第2回 調べる言葉が全部「やばい」

 初めてポッドキャストを作ってみて分かったのは、台本を作り録音して編集し、そこに音楽を入れて配信手続きをして…という一連の流れに結構手間がかかる、ということです。まだ私のスキルが低いだけかもしれませんが。
 一時期、某アルファベットのお料理教室に通ってたんですが、そこで初めてパンを作ったときも、同じことを思いました。昔、小岩井農場でバター作り体験をして、牛乳と何かを入れたペットボトルをひたすら振り続けて、できたバターがほんのちょっとだった時も、同じことを思いました。身近に普通に存在しているけど、実はものすごい労力のもとに存在しているものって、結構ありますよね。

調べる言葉が全部「やばい」

 仕事やプライベートでいろんな会社の名前をネットで検索することがあって、会社名を検索窓に入力すると、必ずといっていいほどサジェストで、直後に「やばい」が出てきます。最近まで世間を騒がせていた某大きい車の会社とかならまだ分かりますが、知らない人はいないような大手の超有名企業であっても、予測で最初に出てくるのは「やばい」なんです。病院とか著名人とかもそうです。何調べても「やばい」なんです。ちなみに「仕事」と検索すると、その後に出てくるのは「やめたい」「嫌だ」「行きたくない」です。なんだか物悲しくなってきますね。
 で、そんなに「やばい」ばっかり出てくると、調べているこっちも心配になってくるじゃないですか。最初はここ関わらないほうがいいのかな、とか本気で思ってたんですけど、もう何調べても「やばい」なので、考えを変えました。
 みんな、ライバル企業を「やばい」で検索して、意図的に「やばい会社」だと思われるように印象操作しているのだと。それを全員がやった結果、全員「やばい」ことになっているのだと。みんなやばければやばくない状態になっているのだと。もしくは、その状態に持って行ってとりあえずみんな平等だよってことにするために、あらゆるものに「やばい」をつけて検索して回っている組織があるのではないかと。確信は持てないけど、多分どちらかだと思います。やばいかやばくないかは、自分で見極めていくしかないですね。でも、ほんとにやばいことって、誰もやばいと思ってなかったりしますよね。

「やばい」禁止令

 ところで、さっきから「やばい」を多用している私ですが、実家では「やばい」という言葉を使うことを禁じられていました。たぶん今、人生でいちばん「やばい」を使っています。第1回でも少しお話ししましたが、私は親が働きづめだったこともあり、同居する祖父母に面倒を見てもらっていました。主に祖母にしつけられたのですが、この祖母が変なところにやたら厳しい女で、別に由緒正しい家柄とかでは全然ないのですが、いろいろなことが禁止されていました。その禁止事項のうちの一つが、「やばい」という言葉を発することでした。
 どのくらい禁じられていたかというと、うちでは「やばい」はFワードに匹敵する扱いでした。アメリカ人が言ってるとピー音が入るし、書き言葉だとアスタリスクで消されるレベルだということです。
 それでは、「やばい」状態のときにはどんな言葉を使えばよいのか?というと、祖母曰く「まずい」なら可とのことでした。「やばい」の代わりは「まずい」だったんです。確かに「やばい」はあまり品のいい言葉ではないと思いますし、私も祖母の影響もあり、基本的には使わないほうがいい言葉だという扱いにしています。
 でも、「やばい」と「まずい」って、明らかに意味する状態というか、ニュアンスが違いませんか?漫画の登場人物だったら「まずい」より「やばい」のときのほうが、絶対顔にかいてる汗の量多いですよね?言葉が先に生まれたのか、状態が先なのかは分かりませんが、、その言葉でないと表せない微妙なニュアンスというのがどんな言葉にもあるのではないかと思います。方言でもそういうのありますよね。言語って難しいですね。
 では、ここで1曲お聴きください。


どん底で出会った中村一義

 この曲のFワードから始まるサビのフレーズ、もう自分以外全員敵、やぶれかぶれ、みたいな感情って、正直生きてると時々起こりますよね。ちなみに英語の歌詞わかってる風に言いましたけど、意味は親切な方が和訳してくれているサイトで調べました。
 そして、前回の配信で少しだけ触れた中村一義さんの曲に出会ったときの私も、そんな感情の真っ只中にいました。もう10年以上前で今思うとしょうもないことなんですけど、あることでものすごく落ち込んで、もう何がどうなってもいいやみたいな気持ちになっていました。そんな時に、どうしても実家に顔を出さなくてはならない用事があって、どん底の気分で実家に向かう高速バスに乗りました。
 私は乗り物酔いがひどいので、バスの中では本を読んだりスマホを見たりして時間を潰すことができず、大体は窓の外を見ながら音楽を聴いて過ごします。その時もなにか聴こうと思ってiPodを操作していた時に、少し前に知り合いからすごくいいよ!と言われて借りた中村一義のアルバムをiTunesに入れたばかりだったことを思い出して、しばらくバスの中だし聴いてみるか、くらいの感覚で再生しました。
 その瞬間、大袈裟かもしれませんが、もう一曲目のイントロで衝撃を受けたんです。こんなにすごい世界観の音楽ってあるんだ!と。アルバムの全曲を聴き終えた時には、落ち込んでいたことがちょっとだけどうでもよくなって、良い意味でのあきらめというか、解決は全然してないんだけどまあ生活していくしかないよね、くらいの気持ちにはなっていました。あからさまに励ますような曲はないんですけど、あの時の私は中村さんの音楽に救われたなと思っています。
 そんな中村一義さんのアルバム『金字塔』から一曲ご紹介します。


中庭っぽい話題とは

 第1回から「中庭っぽい話題」と言っていますが、どういうこと?って思いますよね。私も自分で言ってて、聴いている方に投げすぎだなと思いました。一応私の頭の中にぼんやりとしたイメージはあって、「中庭」と言われて思い浮かぶものってそれぞれ違うと思うんです。家の中庭とか、学校の中庭とか、病院の中庭とか。上沼恵美子は淡路島が庭らしいので、中庭は万博記念公園あたりでしょうか。そういう、皆さんが思い浮かべる、それぞれの中庭で話してそうなこと、というイメージです。そんなに深刻な話でもないけど、日常の中でふと気になって、突き詰めていったら何時間でも話せそうなこと、ですかね。


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