五点ラヂオにつひて

 小生はこの春三十八年間勤め上げた会社を辞し、今は細君と二人、日がな家で過ごしてゐる。愚息はイギリスの大学院に進み、何やら英文学など齧ってゐるやうであるが全く帰ってこない。娘は大学の同級生に見初められ、卒業して直ぐに嫁いでゐった。恥ずかしそうにして家に連れてきた婚約者は、テニスの所為だと云ふ日焼けした肌に、白い歯が光る中々の好青年であった。今は夫となった商社勤めの彼の転勤により、京都に居を構えてゐる。今年の秋には孫が生まれるとゐふが、正直なところあまり実感がわかぬ。
 近頃細君は、台所で何やら笑ってゐることが多い。夕餉の際にも思い出してはアハハハと笑ってゐるので、ある時「何がそんなに可笑しいのだ。」と尋ねてみると、「五点ラヂオとゐふ番組よ。とっても可笑しいの。」と云ひ、その場で番組を流した。男女が何やら会話をしてゐるが、味噌作り女だの、バアキンだの、小生には全く訳の解らぬ話ばかりである。味噌は昔から細君がせっせと作ってゐるし、バアキンとやらは娘の大学の入学祝ひにせがまれ、銀座の三越で買ってやった鞄であったと思ふが、何が面白いのか矢っ張り解らぬ。突如、細君よりもけたたましい嗤ひ声がこだました。女のものかと思ったが、よく聞いてみると男のやうだった。男はよく嗤ふ。「私ね、このショウチャンの嗤ふ声がとっても好きなの。」と細君は云ふ。
 それからとゐふもの、小生も細君に合わせて、時折五点ラヂオなるものに耳を傾けるやうになった。相変わらず話の面白さは解らぬが、不可思議なことに、当初は珍妙だと思ってゐたあのショウチャンとかゐふ男の嗤ひ声が、小生の頭から離れなくなってしまったのである。もっとあの男が嗤わぬか、嗤わぬかと小生は望んでゐる。この夏には新大久保で五点ラヂオを聴く者達の集まりがあるやうで、細君は「娘時代のお友達と一緒に行くのよ。」と張り切ってゐる。この間は外商から、指輪やら時計やら買ひこんでゐた。「五点祭りに着けていくのよ。カルティエはもう飽きちゃったから。」
 細君は、イギリスで放蕩生活を送る愚息にも五点ラヂオを勧めたやうである。先日国際電話をした折に、彼は女のほうの話が面白ひのだと云っていた。若い者には通じる所があるのだらうか。
 「父さんも五点祭りに行ったら良ひぢゃなゐか。家の中にばかり居ると呆けちまふぜ。」
 愚息の言葉も最もだと思ふが、小生は未だ細君に云ひ出せずにゐる。細君が庭に植えた紫陽花を眺めながら、五点ラヂオとの邂逅につひて、つらつらとしたためるばかりなのである。
 
 
 
 
 
 

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