見出し画像

量子論のお勉強②


第2章 量子力学の基本原理 〜 不確定性と確率の世界

前章で見たように、20世紀初頭、古典物理学では説明のつかない現象が次々と発見されました。原子の安定性、黒体輻射、光電効果など、ミクロの世界に潜む謎を解明するには、新しい物理学が必要だったのです。

そこで登場したのが量子力学です。量子力学は、ミクロな粒子の振る舞いを記述する理論体系であり、20世紀物理学の最大の成果と言えるでしょう。

量子力学の基本原理は、私たちの常識とは大きくかけ離れています。粒子の位置と運動量を同時に決められない、粒子は波としての性質も持つ、観測者の存在が対象に影響を与える...。こうした量子力学の概念は、古典物理学の決定論的世界観を根底から覆すものでした。

本章では、量子力学の土台となる二つの原理、不確定性原理波動方程式の意味を探ります。ミクロな粒子が織りなす確率の世界を、少しでも感じてもらえたら幸いです。

2.1 ハイゼンベルクの不確定性原理 〜 「わからなさ」の科学

皆さんは、スマホのGPSで自分の位置を調べたことがあるでしょうか。GPSは人工衛星からの電波を使って、地上の受信機の位置を特定します。このとき、電波の発信源(衛星)の位置と速度が正確に分かっているからこそ、受信機の位置が分かるのです。

一方、ミクロの世界を記述する量子力学には、「不確定性原理」と呼ばれる、とても不思議な原理があります。これは、粒子の位置と運動量(速度×質量)を同時に正確に測定することは不可能だ、という原理です。

不確定性原理は、1927年にドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクによって発見されました。彼は、電子の位置を精密に測ろうとすると、運動量の情報が乱されてしまうことに気付いたのです。

不確定性原理を象徴的に表したのが、「ガンマ線顕微鏡」という思考実験です。電子の位置を観測するために、波長の短いガンマ線を電子に当てます。すると電子からガンマ線が跳ね返ってきて、電子の位置が分かります。

しかし問題は、ガンマ線が電子に当たった瞬間、電子の運動量が変化してしまうことです。ガンマ線の波長を短くすればするほど、つまり位置を精密に測ろうとすればするほど、運動量への影響が大きくなるのです。

この現象を、日常生活に例えるなら、真っ暗な部屋でこっそり動く子猫の様子を観察する場面が思い浮かびます。部屋を明るくすれば、子猫の位置は正確に分かります。しかし明るい光は子猫を驚かせ、動きを変えてしまうでしょう。光を弱くすれば子猫は驚きませんが、位置ははっきりとは分からなくなります。

量子力学の世界では、私たちが精密に観測しようとすればするほど、対象の状態を乱してしまうのです。ミクロな粒子の位置と運動量の両方を、完璧に知ることはできないのです。

不確定性原理が意味するのは、粒子の世界には本質的な「分からなさ」が付きまとうということです。古典物理学が追い求めた決定論的世界観は、ミクロのスケールでは成り立たないのです。

自然の中には、私たちが知りたくても知ることのできない領域があります。不確定性原理は、人間の認識の限界を示した自然からのメッセージなのかもしれません。

2.2 シュレーディンガーの波動方程式 〜 粒子と波の二重性

量子力学のもう一つの柱が、シュレーディンガー方程式と呼ばれる波動方程式です。波動方程式は、オーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが1926年に発表した、量子の状態を決める基礎方程式です。

この方程式に登場するのが、「波動関数」と呼ばれる量子の状態を表す関数です。実は量子力学では、粒子の状態は波動関数によって記述されるのです。

波動関数は、古典的には粒子だと考えられていた電子などが、実は波としての性質も持つことを意味しています。粒子の世界に波動が入り込むとは、一体どういうことでしょうか。

実は、粒子の波動性は、すでに1920年代初頭に、フランスの物理学者ルイ・ド・ブロイによって指摘されていました。ド・ブロイは光の粒子性に触発され、物質にも波の性質があるはずだと考えたのです。

