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信じれば何処にでも在る──MIGMA SHELTER『ALICE』を読む

2020年8月26日、MIGMA SHELTER(通称・ミシェル)のコンセプトアルバム『ALICE』が発売日を迎えた。制作にあたって行なったクラウドファンディングでは目標の4倍となる支援総額1200万円を達成、7月23日より開始した先行配信ではiTunesアルバムランキングエレクトロニック部門でデイリー1位を獲得するなど、注目を集めている1枚である。

かのルイス・キャロル作『不思議の国のアリス』をベースにMIGMA SHELTER独自の物語を展開するノベリスティックな作品。本記事では、幻惑的かつ陶酔的なサイケデリック・トランスに乗せて踊り狂うパフォーマンスを武器とするミシェルが、この夢のような不思議の物語をどのように紡ぐのか、全曲を紹介しながら追いかけていく。

MIGMA SHELTERはミミミユ、ブラジル、レーレ、ユブネ、タマネ、ナーナナラによる6人組アイドルグループ。
「サイケデリックトランスで頭ぶっ壊れるまで踊れ!」を合言葉に、力尽きるまでノンストップで踊り続ける陶酔的かつ熱狂的なパフォーマンスで独自の地位を確立。その独特なライブパフォーマンスはジャンルの伝統に則り「レイヴ」と称される。

In Wonderland

妖しげで浮遊感のあるリフに導かれて粛々と読み上げられるのは不思議の世界への招待文。

Where is wonderland
(不思議の国はどこにあるの)
She might tell you if you want
(望むならば彼女が教えてくれるだろう)
Is it real, wonderland
(本当なの、不思議の国って)
Everywhere, if you trust
(信じればどこにだってある)

Relight your candle before damp
(消えてしまう前にまた蝋燭に火を灯せ)
Soul wishes to glowing
(魂は輝きを求める)
Then it might appears before you
(そして目の前に現れるだろう)
Longing wonderland
(憧れのワンダーランド)

"魂が輝きを求めたとき、望めばどこにだって不思議の国は現れる"──この示唆的なメッセージは、物語全体を貫く重要な柱となる。

夢の中で少女に語りかける声が何度も繰り返し響くが、一転して場面が明るくなると、不思議の世界を求める主人公の少女の無邪気な願いが歌われる。レーレの夢見るような明るい歌唱に導かれる、ミシェルのこれまでの音楽性からは想像できなかった爽やかなメジャースケールの旋律が、このアルバムの先の展開に期待を抱かせる。
少女の望んだワンダーランドとはどのような世界なのか?この先に何が待ち受けているのか?不思議の国の在処を教えてくれるという"彼女"とは何者なのか?
これはそうした謎に満ちた物語の世界へと聴衆を誘うとともに、MIGMA SHELTER自身もひとつ上のステージへと進んでいくことを示すプロローグだ。

The world we create.
Can you all follow me?

いわゆる「地の文」にあたる英詞部分は、冒頭と中間部分に挿入され、主人公を導く「神の視点」が彼女へ語りかける言葉を書いている。しかしその中で、一節だけさらりと複数を表す人称が使われていることにも注目しておかねばならない。少女を導く者と少女との一対一の対話のみならず、we=MIGMA SHELTERyou all=聴衆、ファンという多対多の対話にもまた言及しているのである。

ページをめくる音が聞こえる。
物語が始まる──。

Rabiddo

退屈な日常に飽き飽きしていた少女の視界を駆けていく白いウサギ。ウサギを、そして少女を急かす時計の音。追いかけていくうちに地面に空いた穴へ落ちてしまった少女は理不尽な不思議の世界の摂理に巻き込まれていく──。
あまりにも有名な「不思議の国のアリス」の冒頭シーンを描いたこの楽曲は、呪術的なリフレインを突き破って聴こえてくるヒステリックなハイトーンが印象的なダーク・ファンタジーである。

タイトルのRabiddoはRabbit(ウサギ)libido(性欲)を組み合わせた造語。
"portmanteau(旅行かばん)"="porter(かばん)"+"manteau(外套)"のように2つの語の一部をとって新たな1つの言葉としたものをかばん語というのであるが、実はこのかばん語という言葉自体が『鏡の国のアリス』におけるハンプティ・ダンプティの発言に由来しているのも面白いところである。

Rabiddoという語に関して言えば、ウサギは多産であるため色欲の象徴とされることに掛けているのであろう。
また、libidoは通常性欲と訳されるものの、精神分析においては、より一般的にあらゆる行為への根源的な欲望・衝動を指す語である。

