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あなたがここにいなければ #あたたかな生活 #シーズン文芸

note文芸部が新たにお送りする #シーズン文芸 創作企画!
3・4月のテーマは「あたたかな生活」。



記念すべき第一回はこの方、岩代ゆいさんです!







「あたたかい家庭をつくりたいと思います」


***


 ふたりで暮らし始めて、最初の土曜日。ウィークデイは遅くまで仕事をしている夫のために、昼頃にフレンチトーストを作ってみた。
 卵をといて、牛乳やら砂糖やらを加えて混ぜて、食パンに長い時間ひたす。パンに卵液がじっくりと染み込むのを待ちながら、私は寝室の夫を覗き見た。起きてくる様子はまったくなく、キッチンに戻ってフレンチトースト作りを再開する。
 あつあつに熱したフライパンにたっぷりバターを溶かして、いい香りがしてきたら卵色のパンを放り込む。ジュウジュウとかわいい音がして、おいしそうなにおいが家中を賑わせる。3LDKの広めのマンションを借りて、私たちは新婚生活を始めていた。

「ねえねえ、フレンチトースト作ったよ」

 私はできあがった料理が冷めてしまうのがもったいなく感じて、控えめに夫に声をかけた。起きる気配のない彼は、ぴくりとも動かない。

「起きて食べない?」

そうやって少しずつ声をかけていたら、彼は目を覚ました。

「おはよ。フレンチトースト、食べる?」
「うん、食べる」

 ふたりで食卓について、あたたかいフレンチトーストを食べる。独身時代、ほとんど料理などしたことのない私だったが、フレンチトーストは上手にできた。

「おいしい?」
「うん、おいしいよ」
「よかった。おかわりあるよ」

 フレンチトーストは、甘くておいしかった。そして夫は、少しも嬉しそうではなかった。私の心臓のポンプからは、水のような冷たい血液が汲み上げられた。能面みたいな表情の彼を眺めて、私はぬるいコーヒーを飲み込んだ。

 フレンチトーストは、なんの味もしなかった。


***


「別居でも離婚でもすれば。俺はどうでもいい」


***


 実家へ帰ることにした。重症の鬱病と診断されてしまったからだ。
 「妻の看病」を言い訳に休職していた夫に上司は、「奥さんは実家で静養させなさい。君は仕事に来なさい」と言った。望んで転職した職場を半年もせずに拒否しだした夫は、不本意極まりないという表情を見せ、家具やドアに当たり散らした。乱暴なことをする男、という生き物を見たことがない私は、恐怖におののくばかりだった。

 実家へ帰ることにした。

 夫が、恐ろしいから。

 東京へ向かうのぞみを待ちながら、私たちはふたりでベンチに座り、買っておいた天むすを食べた。涙が止まらなかった。あんなに恐ろしくておののいていた夫が、とても愛おしくかわいい存在に見えた。自分が好きで結婚した男だ。選択が間違いだったなんて、みじんも思いたくなかった。
 なにを食べても、味のしない日々を送っていた。食欲はなく、眠った気分にもならず、感情は砂漠のように渇き、事態を理解できない人形となり果てていた。

「おいしい?」

夫は私にたずねた。私はうなずいた。

「おいしい」
「そんなに泣くなよ」
「ごめん」
「別居するって、自分で決めたことだろ」

 ハンカチで涙を拭い、ティッシュで鼻をかみながら、私は幾度もうなずいた。
 自分で決めたのだ。実家へ帰ることを。

 食べ物の味がしなかったはずなのに、その天むすは不思議とおいしく感じた。


***


 2001年8月に新居に引っ越し、2002年3月に実家へ戻った。短かった結婚生活に幕を下ろし、壮絶な闘病に18年をかけた。
 私の心は荒れ果てて、傷を作ってはかさぶたを幾度となくはがして血を流し、新たな傷を作るために自らを犠牲にした。

 今でもきっと、フレンチトーストを作ることはできるだろう。それはきっとあたたかく甘く、幸せの味がする。ほっとするようなバターの香りがする。
 天むすは今でも好物で、出会うことがあれば時折いただくこともある。とてもおいしいと思う。


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「なんでもいいから、なにか書いていたい」


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 2019年5月、noteへの投稿を始めた。なにもかも新しくしたくて、「岩代ゆい」という新たな筆名も作った。岩代ゆい、の響きは私にとってあたたかく、やさしいものだった。他のどこにもいない「わたし」が、そこにいた。
 少しずつ、少しずつだが、記事が増えるにしたがって、コミュニティが広がっていった。出会った人はみんなあたたかく、穏やかに、そして楽しく私を迎えてくれた。私に無駄な悪意を向ける人は、ただの一人もいなかった。

 私は、なにかを書き続けた。火を噴くように、怒りをぶつけるように、書き続けた。書き続けることで、荒れ果てた心がゆっくりと癒されていった。

 いつのまにか、私はあたたかくなっていた。

 暴力、結婚、暴力、離婚、暴力、暴力、暴力……そして、多くの出会い。得がたい出会い。
 「あたたかな生活」を夢見て大人になった。あたたかな生活は存在しないことを知った。私の知らないところに存在するのかもしれないけれど、私がイメージする「あたたかさ」はまぼろしだったと思う。どこかの映画、小説、ドラマ、マンガ、コマーシャル……そんなものにごまかされて、大人になった。

 本当の「あたたかさ」は、自分が今ここに存在していることを、しっかりと見つめることから始まる。
 「わたし」がここにいないのに、にせものの「あたたかさ」を演出しようとしても、冷ややかなものにしかならない。
 どんなに熱いフレンチトーストを作っても、ふたりの心は冷えきっていた。ふたりが別れようとしたとき、初めて天むすの味が口の中に染み渡った。心の舌は、正直だった。


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「あたたかな生活なんて、ないと思ってた」


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 あたたかな生活は、正確には存在しない。存在するのは、ただの人間の生活だ。
 それをあたたかくするかしないかは、わたし次第。
 誰かにあたたかくしてもらうものではない。自分次第で、生活は冷ややかにもなるし、ぬるくもなくし、暑苦しくもなる。あたたかくしたければ、あたたかな自分自身を、胸の中に育ててやろう。

 いま、わたしの心は、あたたかい。

 だから、わたしの生活も、あたたかだ。


***


「ありがとう」


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岩代ゆいさん、ありがとうございました。
それでは次回もお楽しみに!

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