何のために言葉にするのか。
今日は火曜日。
昨日、週1noteを更新する日だった。
書きたいと思っていることはいろいろあったのだけど、低気圧のせいか頭が痛くて、深く考えることが難しく、やめてしまった。
でも週1noteは更新したいなあと思い、日記を書いた。
ひとりごとのような言葉たちでも"日記"と言ってしまえば、記事として成り立つと思ったから。
でも、なんだか、伝える意味がないような気持ちになって、一度投稿したものを消してしまった。
最近よくこういうことをしてしまう。
ツイッターでつぶやいたことを数時間で消すということがよくある。
もちろん、日記を投稿するのがダメだとは思わない。
でも明らかに、わたしの書いたそれは、構って欲しいだけ、のようなものだった。
SNSが普及して、自分の中にふっと浮かび上がった感情を、何にも考えずに、指先ひとつでふわっと世に出してしまうことが簡単になった。
けれどその無心の行為に、果たして意味があるのか、疑問に思う心も、少しずつ大きくなっていっている。
芽生えた感情を言わないと気が済まなくなったような、そんな感じがする。
不特定多数に発信することは絶対必要というわけではないのに。
誰かに伝えたいことを発信したり、自分の世界を作ることが、SNSの醍醐味のひとつかなあと思ったりもする。
ひとの感情的で私的なな批判を聞くのは少しだけしんどい。
悪い、とは言わないし、わたしが見なければいい話ではある。
一方で、自分の中にある気持ちを、だれかに理解してほしいというのも事実としてある。
楽しみ方はひとそれぞれなのもわかる。
そして、普段から発信を習慣にしていないと、いざという時に発信できないので、思ったことを言うということも必要だ。
特に週1noteはそういう集まりでもある。
わたしはまだ、言葉を扱うには子どものようだ。
うまい付き合い方をみつけられるといいな。
結局は、そんな "日記" なのでした。
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