか祈りのような切実さがあったようにきこえた。歌詞に歩み寄らなくても歌は歌えるけれど、歌詞のことばがその人を通りぬけた上で起き上がってくるのは特にアンジュならではだと思う。伝えたいことが伝えたい形のまま相手に届かないことって往々にしてある。伝えたいことを自分の胸の中にとどめることを選ぶ時もある。笠原さんも、私たちには伝えない、心のうちで考えていることや、メンバーだけに共有している感情がきっと、もっともっと、たくさんあったはずだ。実際にそれに近いことをブログでも話していた。それでもその時々で考えて、選んで、私たちの前で口にするその言葉は、いつだって届いてほしい、伝わっていてほしい、という力をもっていて、私の胸のど真ん中にするするとおさまる。私は卒業の日のスピーチをまた読み返す。いつだってそのあたたかい言葉は、変わらない温度で私の胸にしみこんでくれる。

私は地球とか世界とか人生とか、ハローの曲にある、若い子に歌わせるにはスケールが壮大な曲をみるみる飲み込んで、あっという間に自分のものにしてしまう笠原さんが毎回大好きだった。命が今そこで生まれて、ごうごう燃えてるみたいだった。
その一方で、大人になりたくない、子供でいたい、とよく話していた笠原さんが歌う「おとなの掟」、アンジュルムに育てられた子と言われるぐらい沢山の愛を注がれていた笠原さんが歌う、愛される路に思い悩む「愛されルートA or B?」、暗い世界観を好んでいた笠原さんはそんな魅せ方もステージで物凄く目をひいた。照明をあびてきらきら反射していた笠原さんの瞳は、こういう時に影がさして、あたりには虚な空気がひろがった。持ち前の熱量や荒々しさみたいなものは身を潜めた。笠原さんが人間じゃなかったとしたら、物凄く大きくて綺麗な獣だろうなと思う。犬じゃないのかよと言われるかもしれないけれど、なんとなくずっと一緒にいられない生き物そうだなと思っているからかもしれない。それこそ笠原さんが前に言及していたおおかみこどもの雨と雪を思い出す。私はその時も、笠原さんはおおかみの世界に行ってしまう側の人なんだろうなと勝手に笠原さんを重ねて勝手に寂しくなっていた。ネガティブすぎる。
井上さんと二人で歌っていたSummer Windの冒頭も、まるでこれから誰も幸せになることができない舞台が始まるみたいな不穏さだったことを覚えている。私にとって最初で最後の笠原さんのエグゼ期間のおかげで、曲自体はフル尺じゃなかったけれど(とても観たかった)、毎回表情をしっかりみることができた。公演に行く度楽しみにしていた曲だった。
桃源郷でもダークな空気感の中、雷鳴が轟く乙女の逆襲がセトリに入っている。ランウェイみたいにステージを闊歩する笠原さんがかっこよくて大好きだった。爪をたてるような振り付けが凄く好きだ。乙女の逆襲というタイトルも好きだ。個人的にタイトルとメロディーにひっぱられて歌詞をスルーしがちなのだけれど、ネイルの拳だけはいつも頭に残る。間奏明けのオトメノ...にコールが入れられなかったのは、静寂の直後、暗闇で喉元に牙をつきたてられるようでとてもかっこよかった。綺麗に飾られたネイルなら突き刺せそうだ。

