義江明子『古代王権論』岩波書店、2011年

・地位継承次第系譜において、「A――子(児)B」と書かれていても、AとBが親子関係にあるとは限らない。
・一つの血統による世襲王権の成立が6世紀の継体~欽明以降であることは、研究者の間ではほぼ共通認識となってきている。欽明から推古について、『上宮聖徳法王帝説』は、「右五天皇、他人を雑える無く天下を治すなり」としている。逆に言えば、これ以前は非血縁継承が普通に行われていたということが言える。王族の形成自体、この時代から始まる。
・一夫多妻の中から正妻の社会的地位が貴族社会において定まるのは、平安時代中期~後期になってからであり、6~7世紀において、正妻という家族秩序上の概念は存在しない。
・「不改常典」は父系直系継承を定めたものではなく、元明天皇即位の時点で、天智天皇に仮託して、群臣関与を排除した譲位による皇位継承の規範化をはかったものとみる、先帝意志譲位説がもっとも妥当である。
・5世紀までの王位継承は、「共立」~群臣推戴の段階。6~7世紀には世襲王権が成立し、実力ある王の遺志が次期王を選定する方式が次第に力を得る。実力と経験を備えた男女の王族が実力で抗争を勝ち抜き、群臣の承認を得て王位に就いた。

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