打ち切りすれど自由は死せず

推してる連載が終わる……!(気がする)

今日話題になった違国日記のことではないです。もっと別な、マイナーなほう。

雑誌で追っている漫画の終わりに直面することはいくつになっても慣れない。「どうしてこうなってしまったんだ……」という、間違った世界線に迷い込んでしまったような気がする。背後には悩ましげで不吉な渦巻きが、うかんでいる。

大団円でも打ち切りでも同じこと。なんだか「終わる」って間違っている気がする。というか「終わる」ものがある一方で自分は居続けるというのは、不条理だし傲岸だと思う。物事にそうそう終わりなんてないんだから。終わるときは一切がみな平等に終わるべし。そうじゃないかね。

手のひらからポロポロとすこしずつ、しかし止めようもなくどんどんこぼれ落ちていくのを眺めている、叫びだしたくなる気持ち……。
そして気がつけば周りはすべてそんなものばかり。わたしたちはやがて失われてゆくものたちの海に漕ぎ出した小舟で、掌を眺めているうちにあちらでも消えこちらでも消えして、ふたたび戻ることはない。
世界の総量は同じかもしれなくても、消えないのは「記憶」という痕跡だ。痕跡こそがわたしたちを、わたしたちたらしめる。
記憶というのは脳みそのメモリだけではなくて、空白とか、繊維片とか、傷跡とかのときもある。わたしは忘れても、「わたしたち」は忘れない。

昔、同時期にジャンプ読んでた友人から、「君が好きになる漫画はいつもすぐ打ち切りにされちゃうからもうなにも好きにならないで」と言われて、いまだにトラウマである。そんなこというなよ。

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