続花鳥風月で笠原さんはいつもはける順番が最後で、愛されルートの衣装で1人舞台女優みたいに両手を広げて、客席の拍手を受け止めてくれるのが私は本当に本当に本当に大好きだった。こちら側からいうと押し付けがましい話なのかもしれないけれど、こちら側の愛が届く瞬間が1番形になって見えている気がした。笠原さんにとって千秋楽になった松本公演では席が上手の前方で、斜めから笠原さんのその姿をみていた。一際大きな拍手とホットピンクの景色を記憶に焼き付けようとするような表情を一瞬浮かべていたのをまだ覚えている。笠原さんの瞳に照明が反射してきらきらしていた。
その公演の時はアンジュルムのメンバーやおたくがみんな泣いていた気がする。伊勢さんが歌いながら不意に泣き出したのを境に、たぶん沢山のおたくがもらい泣きしていた。花束をもらって、泣きながら、ほんのひとさじだけ困った顔で、他のメンバーに視線をなげて、どこかぽやんとした声で話す笠原さんが、変わるもの変わらないもののMCの時のままだった。あの頃からは想像できないくらい大人っぽい衣装を着た笠原さんは本当に様になっていた。

卒業の日、武道館で、笠原さんはやっぱり両手をめいいっぱい広げていた。私は何の力もないただのいちファンだけれど、ありったけの愛が届いて欲しいと心の底から思った。そこらへんにまだ使える愛が落ちてるならすぐさまかき集めたいくらいだった。
握手会やイベントに参加する私の面白くもなんともない、平凡でおまけに下手くそな話にも、大きな会場でライブをする時のたくさんの歓声や拍手にも、いつもふかふかの愛情を返してくれる。それが仕事だといわれたらそれまでだ。ハロプロは歌だダンスだ実力だといっても、愛想が悪いアイドルを好む人はやっぱり少ないだろう。最低限の当たり前のことなのかもしれない。それでもそれをずっと続けてるだけでもう才能だと思う。なによりアンジュルムを知っている人は、とりわけ笠原さんのことを知っている人は、それが愛じゃないなんて、言えないと信じている。
笠原さんは見返りを求めない愛が自分に向けられることにかつては今よりずっと戸惑いを感じていて、活動期間が長くなってからも、なにか目標めいたことをいう時には自分のことを愛せるようになりたいとよく話していた。笠原さんがいろいろな人に愛されるのは天性のものなのかもしれないけれど、それをより強固なものにしたのは間違いなくこれまで自分への、全ての人への愛を育てた笠原さん自身だと思った。笠原さんが卒業するときに話した、自分は特別な人間である、ということはその一つの終着点だった。
最後のバースデーイベントの衣装がtwiceのfeel specialの衣装みたいだとTLでみかけたことがあった。私もそう思った。偶然なのかもしれないけれど。卒業の日の手紙を読み返してからfeel specialの歌詞を読み返した。Berryz工房 のLove together!の歌詞も何度も読み返してしまう。

笠原さんのアンジュルムとしての最後のステージになった武道館で、私は笠原さんの名前を呼ぶことも、なにか言葉で伝えることも許されなかった。その空間にはただあらゆる人の、あらゆる人への、ありのままの愛だけが広がった。ペンライトと拍手以外不可侵になったステージで、観客は実際ほぼ見守るだけの存在で、その空間は、あの瞬間の笠原さんの全てだった、愛するアンジュルムだけのものになった。それでも笠原さんは、「あなた」と、また手を差し伸べてくれる。
たった一度の、自分の名前を冠したコンサートの大舞台でさえも、自分の価値に思い悩み、これからの不安を吐露できる笠原さんの、どこまでも素直で、柔らかくて、ふかふかで、透き通っていて、簡単に傷ついてしまいそうで、でもしっかりと前をむいた、遮るものがない言葉がとっても愛おしかった。
自分の中にある大きな夢を口にするってすごく勇気のいることだ。誰だって否定されたくない。
だから卒業発表の時の言葉は最初、とても自信なさげだった。でもそれを打ち明けてくれたのがとっても嬉しかったことを覚えている。笠原さんがその夢に挑戦したいって思えたのは、アンジュルムで過ごしたことが、笠原さんもよく言っていた、笠原さん自身が自分を愛することに繋がったからなんだなと思ったから。最後の舞台で、また会えるようにとか、期待を持たせるようなことは一度も言わなかった。お元気で、といって、晴れ晴れとした顔で笠原さんは最後のステージを後にした。

