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「日本人とユダヤ人」講読


             野阿梓


 
   第十六講  ソロバン
 


   1
 
文庫版の第十四章「プールサイダー(ソロバンの民と数式の民)」には、
 
「私はあるソロバンの名手を知っている。彼は実物のソロバンを手にもたず、頭の中にソロバンを浮かべて、目をつぶって数字を聞きつつ、想像もつかぬような複雑な計算をやってのける。彼のソロバンは文字通り、「存在」しないが「実存」している。彼は強い緊張感をもって意識してソロバンを頭に浮かべているが、この頭に浮かべたソロバンは、もちろん意識を極力排除して動かしている。意識しているものを無意識で動かすのは確かに至難のわざで、さすがにこういう名手は、どこにでもいるというわけではないが、こういう人、もしくはこれに類する人のことを西欧人に話しても、絶対に本当と思ってくれない――第一、そんなことできるわけがないではないか、計算するにあたって、意識的思考と集中力を排除して放心状態になれなんて、ほらもいい加減にして下さいよ、と――だが、ソロバンには正確に答えが出る。具体的な数字が結果として出てくる。ソロバンには検算が必要だが、これも、数式の一つ一つを念入りに検査するわけではない。第一、そんなことは出来ない。自分でもう一度やるか、他人にやってもらうかで、この二つの答えが合えばそれで良いのであって、その過程は問題にしたくてもできない。これが日本人なのだ。そしてこれが、他の国民には理解できない日本人の秘密なのだ」(二三一―二三二頁)
 
――とあります。
 
実を言うと、私もまた、この「ソロバン」の名手を知っています。むろん、ベンダサンの知る人と同一ではなく、それは私自身の父親でした。
一九一六年(大正五年)に日本で生まれ、大連育ちで、大連商業学校を卒業した彼は、理数に明るく、もし高等教育を受けていたら違った人生を歩んでいたでしょう。だが、呉服商だった養父母は、商人にはそれ以上の教育は必要ないと思っていたのだと思いますが、彼に(五年制中等学校に相当する)それ以上の教育を受けさせず、父は成人すると、技師として、満州電業という満鉄が百%株を持つ子会社である国策会社に勤めました。満州全域に電力を供給する大会社で、部下の大半は地元の中国人だったそうです。その後、日本に引き揚げた彼は、最終的に九州経済調査協会という地元に根ざしたシンクタンクに勤め、そこの庶務部の会計担当の課長になったと思います。数字に強くないと務まらない仕事です。
 
実際に、子供の頃の私は、彼が自宅で、複雑な計算を暗算で解くのを見たことがあります。目はそらざまにして、どこも見ておらず、脳裏に「実存」するソロバンを思い浮かべて、手指だけ少し動かす程度で、文字通り架空のソロバンを使って解答を弾き出していました。だから、このベンダサンの言うことが空想や誇張でもなんでもないことを、私は証言できます。まさしく、そういう名手はいたのです。
今は、ソロバン自体が、各種の電卓やPCの表計算ソフトなどの出現により、時代遅れになってしまいましたから、そういう人はいたとしても少数でしょうが、実際にいることはいる。それを私は知っています。
 
しかし、考えてみると、これは非常に不思議な話で、どうしてそのようなことが出来るか、説明できません。ベンダサンは、上の文章の少し前の箇所で、ある日本のお嬢さんから、彼女がラテン語を学習し始めて「ラテン語ってまるで数式のような言葉ですね」と言われたことから、西洋人にとって言葉は本来的にそういうものだったので、当然なのだが、日本語は全くそうではない。その論証の一つとして、和洋における「数」の扱い方を挙げ、西洋人なら四則演算をアラビア数字を使った筆算で導き出すが、日本のソロバンはそうではない。という事例を対比させるのです。そして、
 
「筆算は言うまでもなく、強度の意識的思考と精神的集中と注意力・持続力がいる。一方、ソロバンは全く逆なのだ。「考え」たらソロバンはとまってしまう。これは経験者なら説明の必要はあるまい。いわば数字を見つつ(あるいは聞きつつ――こんなことは西洋人には想像もできない)、意識的思考を極力排除して、無心で半ば放心状態で指を動かす、すると「答えが出る」。答えはあくまでも「出る」のであって「出す」のではない。(中略……オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」を引用し)私はこのドイツ人哲学者が、弓のかわりにソロバンに目をつけたら、もっと驚いたと思う。数を扱うという、最も意識的思考と集中力の必要なことを、全く無心で、数に乗って舞いながら、一銭一厘のまちがいもない答えを、明確に出しているのだから」
 