物質の波動性を確かめる有名な実験が、「電子線回折」です。結晶にばらばらの方向から電子線を当てると、一定の角度に電子が集中することが分かりました。これは、波である電子が結晶の原子配列によって回折したためです。

電子線回折の現象を、日常生活に例えるなら、海岸に打ち寄せる波を想像してみてください。沖から一直線に進んできた波は、防波堤にぶつかると様々な方向に曲げられます。波は障害物によって進路を変えるのです。

電子線回折の実験から、電子などの粒子が波としての性質を持つことが明らかになりました。粒子であると同時に波でもあるという、この二重性はミクロの世界の大きな特徴です。

シュレーディンガー方程式が示すのは、量子の状態が波動関数によって決まるということでした。波動関数は、位置と時間の関数であり、その絶対値の二乗が粒子の存在確率を与えます。

つまり量子の世界では、粒子の位置は確率的にしか決まらないのです。古典的には、粒子の軌道は原理的に完全に予測できるはずでした。しかし量子論では、粒子がどこにいるかは波動関数に従う確率の問題になってしまうのです。

シュレーディンガー方程式が記述する世界は、私たちの日常感覚からはかけ離れています。決定論的な粒子の描像は影を潜め、あいまいな波動の世界が広がっているのです。

2.3 観測問題とコペンハーゲン解釈 〜 観測者の役割

量子力学には、「観測問題」と呼ばれる大きな謎があります。それは、観測によって粒子の状態が突然変化してしまう現象です。

先に見たように、量子の状態は波動関数で記述されます。例えば電子の状態は、波動関数に従って空間中に広がっているはずです。ところが電子の位置を観測した瞬間、波動関数は一つの点に「収縮」してしまうのです。

観測によって波動関数が収縮する現象は、「波束の収縮」と呼ばれています。これは、観測者が対象に働きかけることで、量子の状態が変化してしまうことを意味しています。

波束の収縮は、私たちの常識とは相容れない現象です。例えるなら、見ていないときには部屋中を飛び回っていたハエが、じっと見つめた瞬間に一点に止まってしまうようなものです。

量子力学の創設者の一人である、ニールス・ボーアヴェルナー・ハイゼンベルクは、1920年代にこの問題に取り組みました。彼らが打ち出したのが、「コペンハーゲン解釈」という観測問題に対する考え方です。

コペンハーゲン解釈では、観測されるまでの量子の状態は確定しておらず、重ね合わせ状態にあると考えます。そして観測の瞬間に初めて、量子の状態が確定するのです。

つまり観測者の存在が、量子の状態を決めるのです。観測者と対象は切り離せない関係にあり、観測行為そのものが量子の世界に影響を及ぼすというのが、コペンハーゲン解釈の主張でした。

コペンハーゲン解釈に従えば、観測されない量子の状態は、確率的にしか語れません。「このハエは部屋のどこかにいる」としか言えないのと同じです。観測したときだけ、量子の状態は一つに決まるのです。

観測問題は今なお、物理学の大きな謎として残されています。観測によって対象が作用を受けるという量子力学の描像は、古典的な物理学の世界観を根本から覆すものでした。

2.4 シュレーディンガーの猫 〜 量子論が問いかける現実の本質

観測問題がいかに不可思議な帰結をもたらすかを、ユーモラスに示したのが「シュレーディンガーの猫」と呼ばれる思考実験です。これは、シュレーディンガー自身が1935年に提案した、量子論の矛盾を浮き彫りにする議論です。

シュレーディンガーの猫の実験を、ざっくりとまとめましょう。密閉された箱の中に、生きた猫と、毒ガスの入った瓶、そして放射性物質が入っています。放射性物質が崩壊すれば毒ガスが発生し、猫は死んでしまいます。

この状況を量子論で考えると、面白いことが起こります。放射性物質の崩壊は量子的な現象なので、崩壊が起こったかどうかは観測するまで確定しません。すると観測するまでは、猫は生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせ状態にあることになります。

