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作品集「Waves」について.其の1

noteを見るのも描くのもとても久しぶり。

真剣に文章と向き合うには忙殺されている隙間時間では不十分で、インスタブラムのように瞬間の思いを記録するだけはいささか軽率な気がしていたので遠のいていた次第です。
と言いながら、結局構成など考えることは面倒なので書き殴るような文章になっています。。


2023年の活動について

2023年は名古屋個展を皮切りに表参道グループ展・COREDO室町テラス誠品生活日本橋個展・代官山個展・銀座個展・新宿北村写真機店グループ展と文字通り必死に1年駆け抜けました。全てが個人的には新しいチャレンジの展示でした。波の撮影をスタートして挑戦し続けた4年間、その集大成となるチャレンジングイヤーを全うした。総評するとそんな1年。

ただ、さまざまな場所や人に囲まれた1年。伝えてもらう言葉も反応もさまざま。展示を通して立て続けにインプットがあったせいか遂に僕の思考はショートして「なぜ展示をするのか」と「なぜ写真を撮るのか」など、自身の原点を探るようなメンタルになり、自問の日々が年末まで続く個人的には苦しみ多き1年にもなりました。

2024年最初の個展の取り組み

2024年元旦設営、表参道のカフェで早速個展を開催しました。
苦しい悩みとは一旦さよならをした。僕の答えは波写真にもう一度真剣に向き合うということ。知ってもらうとか作品を買ってもらうとか展示をするとかそういう外的な意味ではなくて、自分に今できること・すべきこと・波を取り巻くもの全てに100%集中して取り組むこと。実にシンプルな答えでした。

表参道個展は2023年からお誘いがあったご縁で開催させていただいた。お店のコンセプトに沿って展示のテーマを決め、やっとことのない作品制作・点方法にもチャレンジ。久しぶりに特設サイトも設計。WEBサイトデザイン、実装、ギミック、決められた期間で全力を尽くした。最後の2日くらいで物販用のバッグなども制作。過去で自分がやってきたことはもちろん、今できることに尽力しよう決めた展示でした。

というのも個展を開催することにも慣れてきて作業を効率非効率で捉えるようになってしまったいたんですよね。それを気づかせてくれたのは銀座の個展で知り合わせていただいた写真家トナカイさんの姿勢でした。

作家として問われた"相談"

展示も終わり改めて自分と約束したこと、とにかく初心。とにかく海に行こう。そう心に宣言したタイミングでした。まさか思いもしなかった所からご相談をいただく。まだ詳細も内容も公開できない故、仕事?案件?どう表現しても当てはまらないので"相談"とします。

初期の2年間、気持ち赴くまま無心で純心で通いに通った九十九里での記録の作品集「Waves」からインスピレーションを感じ、今取り組んでいる作品制作に協力して欲しいと言う相談。最前線で活躍されてきてたくさんのクリエイターと仕事をしてきた方が僕の作品に寄り添ってくれた。すごいことです。

ただこのタイミングがシンプルに海に行く回数を増やすという習慣が体に染み付き始めていた頃で、感覚としては修行僧のような精神世界で過ごしていた時期でした。そこに現れた華やかな極上のピース。もしかして作家として良い流れに乗れるサインなのではないか。そう感じてしまったのも束の間、そんな甘い考えは脆く崩れていきました。(でも順調な証だと捉えています)

僕の写真の変化

作品集「Waves」の頃と今では僕自身も波写真も全然違うと思います。当然長い期間をかけて表現に悩みながら向き合いながら成長してきた自負があるので、今の方がいい写真を撮っているはずだと言う自信がありました。機材も良くなり技術も向上して文句はないはず。僕の中では過去の作品集は"少し小恥ずかしい未熟で荒々しい記録"なんだと。そう捉えることしか出来ていなかった。

まさかその作品集が「もがくようで、あがくような姿」の象徴として人を魅了していたんです。魅了かな?とにかくインスピレーションを感じてもらっていた。そんな事実が僕に突き刺さった。

僕以上に僕の作品を理解してくれた人がいること。
僕が自分の作品を全く理解できていなかったこと。
なんとも言えない色々と複雑な出来事となったんです。

詳細はまた情報が出てくるであろう秋頃( かな?)、別の機会でまとめるので割愛しますが、作品集までの2年間で撮った全ての写真、数万カット。全てもう一度見直すことをしました。そして改めて今撮っている写真も見えします。