私を抱える 空気のゆりかご
不可思議も もう慣れたわ
誰一人いない この深すぎる井戸
もう一度 時計の音が聞きたいよ

井戸の底で独り、悠久とも感じられる時を過ごした少女はそこでの体験にもすっかり飽きてしまう。少女を突き動かすlibidoとは、退屈を紛らわす不可思議への我慢ならない衝動である。少女はその欲求に対する責任をウサギに転嫁する。

走り去るWhite あわてるRabbit
ねえどうして私を無視して行くの?
無礼だって思ったりしないの?
レディに会ったら 微笑んで
おじぎするものよMr

思い通りにならないウサギに対して紳士の礼節を求めるその態度は、少女らしい無邪気な傲慢とでも言えるだろうか。

井戸を落下するシーンでは唐突にワルツが挿入され、スローモーションで流れていく少女の視界と心情が描写される。原作でも「井戸がとても深かったのか、それともアリスがとてもゆっくり落ちているのか」と書かれた落下シーンが音によって再現されているのだ。こうした、「音楽による視覚効果」とでも言うべき鮮やかな仕掛けが全編にわたって細やかに施されているのも本作の魅力である。(余談であるがワルツ部分の旋律はディズニー映画「白雪姫」の有名曲『いつか王子様が』を想起させる。いつか迎えに来てくれる白馬の王子を夢見て待つ姫、という構図はそのまま、ウサギの再来を切望する少女の姿に重ねることができるかもしれない。)

Drops

洒脱なピアノとホーンの音色が印象的なジャズスタイルの楽曲。トランスを軸に様々なジャンルを融合させ展開していく本作を代表する、チャレンジングな1曲だ。

彷徨った末に少女の眼前に現れたのは無数のドアと小さな金色の鍵が1つ。どうやらこの先に進むにはそこにある飲み物を飲んで何か特別なおまじないの効果を受ける必要があるようだ。

きっと可愛そうな私を見てる
誰かのプレゼント
魅惑のお庭へ向かうための
何かのおまじない

ここでは「可愛そうなわたしを見てる誰か」の存在が描かれており、極めて示唆的である。やはり何者かが少女のこの旅を導いているのだ。

最初のサビではそのおまじないの飲み物のえも言われぬ不思議な味わいが事細かに羅列されている。軽妙なリズムの上に重ねられる華やかな描写に、音を聴きながら味が広がっていくような感覚を覚える。

(「Drink me」と書かれたこの飲み物のおまじないは、アリスの体を縮めたり大きくしたりする効果を持っているのであるが、本作『ALICE』においてはこの体の大小変化と、それにより解決される問題がなぜかあまり直接的に書かれないようになっている。これは後の「Y」のイモムシのシーンでも同様。)

タイトルのDropsは途方に暮れて泣き出してしまった主人公の涙の雫を意味している。涙が溢れやがて川のように溜まっていく様子に合わせて曲中の水滴の効果音の水量も増していく設計になっており、やはり擬似視覚的な効果が鮮やかである。

後半では人の言葉を解する動物たちが登場し少女を翻弄する。涙で濡れた身体を乾かそうとしているがなかなか上手くいかないようだ。「仕切り屋のドードー、ドードー巡り」のような音遊びも極めて「アリス的」で洒落がきいている。ちなみにこうした歌詞の扱いは元来ミシェルの得意とするところで、例えば『69』には「あくまでTry Out 骨まで喰らい合う」という詞がある。

Egg Head

続いて少女の前に現れたのは「ジョークみたいな目も口もある卵」、イギリスの童謡マザーグースに登場するハンプティー・ダンプティーである。
このハンプティー・ダンプティーは原作「不思議の国のアリス」ではなく「鏡の国のアリス」からの登場となっている。

これまでの不穏な空気は一転、ディズニーランドの人気パレード「エレクトリカル・パレード」をオマージュしたトラックに乗せてコミカルであっけらかんとした世界が広がる。ユブネの輝かしい歌声により狂喜と多幸感が強調され、けたたましい鶏の鳴き声を合図に名乗りをあげるハンプティー・ダンプティーのクレイジーな口上のリズムも小気味良い。

少女とハンプティー・ダンプティーのいまいち噛み合わない会話を表現するかのようなストリングスとシンセサイザーの激しい応酬によるダンス・シークエンスを経て、やがて陽光に照らされたような明るいクライマックスを迎える。ハンプティーが少女のために詩を言い遺すこのシーンは、MIGMA SHELTER史上屈指の壮大で感動的な旋律になっている。