――と解明しています。そもそも、なぜソロバンが事例として上げられた、というと、その前段として、この章のテーマとして、日本に特有の職業として「評論家」のあまりに多いことを挙げて、彼らの言説の無責任さ、というより、彼らが使う言葉の重みの無さ、というものがどこから来ているのか、という疑問の、対極にあるものとして、教育における「数」と「言葉」に比重の差であり、日本人は数の訓練は(ソロバンで)行うから判るが、言葉の訓練は全く理解できないし、やってもいない。という教育の問題として、提示されているのです。ベンダサンは、日本人が数の扱いに長けているのは、「幼児からの伝統的な徹底的訓練と、ソロバンという五進法計算器の習熟と、万という単位の採用にあるのだろう」としつつ、
 
「またアラビア数字と長らく接触せず、従って筆算ができなかったということが、逆にソロバンという五進法計算器を極限まで活用する道を開き、同時にこれが徹底的に普及して(一種の計算器がかくも長期間、一国民に徹底的に利用されている例は他にない)、玉で(ということは数字という文字なしで)数を自由自在に扱うに至ったというのは、全く特異な現象である」
 
――と説明を試みています。たいていの日本人は、そこまで考えないでしょうから、これは確かに、日本の外部にいる人の眼差しがなければ、ほとんど日本人には理解できない、自分たちの美質であり優位性でしょう。しかし、イザヤ・ベンダサンという名前が、山本七平氏に加えて、ローラー、ホーレンスキーという二人の外人を交えたホームネームだったことを思い返すと、土台、こうした着想というのは、単に西洋人だから発想できる、というものではなく、日本人と外人の対話において、その間からのみ生まれるのだろう。という感慨をあらたにします。
 
   2
 
今では、江戸時代の寺子屋における「読み書き算盤」という一種のスローガン的な、昔の初等教育の必須要項が、PCの出現によって、「オフィスソフトのワープロソフトと表計算ソフト」といったものに取って替わられているようですが、それでも現在に至るまで文科省(旧文部省)の「小学校学習指導要領の算数の履修項目から、そろばんが外されたことはない」(ウィキペディアの「そろばん」項目による)そうですから、今でも、それを習熟させるまで練習させることはなくとも、少なくとも、ソロバンという歴史的な計算器があることと、その扱い方だけは、二、三時限を割いて、小学生は教わっているわけです。私の息子は、ゆとり教育世代ですが、そういう時間はあった、と言っていますから確かでしょう。
 
さらに、かつては隆盛を見た「そろばん甲子園」も参加者減により〇九年に廃止になった反面、ゼロ年代半ばから全国で「ソロバン塾」は再び増加傾向にあるそうです。
海外でも、たとえば、マンハッタン計画にも協力した変人の物理学者、ファインマンが、ソロバンの達人と自分の計算の速度を競い合ったことを自伝(八五年刊)に記す、とか、さらには、九〇年代にハンガリーで日系女性がソロバンを普及させた結果、同国の一割ほどの小学校で授業に採用されているなど、日本以外でも知られることは知られているようです。
 
タイトルは失念しましたが、私は、大昔のSFマガジンに載った短編で、宇宙空間で宇宙船に搭載していた電子計算機が故障して、漂流するクルーたちが、ソロバンを使って複雑な軌道計算をして、どうにか地球への帰還ができるようになる。といった作品があったのを思い出します。確かに筆算と異なり筆記用具が不足した環境でも、答えだけは出せるソロバンの優位性は、そういう極限状態で発揮されるかも知れません。その短編は、ファインマンの自伝より前に書かれたものだ、という記憶がありますので、かなり昔から、知っている西洋人はいたのだ、と思われます。戦後すぐの四六年に、逓信省(郵政省の前身)で一番のソロバンの達人と米陸軍一の電動式計算器の名人が対決して、ソロバンが圧勝した記事が米軍の機関誌に載ったことがあり、それを転載した新聞記事を読んで樫尾俊雄がカシオ計算機の発明の動機づけになった、といったエピソードもありますから、上記のSF短編のもとは、その辺かも知れません。
 
