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自分棚卸~自分デジタル史②

書いてるとどんどん長くなる…
前回の続きです。

4.社会人生活とネット環境

21世紀になった直後、私は新卒就職直後でした。就職氷河期真っただ中。

なお、手持ちのモバイルは大学院2年の頃には携帯電話になりました。imodeのついているカラー機種。これで着信音作曲したっけな。こんな感じで(笑)

寮生活で、そもそも時代的に寮にインターネットがなく。
大学院時代に遊んでいたチャットはあまりできなくなりました。まぁチャットで遊ばなくてもリアルでチャット仲間と遊ぶのは相変わらずでした。

私みたいな人がほかにもたくさんいたようで、少しすると「寮にインターネットをひこう!」ということになりました。みんなで寮にISDNだったかADSLだったかの回線を引いて、一部屋で分配して使う「ネット部屋」を作りました。

寮の中では「ホームページ委員」をやってて、Flashを使って動画をつくったりしていたなぁ。ついこのあいだ廃止になったFlashですよ。
今思えばこのFlashが私の動画づくりの原点かもなと思う。これで動画を作るという行為にハードルがなくなったんだな。
(余談ですが一番覚えてるFlashといえばこれでしょう↓)

1年後、別の寮に移動。またもやインターネットがなかったのですが、今度の寮はあまりほかの住人と顔を合わせるような寮でもないし、線をわざわざ引いたりといった契約をするのも面倒だったので、Air-H" を購入しました。

Air H" 出典:Sony

今だととても耐えられる回線速度ではないが、当時はテキストとちょっとした画像や音楽ファイル(しかもMIDI)くらいだったのでどうにかなったんですよね。
このあと3年以上、AirH"で乗り切りました。

5.なりきりチャット再びそして人狼ゲーム

その後またとあるなりきりチャットにハマり、ほぼ毎晩出現していました。
Crazymoon というチャットにハマっていたんですが、今となっては出てこないですね😢

お相手してくれるとても上手な方がいて、その方とかなり長い時間をチャットの中で過ごしたなぁという思い出。ある日を境にぱたりと来なくなってしまったけれど、あのときのあの方は今頃どうしているかなぁと懐かしく思いだすことがたまにあります。

DQ8がやりたくてPS2を購入したが、テレビがないのでチューナー付きのPCに接続したら、コントローラのボタンを押してから2秒後にエイト君が動く…という状態で、とてもゲームできたもんじゃなく諦めたことも。

DRAGON QUEST Ⅷ 空と海と大地と呪われし姫君 出典:SQUARE ENIX

ガラケーでサウンドノベルもやったな。なんだったかな…?

と思って検索したら出てくるもんですね。これでした!

『サウンドノベル 街 -machi-』

最後まで解いた記憶はないんですが…なんかすごいアクの強いゲームだった記憶があります。

そこから3年ほど経ってまた異動により引っ越し。仕事柄朝は結構早く、また夜も遅かったが、そのぶん職場まで徒歩でも行ける距離に居を構えさせてもらったため余裕はあった。人狼ゲームにハマり「汝は人狼なりや? 続わかめてエディション」というところに毎晩入り浸っていた。

このときのハンドルネーム、もとい人狼ネームは「みくす」。過去ログ(古いほう)を「みくす」で検索すると144件ヒットします。また、違う名前の場合もあるので(GMが名付ける村とか、〇〇命名縛り村とかもあったので)実際には200戦近くしたんじゃないかな。2005年頃によく遊んでました。ちなみにこの「わかめて鯖」、2005年にできた場所らしい。知らなかった。

わかめて鯖の人狼は8人村~30人くらいの村まで建てられますが、最もメジャーだったのは多分17人村。初日犠牲者がいるので16名スタートで、人狼3、占い1、霊能1、共有2、狩人1、狂人1、妖狐1、っていうのが最もメジャーな編成でした。昼5分くらい、夜3分くらい。最終日までやると1時間半以上かかります。それを2戦とかやる日もあったからなかなかに時間を割いていました。

コテハンのうまい人っていうのが何人かいて、その人がいるとどきどきしたっけな。

私は人狼側よりも村人陣営でいるときのほうが勝率が高くて、一番好きな役職は霊能でした。楽だからね(笑)

最近は人狼ブームらしいのですが、最近の人狼には怖くて近寄れてないです…💧

6.結婚式(多分)はじめての動画づくり

披露宴のときに流す動画を自分で作りました。

結婚式したのは29のとき、2006年の春。神社で結婚式を行い、そのあとその神社にある披露宴会場で披露宴を行った。

結婚式場のプランナーに「動画とか流しますか? 作成しますか?」と聞かれたが「自分で作ります」とあっさり答えた。

とはいっても動画って何で作るんだそういえば…? とあとから思いましたが、当時もっていたPCの中にSonyか何かの無料ソフトが入っていたので、それで作った記憶。写真をつなげて、BGMをかぶせて、キャプションを入れる、程度のものですが、それなりにいいのができました。

結婚してからは、逆転裁判をよくやってました。これもガラケーで。
逆転裁判みたいなノベル形式だと、ガラケーで十分遊べます。
これ以来、逆転裁判はライフワークみたいになりました(笑)

逆転裁判といえばこれ。「異議あり!」 出典:Impress

7.この国で育児しながら仕事するって無理ゲーだなと思った時代

第一子が2歳の頃、ワンオペ育児&仕事の両立が大変すぎて鬱になり、休職したことがあります。
生まれ育った街とは違う街で出産・子育てをしはじめたばかり、当然友だちなんていない。
子どもが生まれる前と同じ仕事をしていたけれど、もともと残業当たり前の仕事。それを定時の時間内にぎゅっと詰め込む日々。お昼ご飯もほぼ毎日席でおにぎりを食べながら仕事し、保育園のお迎えに間に合う18時ギリギリまで仕事をして、その後ダッシュで帰宅。
夫は毎日帰りも遅いし、土日も仕事に行ってしまって、子どもと二人でずっと過ごす休日。

そんな日々を繰り返していたら、ある日、何もしていないのに涙が止まらなくなりました。
また、毎日見る夢はひたすらトイレを探す夢。しかも、探しても探しても、用を足せるようなトイレは見つからない。汚すぎるトイレ、病室のベッドがトイレ、ものすごい狭かったり、そもそも入り口がドアになってないトイレ…。

そんなわけでもうダメだと思ってカウンセリングと心療内科に駆け込み、薬と診断書を出してもらいました。

休んだ日や、休職中は、日中何もする気にならず、ひたすら携帯やPCを見て気を紛らわしていました。
そのときによく見ていたのが、ニコニコ動画。

特にMugen動画にハマっていて、たらおさんのシリーズをよく見ていました。
こういうのです。

最初は知ってるキャラほとんどいなくて、DBの孫悟空とかしかわかるのがいなかったんですが、そのうちこの動画のおかげで元ネタは知らないのに好きなキャラが増えてきました。

時節的には、メルトやロミシンが流行っていたころ。「歌ってみた」にハマってました。組曲ニコニコ動画も好きだったなー。


まだ終わりませんでした😢

第二子出産後、「私のホストちゃん」と「消滅都市」にハマりましたが、その話はまた次回…。



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