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20231203 永田町

国会図書館

 国立国会図書館初めて行った。休館だった。東京のど真ん中で日曜日に普通に休んでいるとは…。調べてから行けば良かった。また今度行ってみる。銀杏並木が本当に綺麗だった。晴れしかない東京の真っ青な空に黄色い葉が良く映えていて。

自民党本部

 すぐ近くに自民党本部があった。テレビで良く見る例のあの建物。
 駅の出入り口付近に拡声器でなんか政治家へのヘイトを喚き散らしてる活動家みたいな人がいて、周辺を公安(多分)が囲むように立っていた。たまたま僕が後ろを歩いてる間も絶対に視線を外さなかったし、雰囲気から一般人でないのはすぐ分かった。公安に違いない。

皇居

 そのまま適当に歩いていたら皇居の近くに出た。
 現代の感覚からするとただただ土地の使い方が凄まじいと感じる。威信を示すため大きめに作ってあるにしても、それにしてもデカいし広い。空っぽの空間が人間に与える印象ってすごい。建築とは空間を切り取って飾るための額縁に過ぎず、真に重要なのは何もない空間の方なのだ。…

 良く知らなくて今調べたら慶応4年(1868年)の東京奠都によって天皇が京都から東京へ移り江戸城を皇居としたとある。元々江戸城だったの、今の今まで知らなかった…。それで桜田門があったのか。というか外に堀があるのも江戸城だった頃の名残か。城というと防衛のための合理性の塊なので見え方も変わってくる。

 紅葉の木々はどれも自然な美しさで素晴らしく良い印象がした…、が、その美しさを誇張するような作為も感じた。生えっぱなしの自然状態であの姿・あの枝ぶりになるはずがない。皇居ともなれば有能な庭師が完璧に管理しているんだろう。

 警官がめちゃくちゃ立っていた。私設警備員じゃなくて警察なのがすごいと思った。さすが国家の中枢。手荷物検査などの作業をやってるのは制服着た警官だったが、普通のスーツにコート着て立ってるだけの人は階級が一定以上の何かなんだろう。良く知らない。
 制服じゃない方の警察は若くて見目麗しい人が多かった。見た目の美しい人間は実際良い遺伝子を持っているからか、或いはそう思い込んでいるだけのバイアスによる採用なのかという疑問が浮かんだ。その両方かも知れないし、警察みたいに他人に与える印象が重要で業務遂行能力に関わりさえするような職業では見た目も(暗黙ではなく)正当に評価されて然るべきなのかも知れない。

 宮内庁の建物があった。横に自転車置き場があるのが良かった。自転車でここに通勤してる人がいるんだ…と思った。

東京国立近代美術館

 出口方面にこれがあったので入ってみた。棟方志功展というのをやっていた。偶然入った美術館で誰だか分からない〈何かをやった人〉の人生にその日初めて触れるという体験が割と好きで入るのに躊躇はなかった。

 日曜だからかむちゃくちゃ混んでいてほとんどまともに見られなかった。どうやら版画をやっていた人らしいというのだけ分かった。作品についてはいいのか悪いのかも分からない。何が評価されているのかも。

 解説の短い文章から地元に後援会などがいて芸術をやらせてもらえたという側面がぼんやり見えた。本人に資質や行動力・交渉力があり、更に環境によって潰されなかった、それどころか援助してもらえたという外的要因。そういう幸運が重なって初めて芸術をやれるのであって、才能それ一つでできるわけじゃない。そんな世知辛い現実を考えてしまった。昔の文学者だって貴族や豪商の息子などが多く、経済的にゆとりがあるからこそ文学などをやれたのだ。それと同じじゃないか、と。

 4Fから2Fまでの常設展(?)の方はまだ空いていて少しまともに見れた。こっちもやはり横の解説をまず読まなければ何が何だか分からない。「自分には美術が分からない」ということがつくづく分かった。どうやら記号論や意味論を美術的な技巧の上にやっているらしい、ということが分かりかけた気もした。いや分からない。
 見た瞬間圧倒されるとか、理屈抜きで魂に響いてくるとか、そういう体験をしたことがあまりない。感じるものがあるとしたら写実的な誰が見ても上手いと分かる絵とか、あるいは写真だとか、身近な方面になってしまう。大抵横の解説の文章読んでる方が面白い。戦時中空襲で家と作品を全て失ったあとこの作品を作りましたとかいう“ストーリー”なら理解できる。
 本当に美術やら芸術のセンスがある人は一体どういう目で見ているんだろうか。その視点が一生かかっても自分のものにはならないことを残念とは思う。「認知することすらできない」は「まだ知らない」とは根本的に違うものだ。
 でも自分には美術が分からないという確固たる立ち位置ができて良かったとも感じた。

ふ、ふーん…。アートじゃん。

 見た目明らかに芸術家っぽい人がチラホラいたのが良かった。その髪型芸術家しかしないだろ、その帽子芸術家しか被らんだろ、という格好をしていた。理系の大学生が本当に理系の風采をしているのと同じくらい好ましいことだ。芸術をやってる人が、本当に芸術家みたいな姿をしてるなんて。

 昔オフィス街を歩いていたら一目で阪神タイガースファンと分かる人がいて甚く感動したのを思い出す。ユニフォームみたいなものを着ていて、あとは虎柄で黄色くてメガホンなどを持っていた。不可解で分からない・或いは空っぽで何もない人間というやつの内面が、その人に関しては一目で全部(?)分かった。説明する前に既に説明が終わっていて、話さなくてもタイガースファンなのだと完全に理解できた。その時の何か得体の知れない感動に近い気がする。

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