いいじゃんね

わたしは大島弓子さんの「バナナブレッドのプディング」という漫画がとても好きで、マジメに15年くらい読み続けていて、最初に読んだときとかはそれこそぜんぜんわかんなくて、でも何度も読んでいて、そぅしてたらも、感動に溺れるようにいつしかなってしまっていて、それは年々酷くなっていて、もうなにが好きなのかもわからん、どこがいいとかもわからん、なんなら初めて読んだときと同じで、どういう理屈とか、なにが書いてあるのか、いまだになんにもわからん、毎回新鮮に読む。

でもたぶん20歳くらいのときがいちばん酷かったというか、深い深いところで救われたような、ていうか掬われた、落ち続けて、どこに行ってしまうかもわからんタイミングでちょうどよく、ハッと、しかと、掴み上げてくれた、そんな気がするなぁ。

そんなだから、そんな心酔してるから、浸水、て、もうズクズクになってて、わたしは大島弓子さんの話をひととするのが怖い。心を鎖してしまいそうになる。そんなことする必要ないのにね。でももし、相手が「バナナブレッドのプディング」をわからんかったとか言ってきたり、もしそうはならなくて、すごく好きで、そのひとも救われたみたいな感想を持つひとだったり、しても結果はどっちも変わらない。前者にはもうなにも言えなくなってしまうし、後者につけてもそのひとの感動したところはきっとわたしのとは違くて、わたしが感動したところにはそのひとは触れられないだろうから、悲しくなってしまうと思う。

まあそんなんもいい、どうでもいんだけど、まえ~~~に、「バナナブレッドのプディング」の感想とか批評みたいのはネットで漁ってて、たぶんだいぶ前の個人ページみたいのだからもういいと思うが、なんか「最後はなんかいい感じになったけど、衣良ちゃんと峠さんは恋愛してもうまくいかなそう」みたいなことを言ってる人がいて、すごく嫌だった。

悲しかった。なんでそんなことを言うんだと思う。(いいんだけど。個人の感想だから)

描かれてない後のことを勝手に想像して、なんか否定的な、バッドエンディングみたいなことを匂わせて、しかもそれが恋愛の成就とかのことで、そんなの個人の自由じゃん。うまくいかなかったとしても良いも悪いもないじゃん。

それに「バナナブレッドのプディング」ってもともと王道恋愛少女漫画じゃないと思う。真っ向から恋愛して、お互いに好きになって、交際して、結婚して家族になって、幸せな家庭を築く……とか、そんなストーリーは漫画のなかのどこにもない。そこがいい。恋愛じゃなくても「好き」はあると思う。家族にだってなれるかもしれないけど家族でなくてもいいと思う。峠さんはそういう気持ちで最後のセリフを言ったと思う。

旅行が終わって疲れた……ので、なんかやたら感傷的になってしまった。「バナナブレッドのプディング」のことは、これからも何度でも言及すると思う。

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