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2020年 厄年の1年間

今回は私の2020年についてお話していきます。

更新遅れて申し訳ないです、、
急に調子が悪くなり、救急車で運ばれて急遽ICUに入ったあとそのまま入院している次第です
また書くエピソード増えてます

1.新型コロナウイルスによる休校

突然現れたウイルスは私の最後の高校生活の思い出を奪っていきました。
マスク生活の中で何ができるのか、未知のウイルスで行動に制限がかかり失われたものは大きかったです。

でも正直、最初は休校と言われて嬉しかったんです笑 当時北海道に住んでいたのですが、かなり早くウイルスが蔓延し緊急事態宣言が発出されました。そして、テストや課題がなくなって家で待機!と言われて時間に余裕がある生活になりました、

『この辺りの記憶が正直あまりない、笑』

✔ここからは、休校になって良かったこと

①My wayを決められた
今までaboutな目標や希望はありました。しかし、細かく道は定まっていなくて、
こうなりたいなぁ→だからここに進めばいいか
というような調子でいて個別性も具体性もありませんでした。 
そのため、休校になってたくさん時間が出来て、将来のプランをしっかりと見直し向き合えました。
今考えて、その時間はとても必要な事だったと思うので結果良かったことなのかなと思います。

②My styleを知れた
休校になって習い事も部活も休みになり1日中家にいるようになりました。
私は暇な時間があると怠けて1日を終わらせてしまうタイプだったので、予定を入れてそれに合わせて生活をしていた感じでした。
最初はやはりだらだらしてしまいました汗 でもだらだらするのが飽きるというか
『ちょっとだけ気持ちが変わったかのかな』
やるべきタスクを考えるようになりました。詳しく時間ごとに計画を立てるのではなく1日のTo do listを作りそれを終われるようにするという感じでやりました。
そうすると何時間寝ればスッキリするとかいつどのくらいご飯を食べればベストパフォーマンスをできるが分かるようになったんです。また、家では集中できないからカフェや学校でやる方が出来るとか勉強のstyleも知れました。
余裕って大切だなと気づけた期間でした。

2.骨折しながら出場したバスケの引退試合

コロナの影響で通常6月頃に開催される高体連が中止になりました。
そのまま最後の節目もなく引退すると思い込んでいたのですが、夏休みに入ってすぐに引退試合という名目で試合が出来るようになりました。
もちろん受験期だったため、出場するのかどうか悩みました。
でも、いままで中高合わせて6年間続けていたので、そのまま終わることが少し物寂しく同期と話し合いをして出場を決めました。

ここまではいいでしょ… 
そして普通に考えるとそのまま引退し「やりきりました」などとコメントできるところ笑
悲劇は突然起こります

恐らく、大会一週間前
練習中に、バスケをするのに重要な右手人差し指、骨折しました。

痛みと腫れで、整形外科に行くと「あー折れてるね」と言われました苦笑
そして、顧問に折れましたと言うと「え、まじ苦笑」と言われました笑
でも、出ると決めたことだし最初で最後の引退試合なので出場する気でした。

当日
アイシングスプレー、氷嚢、シイネ固定だったのでテーピングを頼んだりなどなどできる対策をすべてやりました
試合中はアドレナリンでぴんぴんしてて、やっぱり違和感はあったのでかばってプレーしていた記憶があります
終わった後は、やはり痛みが出てきました
そしてパフォーマンス度はダメダメでした笑
まあ今考えるといい思い出です。

そういえば、試合の後に夏期講習があって痛みと疲れがありながら塾に行ったんだった笑
かなりハードな一日を送りました☆

3.卒アルの個人写真で10年ぶりに前髪を切る

この文章だけだとイメチェン?って思いますか?
ここでも事件付きなんです笑

卒アルの個人写真を撮影する数日前のこと
習い事のビルの階段から転びました
オールバック女子であった私の大切なおでこに青あざが現れました☆

そして10年ぶりに前髪を作ったという次第です笑

いやいや、恥ずかしいエピソードすぎ
いままで似合わないと思い込んでいた前髪はなんとか収まりました

4.片麻痺による入院

ちょうど去年の今頃入院していました

2020年11月下旬
右手足が突然麻痺し動かなくなりました

その日は金曜日
持病の通院があったので学校に遅刻して行きました。
病院から学校に行き、授業を受け、放課後に自習のために学校にいました。
自習をしていた時、突然症状が現れて、その後救急車で搬送されました。
持病のかかりつけの病院はあったのですが、当時その病院でコロナの感染者が出てしまったため通常のように受診することが難しく、家の近くの脳神経外科病院に運ばれました。
色々検査をした結果、緊急で何かする必要はなくてとりあえず入院になりました。