笠原さんが、最後のバースデーイベントが告知された時、ブログで来れたらきてね、と書いていたのも、自分のためだけに来た人たちに囲まれながら、また会えるよね、と歌ったのも、最後のかみかさイベで、ずっと覚えている、と歌っていたのも、卒コンのソロ歌唱で真っ向からアンジュルム笠原桃奈をみせたのも、最後の大舞台で綺麗に隠し通したっていい不安を吐き出せるのも、泣きながら最後のブログを書いたのも、いつだって全部に気持ちがぎゅうぎゅうにつまっていて、あたたかくて、全部の瞬間を感情を大切にできる人で、本当に本当に素敵な人だなあと思った。同じ時代に同じ国に住んで、同じ言葉を話して、笠原さんの感情が揺れ動いていく様を見守ることができたこと、それを慈しむことができる心を私が持っていたこと、なんて幸運なんだと思った。

私は好きであればあるほど、その対象と遠い存在でありたかった。接触イベントまで足繁く通っておいて何寝言をいっているんだでしかない。自分でもそう思う。いつかの個別とか、いつかのリリイベとか、私のことを覚えてくれていたり話しかけてくれたりした時はどこか申し訳ないと思いつつ嬉しかった。帰り道もそわそわした。でも同時に見守る権利さえあればそれで良いとも思っていた。笠原さんに私自身のことを話すことはほとんどなかった。私のことなんて覚えてられないくらい、美しいと思うものに囲まれて、まだ見ぬきらきらした世界をみていてほしかった。笠原さんに会いに行っていたのは、自分のことを愛せるようになりたいと話す笠原さんに、本当にそう思っていて欲しかったからだった。本当に笠原さんの在り方は素敵だし、笠原さんからの愛はこちらに十分すぎるくらいに、時にうけとめる私の体におさまりきらなくなってしまうくらい届いていたし、ただただ思うままにいてほしいと思っていた。あなたの事をどうしたって大好きな人間がこの世界に存在しているよと知っていてもらいたくて、あなたの自信のもとの0.1グラムにでもなれるならなりたくて、素敵な言葉をたくさん届けてくれるあなたに言葉で返したくて、あなた自身が育んできたものは唯一無二の、誰にも簡単に壊せないとっても素敵なものなんだって誇りに思っていてほしくて、会いに行ったりブログにコメントをしたりしていた。私の本名も、私が何をしている人なのかもたぶん知らない、年だって離れている。年を重ねるほどアイドルとの向き合い方がわからなくなるけれど、笠原さんにはできるだけ取り繕わない気持ちを伝えたかった。

ステージに立つ笠原さんを見届けていく中で、笠原さんに対して抱いた気持ちを誰にも告げず自分の心の中だけに宝物としてしまっておきたい気持ちと同じくらい、笠原さんがアンジュルムの笠原桃奈として生きた証を、それにふれた私の記憶をどこかの誰かに、見える形で残しておきたいと思った。卒業した後もどこかの誰かに見つかっていてほしい人だから。笠原さんがフォトブックに書いていたように、私の今感じているこの気持ちだっていつかきっと変わりゆくものだから。私は本当にいつもいつまでも同じことをぐるぐる考え続けては何を考えたかったのか分からなくなる。この文章も全然まとめられなかった。小さい頃から誰かの紡ぐ素敵な言葉に出会うとたまらなく嬉しくなるのに、私の言葉はいつまでたっても平凡で、それがずっと嫌だった。自分で何を考えてるのかもいまいちわからなくて、何も考えてない空っぽな人間みたいで嫌だからとりあえず少しずつ見よう見まねで書くけれど、いつまでもがちがちにかたくてそのくせ体裁は綺麗に見せたいかっこつけで、本意がわからなくて、だれかの言葉を貼り合わせただけに見えてきて全然好きじゃなかった。
それこそ、この文章を1年以上消したり増やしたりひたすらこねくりまわした。新しい環境や挑戦はずっと苦手だし、0から1を作るのも苦手だし、石橋は叩き割って渡れなくなる。アンジュルムから学んでいることをまったく生かせていない。もっと身軽になれたらと思う。
でも普段から笠原さんに会ったら伝えたいことがふと浮かんだ時書き留めるようになったし、そういう忘れたくないこととか伝えたいことがたくさんできたのが嬉しかった。笠原さんのための言葉をふっとどこかで考えていた。
こうして何かに残したくなるのは、笠原さんがいつも伝えてくれる人だったからだ。どうすれば形にできるのかわからなかった感情も、ほんの小さな気持ちでも、歪でもちょっとかっこ悪くても、もっといい形で残してくれる誰かがいるのかもと思っても、笠原さんがこれから歩む道への足取りをちょっとでも軽くできたらと思っている。笠原さんが残した証は、過去だからってくらいじゃちっとも削れたり色褪せたりしない、これからもたくさんの人の心をきっと優しく強くしてくれる。