冬ハ君ノタメニ コノ詩ヲ歌ウ
春ガ萌エル頃二 理解ルトイイネ

憂イ流シ マタ不例逃シテ
ゾンザイナク ニツ太ル
合イソロ時浸シ⋯

何やら深いメッセージを託そうとしている……のかと思いきや、次第に語句や文法が歪み始め、少女を煙に巻いてしまう。

ハンプティー・ダンプティーはしばしば「覆水盆に返らず」を意味する比喩として用いられる。少女が足を踏み入れてしまったこの理不尽な世界、彼女はもう既に後戻りできないところまで来てしまっているのかもしれない。明るい楽曲の中にもそんな一抹の不安が顔を覗かせる。

ハンプティー・ダンプティーに別れを告げ歩き出すと遠くから迫ってくる足音。現れたのはCaterpillar、イモムシだ。

トランペットとチューバによる足取り軽やかな行進曲に乗せて、イモムシ相手に子どもらしい問答を繰り返す少女の焦燥が描かれる。ここでもやはり少女らしい我儘と気まぐれが如実に現れているととらえることができるだろう。そうした意図も踏まえて、本曲のメインボーカルを張るタマネの可愛らしい歌声が印象的である。

甘い甘いスモークの香り
呪文めいたAEIOU
I'm fine, fineでいたいの 聞けよ
眠たそうな Caterpillar

Why Why意味のない
Why Why繰り返して
Why Whyじゃ進まない
もうバイバイ しようかしら

「甘い甘い」「I'm fine fine」に始まり、「Why Why」「バイバイ」さらに倒置して「嫌嫌」「いらいら」と、軽妙に繰り返される押韻が秀逸である。

複雑な楽曲が多い本作の中では、行進曲パートと虚脱感あるダンスパート、再びの行進曲というコンパクトな三部形式にまとめられているのも特徴的なシーンである。

It doesn't matter

今度は鬱蒼と繁る森の中に迷い込んだ主人公。ここまでの少女の一人称視点から一転、三人称視点的な「地の文」による淡々とした進行が印象的な1曲である。

迷いこんだ 暗がりの森
不親切な Track and sign
握り込んだ 少女の手には
汗ばんだ Go or stay

森の中に息づく鳥や動物たちの声をふんだんに取り入れたアンビエント的なアプローチは作中随一の臨場感を演出する。この世界へ来た最初の頃に追いかけていたウサギの面影ももはや遠く、ここまで歩みを進めてきた少女の姿には次第に翳りが見え始める。次第に緊張と不安が増していき、頂点に達したところで猫の鳴き声が響く。

この猫は有名な「チェシャ猫」だ。「チェシャ猫のようにニヤニヤ笑う」という慣用句から作り出されたキャラクターで、笑顔だけを残して消えるという奇妙な能力を持っている。アリスはこの猫のことを「"笑わない猫"は見たことあるけれど、"猫のない笑い"だなんて!」と評する。

後半では森の動物達はほとんどなりを潜め、猫の鳴き声が奇妙に響く中R&B調に展開。奇妙な笑みを浮かべる猫と少女との会話が描かれる。

森の奥不思議なCat
Please tell me, which way l ought to go?
(教えて、どちらの道へ進むべきなのか)
おどけたそのCat
That depends on where you want to go
(君がどこに行きたいかにかかっているのさ)

森の奥不思議なCat
I don't much care where I go
(どこに行くかなんてあまり気にしていないの)
おどけたそのCat
It doesn't matter which way you go
(どちらに行くかは大した問題じゃない)

自らが進む道は自らで決めることが出来る、という極めて示唆的なこの詞のメッセージはこの後の少女の行動にどのように影響していくのであろうか。ここではまだいまいちピンと来ていない様子の少女のモノローグを最後に、このシーンは幕を閉じる。

おかしいよね
聴こえる ハーモニカの音
私をずっと 困らせてばかりいる猫
でもとりあえず 先に行こう

Unbirthday

タイトルは「非誕生日」、すなわち誕生日以外の364日を指す言葉だ。ここで登場するMarch HareやMad Hatというキャラクター達はともに「三月のうさぎのように気が狂っている」「帽子屋のように気が狂っている」という英語の言い回しに由来しており、「非・誕生日を祝おう」とデタラメを言いながら時間も気にせず宴を続ける狂った様子が描かれている。

なお、シーンとしては原作第7章「狂ったお茶会」を元にしているが、お茶会で「非誕生日」の概念が登場するのはディズニーアニメ版「ふしぎの国のアリス」における設定である。

