見出し画像

私が畑を始めた理由。

「自然農に生きる人達」を読んだ。
そこには、専業農家、兼業農家、半農半X、様々な形で自然農を営む人達のこれまでの人生や自然農を始めたきっかけ、自然農に対する考え方が記されていて、ふと、私は何故自然農をやりたいのか?を言語化してみたくなった。

「自然農に生きる人達」に登場する方々は、
もともと農家をやっていて自然農に切り替えた人はもちろん、健康に関心があって口にするものを自分で作りたくなった人、自然保護に関する社会活動に参加していた人、人生の路頭に迷っていた人など、バックグラウンドは人により様々だ。

私は元来農業にさほど関心はなかった。

祖父母は農家を営んでいたが、畑を手伝ったことはなかったし、「なんだか大変そう」というイメージが大きかった。
ただ、子どものころからずっと、人間はこのままでは戦争や飢えによって自滅してしまうのではないかという恐怖が心の片隅にあった。

コロナ禍とともに社会人になり、
世の中の不確実性が顕在化した中で、
都会に暮らし社会の中の歯車の一つとして生きていくことに強い不安を覚えた。

「もしも農作物の供給が止まったらどうしよう?」
「収入が0になったらどうしよう?」
「国が崩壊したとき、自分は生きていけるのか?」と現代社会への疑念が巻き起こった。


そんな中で、
福岡正信さん著「わら一本の革命」の”無の哲学”なる考え方と出会い、その世界観に引き込まれた。
世の中にあるルールや経済や常識は人が頭の中で生み出したものであり、本来そのようなものはなくても自然が生命の循環を作り出している。
自然が我々を生かしているんだ、という宮﨑駿監督がジブリ作品でも訴えているようなメッセージを真に感じ取った。


そこから農業への関心が湧き始めたが、
さらにデイビッド・モントゴメリー著「土と内蔵」「土・牛・微生物」「土の文明史」を読み、
すべての生命(動物はもちろん、植物でさえも)は微生物に生かされていること、
一方で土を耕し農薬を散く慣行農法は微生物の生命を脅かし地力をどんどん弱まらせていること、
このままの農法を続けていればやがて地力は底を付き砂漠化してしまうことを知った。


こうして、
不耕起の農法を普及させ、微生物と植物と動物のバランスのとれた環境を作り出すことで、
子どものころから感じていた恐怖感に打ち勝てるはずだ!という確信を持ち、自然農を軸に生きていくと決めた。

なんとも悲観的だな理由だなと自分でも思う。笑 しかし、レジ袋を持参したり、電力を再生可能エネルギーしたりする環境保護活動よりも、
ずっと地に足のついた実感の持てる行動になると考えている。

その悲観的な理由もあるが、
実際に昨年度小さな畑をやってみて、その楽しさに気づいた。黙々と雑草を刈り、張り巡らされたスギナの根をちぎり、刈った草でマルチをつくる。地道な作業だが、普段のデスクワークと違い、いくらでも集中できる。
種を植え、毎日様子を見つつ、なるべく手を加えないようにして最低限の草刈りをしたり、イモムシをつまみ取る。
それでもすくすくと育つ野菜達からは、食べる前から元気をもらえる。そして自分で育てた野菜のなんと美味しいことか。

きっと簡単なことではないと思う。
「自然農に生きる人たち」の方々も、
たくさんの試行錯誤をしながらその土地に適した育て方を見つけている。害獣に畑を荒らされたり、冷害や虫の被害も少なくないはずだ。

それでも、最低でも自分で食べる分は自分で作っていきたいし、100人を養えるくらいの畑をつくりたい。100人分くらいあれば、自分と深く関わりのある人やその家族の食べものを提供できるから。(一人養うのに50㎡だから1500坪か・・・!)

そしてそれが自然環境を守ることに繋がってほしい。

【出典図書】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?