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「海の家」がすべてのはじまり。

さて、初回のnoteの更新をしたところ、思った以上にたくさんの方に好評をいただけて、想定外な結果になんとも嬉しく思っています。
ご覧いただいたみなさん、どうもありがとうございました。

っということで、改めて何を発信したら良いか考えていたんだけど、いままでの生い立ちだけをただ時系列で語ってもあまり面白くない。
なので、ちょっと自分が生まれる前の話も織り交ぜながら、お話ししていこうかと思います。よろしければどうぞお付き合いください。

「海の家」と「幼少期」。

1986年8月10日、神奈川県の三浦市に生まれました。
自営業をしている家系のもと、父、母、姉との4人家族。

家業としては祖父がはじめたお米屋さんだったと聞いています。
(なんか我が家らしいなと思うのですが、写真も記録もなんにも全然残っていない家なので、真実は実はわからない笑)

祖父は幼い頃に両親を亡くしていたようで、幼い頃からお米を配達したりととても頑張り屋さんだったのだとか。
そんな三浦海岸を中心とした飲食店や当時の民宿などに、お米を卸していた祖父が当時一念発起して始めたのが「海の家」。

当時祖父が伊豆や湘南の海水浴ブームであることから三浦海岸でも、ということで、エリアではじめての海の家をオープンしたとのこと。
ちなみに厳密には三浦海岸ではなく、法蔵院さんの真下に位置する津久井浜海岸で営業していました。すごく賑わった時代のようで、当時はじめた海の家は、いまで言えば「オープンイノベーション」でしょうか。ノウハウもどんどん提供し、地元でも海の家事業に参画するメンバーが増え、最大120軒にもなったのだとか。

でも、ここの真偽はわかりません。笑
ただ、そう言ってくださる地元の関係者の方々がいらっしゃるので、もしかしたら少しは町のにぎわいに寄与できていたのかもしれませんね。

「海水浴」ムーブメント到来

しかし、当時の海水浴ブームというのはすごかったようで、たくさんの人々が三浦海岸に来たようです。

それがこちら。

出典|https://www.keikyu.co.jp/history/chronology05.html

この写真、1960年代の三浦海岸です。
すんごいですよね。

もちろんわたしも当時は知りませんが、ここまでではないもの幼いながらにビーチにはたくさんの人で賑わっていた記憶はあります。

海の家の朝は早く、朝日と共に家族総出で仕事に行きます。
(この間もバス会社など通常の業務はあるのですが、夏の時期は同時並行で営業しているので大忙し)
毎日わたしも海の家に出勤(?笑)して、ひと夏が過ぎていく。

いくつの時かわからないけど、海とわたし。笑

津久井浜から三浦海岸に移設したのち、数年間営業して祖父が他界をキッカケに根岸家の「海の家事業」の幕を閉じます。


海の家が「原点」かもしれない。

海の家では、遊ぶか、泳ぐか、食うか、みたいなことしかないんだけど、そんな毎日の中で、自分では遊びの位置付けだったのが“商売”のマネっこ。
駄菓子屋で仕入れた粉のジュースを水に溶かし、凍らせてアイスキャンディーとして売り歩いた幼少期が、わたしの商売のルーツだったのかもな。と今となっては考えさせられます。

しかしこれがね、結構買ってくれるんですよ。
当時はまだ“背中いっぱい賑やかな絵”が入っているおじさまたちも、たくさん海水浴場にいらっしゃって、「お、坊主!手伝いか?えらいじゃねぇか!買ってやるからこっち来い!」みたいなね。
幼少期ながら、楽しい時代でした。


誰しも、クリエイティビティを持っている。

ちょいと真面目な話、“自分のアイデアで工夫したものをつくって売る”って商売の基本なんだけど、そういう“商人DNA(あきんどDNAと名付けて呼んでいる)”って、この時から芽生えていたのかな。なんて振り返ると考えてみたり。

これもまた別の記事で詳しく書こうと思うんだけど、IDEOの創業者であるトム・ケリーとデイビッド・ケリーの著書で “Creative Confidence”があるんだけど、直訳すると「自分の創造力に自信を持つこと」というんですかね。この言葉がとっても大好きなんです。
著書では誰にでもクリエイティブコンフィデンスはあって、その自信を発揮するには、小さな成功体験が重要ってことなんですよね。

それって「まさしく」で、自分の人生を振り返ると、ありがたいことにそういった機会に恵まれていて、人より秀でることとか抜きん出ることとかはないしめっぽう苦手なんだけど、自分のオリジナルを愛することはできて、今思えばすごく幸せなことだったんだなぁ、なんて思うわけです。

もしかしたら、それは「海の家」を三浦海岸で初めてトライした祖父からのエッセンスもあるのかもしれないな、なんて感じることもあって、こうやって定期的に振り返ることで、自分を構成する要素を過去の自分に訪ねてみる、みたいなこともすごく重要にしています。

終わりに

そんな幼少期を過ごしているのですが、上述の通り、何か自分で表現したものを評価してもらうプロセスっていうのが、この頃から根付いているなと改めて実感します。
「アイデンティティ」と「クリエイティビティ」って、わたしの中では本当に大切にしていることで、その辺もおりを見て書いていこうかな。

では、また次回お会いしましょう。
今回もありがとうございました!

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