実は、その週末は家族で旅行する予定があったのに確実に行けなくなりそのショックと、
入院の緊張で、精神状態がちょっと不安定でした笑

不安すぎて緊張していた毎日でした。面会もできないし、受験関係の志望理由書や面接対策もしなければならないし、このあとに書く体育大会もできないし、、、
でも、学校の帰りに友達が差し入れを持ってきてくれてそれは嬉しかったし、担任の先生がプリントを届けてくれたり、他の先生もメールで志望理由書を見てくれたりして、家族はもちろん周りのたくさんの人に支えられていることを実感できました。

別に食事制限はなかったから、何を持ってきてもいいよ!と先生に言われて、友達とか家族に少しaboutに伝えると
マック、ケンタッキー、ドーナツ、コンビニ弁当、タピオカ
ねえこれさ病人が食べるものじゃないよね笑
個室だったんだけど、匂いすごかったよ

院内では、看護師さんは忙しいのに、いつもルンバールちゃん!ってたくさん声をかけてくれてすごく優しくしてくれました。
そして、主治医の先生が明確に治療方針を考えてくれて、なにせ一言一言の言葉が素敵で今では私の人生のロールモデルになりました。

退院して、卒業式が終わって、4月から上京することになったため最後に挨拶をと思い、お手紙を渡しに行ったんです
そしたら、先生から後日メールが届いてそのメッセージからも本当に素敵な人だということが伝わってきたんだよね涙

そして、なんだかんだと色々あった入院生活でしたが志望校の推薦入試をどうしても受験したかったので退院許可を貰いました。
まだ歩けなかったし車いすで退院になったけどなんとか帰れました!

退院日すごくハードな一日で
まず、10時頃退院して学校に向かいました
その日は体育祭最終日で見学ではあったけど一応参加しました
そして体育委員だったため司会と挨拶をしました
その後、学校を早退
出願書類の写真を撮ってなかったため証明写真の撮影
書類をすべてチェック
消印有効当日に提出

ばったばたでした笑

5.最後の体育大会の欠場

コロナで学校全体では体育祭は出来ませんでした。
体育の時間数が余っていて、先生がなにかやりたいことない?って聞いてくれて、私は体育委員だったのでイベントを企画することにしました。
競技、ルール、システム、
全部話し合って進めていきました
朝早くに学校に行って先生に相談して、アドバイスをもらってって本当に楽しめる環境を作るために頑張りました笑
しかも、私の好きなバスケの種目が入りクラスの中で1番やる気で張り切っていました。

そんな中、
入院になって体育祭出場を断念しました。

様子を見るのにzoomで繋げてくれてみんながやってるのを見ていました。
正直、出れなくてやりたかった最後の行事が出れなくてすごく悲しかった。

まあ、しょうがない
仕方ないよね笑

でもすごく楽しんでる姿をみて頑張ってよかったなと思えました♡

6.受験を車いすで乗り切る

この年の大イベント、受験です。
受験校を決めて、受験方式を決めて、対策をたくさんしてきました。
志望理由は何度も書き直して見てもらってました。
順調に少しずつ進めていました。

退院してから、
志望理由書をばったばたのギリギリに出したり
車椅子だったので、学校の送迎を家族にお願いして対策を進めて行きました。

受験校が東京だったので、飛行機で行って学校に行き受験して帰ってくるまで車椅子ですべてやりきりました。
母がサポートしてくれてなんとか終わりました。
そして、合格
すっごく嬉しくて頑張ってよかったって思いました泣

ばたばたで大慌てで合格を聞くまでどうしたらいいのか分からなくて正直すごく不安になってた。
でも頑張ったのっていい思い出になるね

最後に

2020年色々な人に支えられていることを実感できた一年間でした。
本当に助けられて周りの人がいなければ乗り越えられなかったです。
家族も友達も先生も、たくさん考えてくれて協力してくれて、一人では終われなかったです。
正直、気持ちも不安定でナーバスになっていましたが、
終われば思い出になる
なんとかなる
しょうがないよね
と言い聞かせました。

いま心に残っている言葉があります。
受験の合否結果が出る朝、母に
「なるようになる。」
というメッセージが送られてきました。
本当になるようになったんです。

やってるとき沼にはまってる時、正直辛いんです。不安なんです。
怖かったけど、なんとかなりました
まとめると、新しい発見ができた貴重な一年間でした。

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