見出し画像

「田舎育ちと認めてもらえない」苦しさ

私は、世間いわく「ベッドタウン」だとか、森永卓郎氏いわく「とかいなか」と呼ばれるような町で生まれ育ちました。
県内でも人口規模はほぼ真ん中くらい、電車一本で一時間と立たず大都会に出れるような場所ですが、広大な田畑に加え豊かな山々に囲まれています。
家の庭にたぬきが出たり、近くの田んぼにうり坊が出たり、夏の夜は虫や蛙の声が一晩中聞こえたりと、恵まれた自然環境。もちろん農業を営む人も多くおり、ここに住む人たちはみんな「ここは田舎だから」と話します。
私も会話する中では自分の生まれた街を田舎扱いします……たった1箇所、かつての仕事場をのぞいては。


私が新卒で就職した町は、それはそれは県内でも有数の「ど田舎」でした。
私の実家のある街からは100km以上離れており、その距離が故に風習も文化も馴染みのないものばかり。
そんな場所で生まれ育ったお客様や先輩方からすれば、私はさぞ新鮮に見えたことでしょう。
「どこから来たの?」と聞かれた際、故郷の町の名を出せば「そんな都会から来たの〜?!」といつも驚かれ、それからは「都会にはこんなものはないでしょう」という話が続くのです。

少しくらいなら気にしませんが、結局は年単位で「都会に住む恵まれた子供」として、あるいは「街から来たお嬢さん」として振る舞わねばなりませんでした。

それが思ったよりも辛かった。

そりゃ、三十分に電車が一本しか来ない苦労はわかりませんよ。山が深い土地ならではの自然災害も決して多くない。
でも、ユニクロや無印良品に一時間かけて行かなくちゃいけないこと、娯楽がカラオケとパチンコしかないこと、車がないと生活が厳しいこと…あなた達が言う田舎の条件というのはすべて私が住む町にも当てはまる条件なんです(そして私はそれらが大嫌いでした)
おばあちゃんが作る煮物も干し柿も梅酒も、田舎の蔵がある広い家も、春の農薬散布も、夏の蛙の大合唱が聞こえる田んぼも、秋の稲藁やコンバインも、冬の大根の収穫も……、「あんたの街にはこんなものないだろう?」と話すそれらは全部私の幼い頃からあったものなんです。(そして私は故郷のそれらが大好きです)

たしかに別者、よそ者ではあるけれど、丸っきり違うわけでもないんです。
どうして私はあなた達と別者として扱われなきゃならないんですか?

相手に悪意がないとわかっているし、話題を作りたいだけなのだともわかっているけれど、その話題が出るたびに目の前に一本スーッと境界線を引かれた気がしていました。

別にいつでも本音でいる必要はないし、割り切ればいいだけなのですが、たまに心の中の未熟な自分が苦しんでいるのを感じます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?