とても残酷でした。
今の写真には足りないものが昔の写真にはある。
そう自分でも感じてしまったんです。

思考停止ってあるんです、少し真っ白になりました。
どうしたらいいんだろう、どうしろと。
文字通り苦笑いが自然と漏れました。

写真家から離れること

表参道の展示を終えて誓った活動初期のようにとにかく海に通うという事。これは写真家として正しいことだし悪いことではないんだけど、この"相談"を経て感じたことは"撮影へ向かう気持ちにSTOPと声をかけること"にしました。少し待とう、落ち着こうと。
僕のアンサーは写真家であることから少し離れることでした。

「写真家はこうでなきゃいけない」

何か偶像を信仰するのようにアクションを起こしてきた4年間。でもやっぱり美しくて力強くて輝いているのはゼロからイチにするあの瞬間の純度・情熱。誰から頼まれたわけでもなく、何かのためでもなく、やりたいと感じたら動く。頭で考えるんじゃない反応する。何者でもなかったあの頃のように。

けどそんなの行き当たりばったりは写真家ではないと言われるかもしれない。アマチュアかもしれない。それが世の中の確かな指摘であれば僕は写真家ではなんだろうし、それならそれで良い。僕は僕で、僕以上でも以下でもない。僕は写真家になりたくて写真を撮っている訳ではない。たまたま上手く事が運んで勘違いしてしまったかもしれないが、僕の感じたままに動いてシャッターを切る。僕らしく写真を撮りたいだけ。

海へと山へと突然仙人のように自然に通い始めたあの頃のように、少しづつ写真以外の好きだったことに時間を使えるようにしている。写真以外のことはゼロでいい。そう思って捨てたものもたくさんある。でも一見関係なさそうな物事でも1つ1つが自分の感性・表現を深め、ちゃんと写真にフィードバックされるんだと実感し始めている。なんか自分らしくて心地よい。

写真家という言葉に成長させてもらった4年、そしてある意味翻弄されてしまった4年。僕の凝り固まった写真家の活動は一旦休業とした。

写真家としての再スタート

でも写真は撮る。好きだから。

ちなみに写真を撮っている瞬間の僕はパーフェクトだと思う(自画自賛)。ここは変わらないし、変わらなくていい。ほぼ感覚だからどうしようもない部分もあるけど、脳が反応してシャッターを1枚切る。すぐに次の波の準備をして繰り返す。あえて言うなら眠気や寒さにも負けない気持ち、海を恐れる気持ち、あと少しと粘れる気持ち、その部分を失わなければそれでいい。

では表現とはなんだろう、写真とはなんだろう、なぜ波を撮っているのだろう。ずっと僕には必要ないよと逃げてきた言葉の整理に取り組み始めています。それも前述のいろんなインプットのお陰です。写真は見る人の自由だと思ってて僕の拙い言葉が写真を邪魔するのは嫌だったので避けてきたけど、写真家になるのであれば向き合いたいと思ったから。

写真はある。あとはどう作品にするか。今までは撮った延長のような作品に取り憑かれていたけど、写真家としてその次の表現までまとめてみたい。改めて"作品"を仕上げないといけないんだと。
意味がわからないかもしれないけど、こう思えたことでやっと写真家のスタートに立てたんだと。

Wavesは写真集ではなく"作品"だ

「Waves」を著名な方に見てもらったことがある。写真集としては面白味にかけるといった具合に全く興味なさそうだった。少しショックだったけど写真集として評価するだけならそうかもしれない。写真としても見てほしかったけど、今はあまり気にしていない。これが作品集で写真だ。1枚1枚の写真の束。写真集としては未熟だろう。でも今振り返ると、今では撮れない海、波のいろいろな感情、僕の熱い情熱が詰まった貴重な本だと感じている。

写真家であることを少しお休みしたことで写真の見え方が僕の中で変わったと感じます。表面的なあれこれには全く興味がそそられなくて、もっと写真の深い部分を少しづつ見れるようになったのかもしれない。だから僕の「Waves」はすごいいい作品集だと思った(笑)
繰り返すがもう撮れない。2度と撮れない僕と波の姿が詰まっている良い作品だ。


相変わらず読みにく不細工な文章で自身嫌になりますが、仕方ない。「Waves」は小細工なしの波の本。僕の2年の全てが詰まった作品になっている。ここが良かった。加工含めてガムシャラに作って結果良かった。今は2年前の自分が誇らしい。

次の作品は大きな山のような森のような存在の作品を作りたい。
数なのか時間なのか、自身の次に期待したい。

扉の画像は初めて千葉の海で撮った写真
いい写真だ


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