アラブ旋法により異国風味を纏った堂々たるイントロでシーンが開始されると、奇妙な住人達をたしなめる少女の様子に続いてめでたい「364」への祝歌が歌われる。始めは白ウサギに一般的な礼節を求めていた少女も、不思議な世界の奇妙なキャラクター達に次第にほだされ、なんだかんだとペースを合わせ相手をしてあげるようになっているのが印象的である。

A very merry A very merry
A very merry Unbirthday to you
A very merry A very merry
A very merry Unbirthday to me

暗いな さあ皆 364を祝な
Hurry upもっとTeaいかが
まあいいや さあ皆 364を歌いな
Hurry upさあ次の席へ

この曲でもまた「暗いな」「祝いな」「まあいいや」「喰らいな」などの押韻が効いている。
ここでは劇的な物語の展開はなく、再び祝いの言葉を歌い上げて次のシーンへと向かう。

Road

寂しげなオルゴールの音色と切ないストリングスのハーモニーがノスタルジーを演出すると、少女は突然ここまで歩んできた道を振り返り悔悟の念を抱く。

進めば掠れていくRoad
(Tell me why, how)
この世界も悪くはないけど もういいの
分からないままのエピソード
(Tell me why, how)
溢れたはずのない興味も もうないの

『Drops』の涙、『Y』のイモムシ、『It doesn't matter』のネコなどのシーンが次々と回想され、その一つひとつを思い出す度に抑えきれない涙が溢れ出す。ストリングスに加えてブラスセクションも登場し、シンフォニックなサウンドの中でミミミユによる粛々としたラップのリフレインが悲哀の感を強めていく。感情の昂りが閾値を超えると同時に音楽はハードロックへと展開し、少女は激情のままについに悟った自らの弱さを吐露する。

思えばいつも私は すぐ夢中になって
この耳を塞いで 歩いてきたの
いい子なんかじゃないの 分かっているけど
Please let me go home
Anybody save me...

相手をしてくれない白ウサギに「その耳は飾りMr?」と詰め寄っていた当初の主人公と比べると、「この耳を塞いで歩いてきた」という逃避の自覚はすっかり対照的だ。思えばこの不思議な世界の住人たちの態度はいずれもこのように、自分の信条や理念に夢中で他の意見を聞き入れないようなものであった。それは少女自身の性質を様々に反映した存在であったのかもしれない。なぜならこの世界は少女自身が望んだために現れた世界なのだから……

誰か助けて、と思わず漏れ出た呟きがこだまする終盤、オルゴールの音に修辞された叙情的なエレキギターソロにも注目。

QUEEN

民族楽器ディジュリドゥの低音がうねる中、はっきりとは聞き取れない呪文の詠唱が響く。不思議世界の理不尽を束ねる「女王」の登場である。女王とその配下の従順な兵士たちに戦いを挑む少女の覚悟が描かれる、勇ましいクライマックス。

QUEENはトランプのハートの女王を元にしたキャラクターで、原作ではことあるごとに「首を跳ねよ!」と叫ぶ凶暴で理不尽な存在として描かれている。

ここで再び「Glowing Soul」というキーワードが登場していることに注目しておきたい。『In Wonderland』で述べられたように、魂が輝きを求めたその時にこそ、ワンダーランドが目の前に姿を表すのである。少女にとってこれは、望まぬ世界の理不尽とそこに投影された自分自身の弱さを克服し、真に自分が望むワンダーランドを手に入れるための戦いだ。ナーナナラの凛とした歌声が少女の芯の強さを克明に描写する。

これは私の最初の抵抗 流されたくはないの
強くなんかないけど
私の小さな戦争 胸が熱くなっていくよ
戸惑いに踊らされたのはもうBefore

プログレッシブなテンポ変化がそのまま少女の心境の揺れ動きに重なる展開は鮮やか。自らの弱さを自覚し覚悟を持って敵に挑む少女の劇的な成長に、まさに胸が熱くなる思いだ。

The queen of heart
ご丁寧な挨拶で促す 君の番だ
Yes,Your Majesty
怠惰で傲慢な目は語るThis is wonderland
The queen of heart
嘲笑のEveryone 構わないわ
Yes,Your Majesty
孤独の方がずっと怖いものでしょう

「これこそがワンダーランド」と豪語する女王の目に少女は怠惰と傲慢を見る。それらは元々少女の中にあった、今もあるかもしれない弱さだ。自分の理不尽を押し付けたワンダーランドを統べる女王とは、あり得たかもしれない少女自身のifの姿。
「孤独の方がずっと怖いものでしょう」──よく似た二人の命運を分かつのは少女がこの世界で中で培ってきたそんな孤独の実感である。自ら嫌なものに耳を塞いできたその驕りが、自らを孤独にした。その悟りを得て成長した少女にとって、女王は、かつての自分は、もはや恐るるに足る敵ではない。