桃源郷は今も私の頭の奥の方で空高く飛んでったラピュタみたいにゆらゆら浮かんでいる。
また笠原さんの姿をこの目で見られるのかはわからない。また会いたいなんて思うことはおこがましいことだともどこかで思ってしまっている。本当に十分すぎるくらい、たくさんたくさん素敵な時間や言葉をくれた。今思い返してもどう考えてもありあまるほどあるし全然色褪せる気配がない。突然笠原さんのやりたいことが変わって、このまま会えなくたって流石にしょうがないと思わなきゃいけないと思ってしまっている。公式のコメントは公約ではないし、まだまだ未来が続く笠原さんの、この先を勝手に決めつけて縛りたくないし、急かすようなこともしたくないし、何も言われてないのに空白を勝手に埋めて、勝手に期待して、彼女の夢は叶わないのかと勝手に失望したくもない。ただもし、笠原さんがまた私たちの前に姿を表すことがあったら、みんなでとびきり喜んでおかえりを伝えて、褒めちぎって頑張ってるねすごいね素敵だね私たちもとびきり幸せだよって伝えたい。友人に笠原さんの話をした時に、今会えなくても、焦って急いで本意じゃない道を選ぶぐらいなら、ゆっくり選んで頑張って納得いく道に進んでくれるほうがずっといい、おたくなんていくらでも待てるしなにより本人が幸せなのが1番だからって話したら、めっちゃ親だねと笑われた。でも本当ににそう思っている。

卒業のあの日、あの場に立ち会った私にも、それを懐古する私にも、遠くの地で画面越しに卒業を見届けた人にも、アンジュルムのメンバーにも、これから先アンジュルムの笠原さんを知る人にも、きっと笠原さんの愛は何度でもまた力をもって届く。その愛情は恒久な灯火だ。これからの笠原さんの中にも、アンジュルムとして過ごした時間が残り続けるのはとっても素敵で尊いことだと思った。

dear sisterは今でも大好きな写真集で、笠原さんが書き残したブログも大好きで、これからもきっと大好きだけれど、笠原さんがこれからもその時その時の姿とか感情を残していればいいなあと思う(きっとそうだよね、)もっと欲をいえば、笠原さんが20歳とか30歳になった時もdear sisterみたいなものが出たらいいのになんて願ってしまう。
笠原さんの中での「大人」がどう変わっていくのか、笠原さんにとって歳を重ねることがどう変わっていくのかを教えてくれたら幸せだろうね。

これから私はどんな大人になろうか。そんなことを考える時にもかつての笠原さんが私の背中を押してくれる。笠原さんのことを好きになれた私でよかったと思う。笠原さんに会えてわたしはずっと私を肯定できるようになったし、肯定できる私でありたいって思える。後悔との向き合い方も、自分を肯定することも、人を許すことも、人を想うことも、なんてことない日の大切さも、また明日がんばろうって思えることも、笠原さんから感じたことは本当にたくさんあった。笠原さんとすごして感じたどの感情も今の私を支える一部だ。

