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役に立つとか、立たないとか。

先日、昔の恩師と話す機会があり、私からすると雲の上のような存在の彼女の口から以下のような言葉を聞き、驚きのあまり絶句した。

役に立つか、立たないか。
役に立たなければ、価値がない。
私は、その基準で生きているのかもしれない。

そんな恩師の言葉と、昔の私の体験がリンクした。本当に突然、思い出した。

どうしてこんなに寂しいと感じるのだろう

今から10年以上前の事。
5年近く遠距離恋愛をした彼と、晴れてひとつ屋根の下で暮らせるようになった。
仕事に関して、「君の思うようにしたらいい」とのたまうパートナーの言葉に、あまり深く考えもせず、専業主婦になった私は、その瞬間を幸せの絶頂のように感じていた。

でも、しばらくすると、小さなアパートは息苦しさを感じるようになった。
夫の帰りを待つ時間は長く、二人分の家事はあっという間に終わる。
頑張れば頑張るほど、反比例して孤独を感じてしまう。

幸せだと思っていた結婚生活なのに、どうしてこんなに寂しいと感じるのだろう。

とにかく何かで自分を埋めようとする

当時は、パートナーに早く帰ってきてほしいとか、
子供をもうけたいとか、資格を取ろうとか、
アルバイトをしようとか、とにかく何かで自分を埋めようとしていた。

今ならどうしてそんなに焦っていたのか、分かる気がする。

誰かに、ありがとう、と言われたかった。
誰かに、君が居てくれてよかった、と言われたかった。
そしてなにより、
居るだけでいいと言う事を、自分に許可できていなかったからだ。

私の心の器には大きな穴が開いてた。
だからいくら愛情を注がれても、資格を取ろうとも、溜まることなく出ていく。

昔の私を受け入れる


隙間を埋めるのが目的だったから、その時とった資格は今では全く忘れてしまっているし、パートナーが早く帰ってきても、満足しない。
家族計画も話し合いは決裂、アルバイトは長続きしない。
とにかく何かで自分を埋めようとしていたから、
当然と言えば当然の結果である。(我ながらなんて情けない…)

でも、そんな昔の私も今では愛おしいし、いじらしい。
当時の私は、沢山失敗したけど、私なりに必死だった。
責めたって何も生まない。だったらしゃーないしゃーない!
とあけすけに笑い飛ばしてしまおうじゃないか。

怖がらなければ、何でもできる

めったに振り返りをしない私だけど、今日だけ、少し考えてみる。
もし、当時のどん底だと感じている自分に声をかけるとしたら、
何と声をかけるだろう。

誰かに幸せにしてもらえると思ってたんだね。
ちょっとだけ自分を変えてごらん。
え?自分を変えたくないって?
こんなに素晴らしい物を持ってるのに、自分の幸せを誰かに委ねるの?
まぁ、あなたが選ぶならそれも悪くないけど、
未来はもっと幸せだし、好きなことやってもいいんだよ。
誰かと比べて凹むこともまだまだあるけど、それもネタにしてるよ。
子供はね、何度か流産するし出産で子宮破裂して死にかけるけど、3人の可愛い息子たちに囲まれてる。
そのうえ、勉強したい!って思うことにたくさん出会えてる。
大丈夫、まだ終わってない。怖がらなければ、何でもできるよ

37歳のこーみぃより

とまぁ、なんだか言いたい事いっちゃったな、と思う反面
私ってこんなこと思ってたんだと、すっきりした気持ちと驚きが混ざった気持ちだ。

私は私の、役に立っている

もし、また今後受け入れがたい事に直面した時、今日の様に未来の自分から声をかけてみよう。
役に立つとか、立たないとか、そんな狭い枠で自分を捉えないでいいと言う事を、ともすればすぐに忘れてしまう。

誰かの役に立たなくてもいい。

私は私の、役に立っている。核は自分でいいのだ。そこから広げていこう。




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・身近に聴いてもらえそうな人がいない
・時間が気になって、ゆっくり話せない
・アドバイスをせずただ、聞いてほしい
・相手の話も聞かなきゃ、と気を遣って思い切り話せない


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ぜひ、私にお声がけください。
ざっくばらんに、でも誠実にお話できたら、と思います。


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