そうは言っても、残念ながら、ソロバンは日本が起源ではありません。日本に伝来したのは、中国経由で、中国語の「算盤(スワンパン)」がソロバンになったと言われています。誰がいつ、ということは判っていません。少なくとも一五世紀初頭には使用されていたそうですから、室町時代にはあったことになります。
ところで、私が初めてパソコン上で動作する「表計算ソフト」を目にしたのは、八〇年代も末頃、職場に配備されたIBMの五五五〇という機種に搭載されていたマイクロソフト社のマルチプランという製品でした。使いものになる、おそらく初めての表計算ソフトだったと思います(このすぐ後にNECのPC九八〇一に移植されました)。企業の会計の現場からソロバンが消えていったのは、このソフトとNECのPCが売れてからでしょうから、まあ、ざっと六世紀近くは、日本人はソロバンを使い続けたことになります。
確かに「一種の計算器がかくも長期間、一国民に徹底的に利用されている例は他にない」ことになります。CUIのソフトだったマルチプランのウィンドウズ上でのGUIの後継機種がエクセルですが、ウィンドウズがビジネスユースで使いものになったのは九五年のWindows95以後ですから、まだ、たったの四半世紀ほどです。ソロバンの歴史とは比較になりません。
 
ただ、ウィキペディア日本語版の項目を読むと、
 
「ひとつの特長として、一定以上そろばん(珠算)の能力がある場合、特別な訓練を経なくてもその場にそろばんがなくても計算できるようになることが挙げられる。これを珠算式暗算という。一般にある程度習熟すれば、加減算においては電卓より早く計算ができる」
 
――とあり、私の父や、ベンダサン=山本七平氏が知っている、ソロバンの達人でなくとも、そうしたことが、ある程度、可能であるらしく、ちょっと、残念に思いました。しかし、少なくとも、私の知っている範囲で、そういう芸当が出来たのは父だけでしたので、これはまあ、身内びいきで、記しておきたい、と思います。
 
あと、付言すると、私自身は父のこの理数に明るい、という血を全く引かず、中学時代から計算や数学はサッパリでした。社会人(国立大学図書館職員)になってからも、電卓を叩いて二週間分の受入資料の支払い合計金額を出すのに(脳内の短期メモリの容量が少ないせいだと思われますが)、三度叩いて三度とも数値が合わないことがあり、絶望しかけたのですが、その後、表計算ソフトの出現で、なんとか救われました。電卓は叩いているうちに、一行間違えると、どうしようもありませんが、表計算ソフトは縦と横のSUM関数だけ設定しておけば、縦の数値を入力していって、同時に横の合計も出ますから、打ち間違えがあれば見て判ります。短期メモリがない人間にも計算はできる。私が最初に出会ったマルチプランは、初歩的なスプレッドシートでしたが、本当によい時代になったと思ったものです。
 
それから、図書館員として、PCが必須の時代になってからは、MS-DOS時代からPCを導入したため、ウィンドウズに移行しても、数値計算だけではなく、文字列もデータとしてエクセルで扱う、というワザを思いつきました。これと、正規表現を使ったフィルタによる合わせ技で、私は、かなり高等な文字データ処理をこなすことが出来るようになりました。理数に暗くても、文明の進歩は、私のような文系人間にさえ、明るい道を照らしてくれるようです。
 
その後、こうしたエディタと正規表現のフィルタで、校閲までやる方法を、プロの編集や印刷業界の方もしていることを知りました。未来社の西谷能英氏が、やはり「出版のためのテキスト実践技法」という本を刊行され、現場で実際に使っているスクリプトやPC上でのテキスト処理の実践方法を自社のサイトにアーカイヴしています(※1)。
私は、将来的に、産地直送でテキストを読者にとどける作家ギルド、などという構想も立てたことがあるのですが、作家さんは一人ひとり、環境が異なるので、残念ながら、これは画餅に終わりました。ただし、その理念は間違っていなかったことを西谷氏の本などで理解しました。なぜ統一できないか、というネックは作家ごとに環境も書き方も違うため、一人に対して独自のフィルタを作らねばならない、という現実を突きつけられたからです。方法論としては間違ってはいない。だから、今でも、その試みは拙サイトにアーカイヴしています(※2)。
今では図書館を退職して以来、そういう作業をすることも少ないのですが、やり方は一度憶えておけば、次の機会にでも、役立ちます。私は、依存性の強いワープロソフトには頼らず、MS-DOSマシン時代から、エディタユーザですし、ウィンドウズ時代になっても、テキスト至上主義で、エクセルを使ったとしても、結果はCSV(カンマ・セパレート・ヴァリュー)で出力し、テキストでも見られるようにしています。
おそらく、この方式は、間に半角スペースで単語を区切らないといけない西洋諸語では使えないでしょう。逆に間にスペースを入れないで文字列を扱うのは、日本語の特性として、有利な面かも知れません。
 
※1) http://www.miraisha.co.jp/mirai/archive/
※2) http://noah.in.coocan.jp/sdwg.htm
 
 
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