私はこれからも笠原さんのことをきっと考え続ける。アンジュルムだった笠原さんを形作った景色の1色のほんの一部の欠片として、同じ時代を生きて、同じ世界に存在できたことをこの上なく幸せに思う。
なんでもない1日も、思うようにいかない1日も、終わるのが惜しいと思うくらいに幸せな1日も、大切にできる笠原さんが本当に大好きだ。
卒業の日からもう1年以上が過ぎたけれど、笠原さんがきっとものすごく大切にしている10代の時間の中に、自分のためだけにすごす時間がまたあったことも、おかしな言い方かもしれないけれど、どこか嬉しく思っている。どうか、いい時間をすごせていますように。

KPOPのアイドルにファンが花道だけ歩こうねなんてよくいうけれど、笠原さんならお花畑も畦道も、雨上がりの水たまりも、照りつくアスファルトもきっと全部素敵だって思わせてくれる。
急な坂道もぬかるみも、どんな歩きにくい道だって一緒に最悪!って笑える仲間が笠原さんにはいるし、歩き続ける手助けをしてほしくなったら助けてくれる人もたくさんいる。もちろん疲れたら休んだっていいし途中でなにかに心惹かれることがあったら寄り道したっていい。

笠原さんと出会ったことで、私が私として生きてるだけではきっと感じとれなかった感情にたくさん出会えた。気づいてもなかった感情がたくさん現れたし、見えなかった感情を知っていくことは、知らない色が突然私の世界にあらわれたみたいなわくわくときらきらが押し寄せることだった。
家族でも友達でも恋人でもないけれど、とても大切な人ができたことが嬉しかった。そんな人がいることで周りの人も、自分自身ももっと大切に思えるようになった。
笑ったり泣いたり、させたくないけど悲しい思いをしていたり、どんな時間も愛おしくて、笠原さんを見てるといろんな気持ちがたくさん溢れてこぼれ落ちそうになる。それってとっても幸せなことだなあと思う。元気でいてほしいとか、幸せでいてほしいとか、そういう気持ちが全然薄れることなく私の中にしまわれている。笠原さんに影響をうけた、たくさんの感情とか考え方が今も私の中に残っている気がして、それがすごく嬉しい。私を形作るものの中に確実に笠原さんて存在がいることというか。

笠原さんのことが本当に大好きだけれど、盲目的にはなりたくないと思ってて、私自身がいろんなものをみて新しい好きもたくさん知って、やっぱり笠原さん大好きだなーってなりたい。
本当に大好きだったのになんとなく気持ちが離れてしまったものって個人的にはいくつもあるけれど、それを好きだった時間自体への後悔はなくて、でもただ私はもうそういう人なんだろうなあと思っていた。笠原さんのこと、ずっと好きでいられたら嬉しいなあと思う。ずっと好きですとか、ずっとファンですとか、そういう言葉を言うのを、時に無責任なんじゃと思って言葉にするのをためらってしまうけれど、笠原さんにそう言いたくなってしまうのは、笠原さんの嘘がなくて誠実で、言葉を大事にしてる佇まいからだと思う。私の好きがずっと続くのかはわからないけれど、今の私はそうでありたいなと思って口にしている。

最高に可愛くてかっこよくて優しい愛の人、
沢山の感情にさわらせてくれる人、
この先の幸せを願わずにはいられない人、
笠原桃奈ちゃんへ、どうかお元気で。
ありったけの愛を込めて🍑


P.S.
卒コン後少し経ってからこれをなんとなく書き始めたのに一年以上たっても全然まとまらず、もう完成させないのもアリかも、と思っていたけれど、今日(厳密には昨日)かみちゃんの手紙嬉しいってブログを読んだら書きたくなってきて無事書き終えられた。かみちゃんありがとう。笠原さんにまたお手紙書きたいなあ。

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