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幸せはいつも心の中に #あたたかな生活 #シーズン文芸

note文芸部が新たにお送りする #シーズン文芸 創作企画!
3・4月のテーマは「あたたかな生活」。


本日はこの方、tsumuguitoさんです!







『 あたたかな生活 』という七文字を目にして、いちばん始めに頭の中に浮かんだのは『 カラダの中にあるあたたかな場所 』・・・心(こころ)だった。


19歳の長女をお腹に宿したときからはじめた、絵本の読みきかせをする中でめぐり合った言葉『食べ物はからだの栄養、読み物はこころの栄養』という、今こうして口にしてみても、いつでも素直にスンと心の奥まで入ってくる大好きな一文は、私の中のいちばんやわらかな場所に根を下ろし、いまでも少しずつ育っているように感じる。


現在、娘たちに絵本を読んで聞かせることは、残念ながらほとんどなくなってしまったけれど、長女を出産してすぐから、毎月2冊ずつわが家にやってきた絵本は240冊を超え、小さな本棚の中ぎゅうぎゅうづめになって今も仲良く並んでいる。




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これはワタシが営んでいた惣菜屋の店内・・・今はもうない。



絵本ひとつひとつを手にすると、それぞれの絵本には何かしらの思い出があって、どれも手放すことはできない大切な宝物だということを感じる。
ふとしたとき、ときどき手にしてみる絵本は、いつ読んでみても愉快で可愛くて切ない世界が広がっている。絵本のページをめくるひとときは、今でも目を細めたくなるような、たいせつな思い出に浸ることができる癒しを私に運んできてくれる。


お話と絵の楽しさに加えて、それを読む年長者と聞かせてもらう子どもの間に流れるやさしく甘い空気・・・それらぜんぶをシルクのリボンで蝶結びにして一纏めにしたものこそが絵本にまつわるオモシロさではないかと思う。
膝の上に娘を座らせて、娘の後頭部ごしに絵本を読んでいたあの頃が懐かしい・・・。

食べ物がからだの栄養になるように、絵本や本がこころの栄養になるとするならば、絵を見て文字を読む行為は、それらを目から「食べる」という表現がぴったり当てはまると思うし、実際に私はモノを読むときにその文字を食べているような感覚を持っているため、文章を食べるとか文字を食べるという表現をよく使っている。


年齢のせいで目の筋力は著しく低下し、食べられる量にも限りが出てきたことが少し寂しく、これが最近のジレンマになりつつある。そして、限りがあるからこそ、どうせ食べるなら美味しいものを食べたいと思ったりもする。


小説、エッセイ、詩、短歌、そして検証を重ねたレポートなど、文字を紡ぎ文字を重ねた記事をこのnoteで読むことは、今のワタシにはこの上ない大きな喜びとなっていて、noteのない生活はちょっと考えられないほど、ワタシの生活の中で大きな比重となり深くどっしりと沈んでいる。


また、文字ではないけれど、美しい写真や、ほのぼのする楽器の音や歌声などは、どれもこころにフワッと沁みこんできて、文字と同じく目と耳の両方からもたっぷり味わって楽しませていただいている。


それでも、やっぱり生身の人間だ。
実際のカラダが体温を保ち、あたたかな生活をおくるために、いちばん大切なのはやっぱり、海や山や畑や田んぼからとれたかつては生きていた様々な命を食べるという行為だ。


米を研ぐ、出汁をとる、まな板の上で刻む命。煮て、焼いて、炒めて、蒸して、かつては生きていた命たち。
食べるものには「いただきます」「ごちそうさま」の間に「おいしいね」「ありがとう」の気持ちを持っていたいし、これは娘たちにもそうであってほしいと願っている。


「食べる」という作業に、必ずついてまわる「作る」という作業。
一人ですれば一人なりに、誰かとすれば誰かとなりに、それは楽しいひとときになるし、誰かの「おいしい」を思い浮かべて料するひとときは、それはそれでなかなかに幸せ感じるお手軽幸せ時間だ。できるなら、その幸せを感じる力をつけるところまでは、娘ふたりに伝授したい・・・これはワタシの小さな目標のひとつだ。


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ずいぶん前からモノを食べるときには、できる限り食べていることだけに集中するように気をつけている。

食べているその命に集中すること、たとえ1回の食事が、わずか10分足らずであったとしても、食べたものはやがて、細胞の中で分解され組み立てられ、からだの中に染み込んでいき、やがては私の命をつくってくれるもの。

そう考えればやっぱり、かつては生きていた命を食べるという行為・・・このことだって疎かにしたくないと思っている。
(暑苦しくてごめんあそばせ!笑)
生きるために殺した命を食べるという行為・・・これもあたたかな生活には欠かせないことだろう。


そして、あたたかな生活に欠かせない、もうひとつ大切なもの・・・。
それは自分をふくめた誰かや、身の回りにある様々なモノやことを愛する気持ちではないかな・・・と。
身の回りのあれこれを愛するという気持ちは、あたたかな生活には欠かせない死ぬまでなくしたくないこころの中の宝玉(たからだま)だ。


愛するふたりの娘にとっては父親となるワタシのオットだが、オットに対して現在のワタシには1ミリも愛はなく、時がきたらこの家を出るつもりでいる。人生100年と考えれば、現在のワタシは折り返して数年、春夏秋冬でいえば夏が終わって現在は秋・・・そしてやがてくる冬。


これからどんどんからだは衰えを増し、水分の蒸発とともに皮膚にはシミやシワが全身に刻まれて、関節のぎこちなさや筋力の衰えは内臓にまで達し、今までできたことも少しずつできなくなっていくだろう。


だからこそ、最後のふたつの季節、秋と冬は、あたたかな気持ちで穏かに暮らしていきたい・・・そんな風に考えている。


具体的にこうしたい・・・ということはできないけれど、幸せを感じる力と同じくらいに幸せを求め、育てる力、そして、命を磨いていく覚悟を持ちつつ、こころを尖らせるような人やモノや事からは、できるだけ遠く離れることを意識してはじめて『あたたかな生活』をやっと手にすることができるような気がしている。


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なんだかずいぶんと抽象的な話になってしまったけれど、決して酔っているわけではない。
理想通りににはいかずとも、理想は高く持って暮らしていきたい・・・。
どちらかというと浪漫派なので、真剣にことを考えるとこういうことになってしまうことご承知おき願いたい。


きっとこれからも、歳の割りに乙女チックなことを言い募りながら、バカ話をアテに酒に酔い、無駄な笑顔を撒き散らしながら、大声で笑いころげる。そうして、ひっそりと恙ない生活を積み重ねていくことこそが、ワタシにとってのあたたかな生活なのだろうなあ・・・と思っている。



あたたかな生活・・・


それは
誰にでも
今すぐにでも
手にすることができる
いちばん身近にある
幸せなのではないだろうか・・・。



おしまい


***


note文芸部の『 あたたかな生活 』という素敵な企画に参加させていただきました。文芸部に入部してふたつめの記事・・・まだ少し緊張しておりますが、いろいろな人格を小出しにしながら、いつか「てやんでえ!」と叫べる日がくるまで、楽しく部活動に参加させていただきたいと願っております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。  

                       

2020年3月22日





tsumuguitoさん、ありがとうございました。
今回で3・4月テーマ作品はすべて終了です! 寄稿いただいた皆さま、ありがとうございました。
次回は5・6月テーマの告知します。お楽しみに!

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