My Wonderland

憂いを湛えた静謐なトラックに乗せて、戦いを終え途方に暮れた少女の彷徨が描写される。ブラジルの、惹き込まれるような不思議な魅力を持った歌声が、厳粛なストーリーテリングに良く似合う。『In Wonderland』で少女をこの世界へと誘った呼びかけの声がどこからか再び響く。

Where is wonderland
(不思議の国はどこにあるの)
She might tell you if you want
(望むならば彼女が教えてくれるだろう)
Is it real, wonderland
(本当なの、不思議の国って)
Everywhere, if you trust
(信じればどこにだってある)

少女を取りまく世界は少しずつ歪みだし、時間さえも巻き戻り始める。自分に言い聞かせるように同じフレーズを2度ずつ繰り返しながら展開し、少女はひとつの答えにたどり着く。

私もうおしゃべりなお花達も 私み
たいな女王も
全部 飲み込んでやるの
きっと不可思議なこの世界も 退屈
な昼下がりも
My Wonderland

世界の不思議も理不尽も歪みも受け入れて自分のものにする。そもそもこの世界は少女自身が信じ、望み、作り上げた世界であった。それを悟り、その全てを再び自分の中に還すと決意したとき、そこにいるのはもうかつての自分勝手で傲慢な幼い少女ではない。彼女はもう望めば何にだってなれる。どんな時でも、どこにいたとしても、輝きを求める魂に応じて、憧れのワンダーランドは現れる。「私みたいな女王」と自身で言及しているように、やはり世界を望み創りあげることは傲慢や怠惰と紙一重なのだろう。しかし今彼女はその全てに責任を持つことができる。

さし絵の無い本も
たいくつな時間も
私いらないの
I wanna go My Wonderland
きっと不可思議なこの世界も 退屈
な昼下がりも
My Wonderland

かつてと同じ旋律を再び引用しながらもその心境は対称的である。『In Wonderland』では「いらない」と切り捨てた退屈な時間をも、「私の世界」として認めた。この対比が美しい。

世界の全てを最後の1滴まで飲み干したとき、太陽の光が少女の瞼を刺すように照らし、少女は夢の世界から醒める。洒落たジプシー・フィドルが歌い上げる、サーカスのカーテンコールさながらのアコースティック・シークエンスを経て、シンセの効いたエピローグへと突入する。

そうやって目覚めた少女が見た
愉快な幻想
継ぎ目だらけのストーリー
そしてノイズに塗れた
この街のどこかで
紡ぎ出すエピローグ

Not over yet
(まだ終わってはいない)
We just toe the starting line
(今まさにスタートラインに立ったばかり)

「普通の生活」へと戻った少女の物語は、ここからまた続いていく。オートチューンがかけられた英詞が含みを持たせつつ物語を締めたかと思いきや、不意にカメラが切り替わり衝撃的なエンドロールが始まる。

これは無数の筆で共に描いた物語
あなたの部屋の時計の音 無意識なその吐息
全てはそう全てはYour Fairytale

「無数の筆で共に描いた」とは本作がクラウドファンディングにより支えられて完成した背景を踏まえた象徴的な歌詞である。そしてこのたった3行の歌詞が、物語全体の構造を土台から変えてしまう効果を持っている。「あなたの部屋の時計の音 無意識なその吐息」、そう呼びかけられた瞬間に、聴き手自身もまたこの物語の一部として取り込まれてしまうのである。

不思議な世界への旅はあなたの部屋から始まるかもしれない。あの時ウサギを急かした時計の音はどこから聞こえていたか?少女をワンダーランドへと導いたのは誰だったか?いや、導かれたのは少女だけだったのか?
全てが「My Wonderland」だと悟った少女と同じように、あなたもまたこの気づきから逃れることは出来ない。全てはあなた自身の物語だ。

そして、不思議な世界へ導かれ、そこでの旅を通して「ワンダーランド」の真理に触れた少女は、いつの日かきっと今度は導く側に回ることになる。退屈な日常を離れることを望む子どもが現れたとき、彼女は、そしてあなたは、教えてあげることができる。

Everywhere, if you trust
(信じればどこにだってある)、と。

だからこそこの物語はまだスタートラインに立ったばかりなのだ。アルバムの最後には、次なる物語への扉が開く。

どこかでまた、ページをめくる音が聞こえる──。

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