つまり箱を開けて観測するまでは、猫は生きてもいれば死んでもいるのです。これは、私たちの常識からすれば信じがたい帰結です。観測する前の猫の状態は、確率的にしか語れないことになってしまいます。

シュレーディンガーの猫は、量子の重ね合わせ状態をマクロなスケールに拡大して見せたものです。量子の世界の不思議さが、私たちの日常世界にまで浸透してくるのです。

この思考実験が示唆するのは、観測以前の状態には、客観的な実在性がないのかもしれないということです。観測者の介入によって初めて、量子の状態は一つに決まるのです。

シュレーディンガーの猫は、私たちに問いかけます。観測によって作用を受ける世界とは、一体どのような世界なのか。古典的な実在観は、量子論によって揺さぶりをかけられているのです。

コラム②:アインシュタインとボーアの論争 〜 決定論vs.不確定性

量子力学の解釈をめぐっては、アルバート・アインシュタインニールス・ボーアの間で有名な論争が繰り広げられました。

アインシュタインは、量子力学の確率的解釈に強い疑問を抱いていました。彼は「神はサイコロ遊びをしない」と語り、世界の非決定論的な記述を認めようとしませんでした。

一方、コペンハーゲン解釈の旗手であるボーアは、量子の世界の特異性を主張します。彼は「実在とは何か」という問いを、観測者と対象の切り離せない関係性の中で捉え直そうとしたのです。

アインシュタインとボーアの論争は、1930年代を中心に断続的に行われました。EPRパラドックスと呼ばれる思考実験では、アインシュタインが量子力学の不完全性を指摘し、ボーアがそれに反論しています。

決定論の存在を信じるアインシュタインと、観測の役割を重視するボーアの対立は、物理学の解釈をめぐる論争の典型例と言えるでしょう。現在でも、この論争に決着はついていません。

量子力学をめぐる論争は、哲学的にも興味深い問題を投げかけています。世界は本来決定論的なのか、それとも非決定論的なのか。古典物理学と量子力学は、世界観のどこが違うのか。

物理学の探求は、私たちの世界の捉え方そのものに深く関わっているのです。

2章のまとめ

2章では、量子力学の基本原理である不確定性原理シュレーディンガー方程式の意味を見てきました。

不確定性原理は、粒子の位置と運動量が同時に決められないことを示しています。これは、観測が対象に影響を及ぼす量子力学の特徴を表しています。

一方、シュレーディンガー方程式は、粒子が波としての性質も持つことを明らかにしました。電子などのミクロな粒子は、波動関数で記述されるのです。

また、観測問題は量子力学の大きな謎として浮上しました。観測によって粒子の状態が突然変化する現象は、古典的な世界観を揺るがすものでした。

シュレーディンガーの猫の思考実験は、量子の重ね合わせ状態をマクロなスケールに拡張して見せました。観測以前の実在性について、量子力学は問題を投げかけているのです。

アインシュタインとボーアの論争は、量子力学の解釈をめぐる対立の典型例です。決定論の存在を信じるアインシュタインと、観測の役割を重視するボーアの議論は、物理学の哲学的問題の深さを示しています。

量子力学は、私たちの常識とはかけ離れた世界を描き出しました。粒子の位置は確率的にしか決まらず、観測者の存在が対象に影響を及ぼす。そんな量子の世界は、古典物理学の決定論的世界観を根底から覆すものでした。日常生活では感じることのない量子の世界の不思議。私はそれを感じ取ることによって、世界を新しい目で見つめ直すきっかけになりました。

次章では、量子力学の基本原理が、私たちの社会をどのように変えつつあるのかを見ていきましょう。量子コンピューター量子暗号など、未来を変える可能性を秘めた量子テクノロジーの世界を覗いてみましょう。量子の世界の不思議が、新しい科学技術を生み出す原動力になっているのです。

(不定期更新です)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?