コート・トート・回顧

仕事始めは明日からだったのだけど、気に掛かることが多かったので今日は午後から職場に出た。こんな言い方するとめちゃくちゃ真面目で仕事熱心のようだが、どちらも真逆なのが実情であって、単に年末をごちゃぐちゃのべびょどろになんとか逃れてきたというありさまだったから、こうでもしないと明日からがヒサンなだけだ。

しかし年始休みの最後でもあるし、すこしは出掛ける気分を出したいと思ったのか、あまり着ていないコートを引っ張り出すとこれがなかなか気に入った。こんなのです。


3年前?に買ってあんまり着てないコート

なぜあんまり着てこなかったのかというと、襟が大きく開いていて中になにを着たらいいのかわからないから。あと冬は例年忙しくて、なかなか外に出られていないというのもある。ので、コート自体は他のを着まわしてきた。
でもこれが悪くない。軽いし、けっこう生地が大きいのに見た目にも軽そうなのが不思議だ。羽織ってる感じになる。色味がいいんだろうか。かつ、暖かい。

なんか毎年ちょっとだけ着て「こんなに良かったんだ!?」となって、そのまま着ないでしまっておいてる気がする。自分のなかでそんなに大事な位置に置いてる気はないけど、無意識に「とっておいてる」んだろうか。自分は貧乏性なので大事なものほどあまり表に出してこない。それは苦手意識があるのかもしれない。「あたしンち」でもそういう話があった。お母さんが高価な食材をふとした拍子に手に入れても、大切に思う気持ちが強すぎて「食べたいけれどこれは今日じゃない。大事な日に食べるもの」と毎日置いておくうちに存在を忘れてしまい、思い出したころには賞味期限が切れている、というクセを持っているのだ。

話は変わるが、上の写真の左端に写っている黒いバッグがある。これは去年国立新美術館で見かけたTEMBEAのトートで、一目惚れして買ってしまったものだ。


黒いトート

その場でなにか買うつもりもなかったので、痛い出費だったがやはりTEMBEAはいい。前にもこれよりも大きなものを原宿?の店舗で買っていたけれども、サイズ的に気軽なものがあればな~と行く先々で探していた折のことだった。しょうみなところ国立新美術館で李禹煥を見た帰り、なにを目当てにでもなく地下のショップに行ったのはそこが初めてTEMBEAのバッグを知った場所だからで、折に触れて寄ってはいたもののやっぱりここのバッグを求める気持ちがあったように思う。
だから、結局買ってしまったあとには「してやられた」と思った。バッグのほうではそんなもん知ったこっちゃないだろうが。
でもとても気に入っています。肩紐の両端が大きく反ってきたり本体とのジョイントが紐だったりというのに不安はあるけど、それでも気にならない。深く締まった黒色がいい。

毎日「今日はこれを書こう」とかいろいろ思いつくことはあるのだけど、すべてなんやかやしてるうちにわすれてしまい、寝る30分前になって目についたもののことを書くことになる。アイディアは書きとめておくクセもできたが、なんだか後から見返すと面白くない。広げたり突き詰めていくのは骨が折れそうだったりする。

もうひと月以上も「毎日なんか書く」という雑駁なテーマのもとに1000字ほどの投稿をアップするのが続いているが、ひと月超えたところで「こんなものか」というのも見えてきたように思う。なんとなく、これが100日続こうが1000日続こうが感触は変わらない気もする。いちおうはアウトプットやライティングの練習という名目もあるが、それとて眠気に脳のほとんどを占拠された状態でなんとか紡いでいる雑文を続けたところで、知れているような気もするし、もはやそうした成果や結果を求める気持ちもほとんどなくて、ただ続けているなら続けられればいいかな(続かなかったならそれでもいいかな)と思う。思いながら続けている。「続いている」ことのさなかにいるというのは、ヘンな気分がするものですね。

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