親父の葬式備忘録

親父が亡くなって早4日が経った。

怒涛に過ぎていくので備忘録として個人的に記す。

■8/29

親父が誕生日にくれたウイスキーがあったので、それをみんなで空けた。このために取っておいたわけではないけれど、なにかの節目に飲もうと思っていたのでちょうど良かった。還暦祝いに両親にあげたバカラのグラスにそれを注ぎ、親父へ供え、母、妹、妹の子供、僕で静かに献杯をした。親父の友達が気を遣ってちょっと良いお弁当を買ってきてくれたのでそれを食べた。

食べ終わった頃、お酒も入って気がゆるんでいたコトもあり何気なく顛末をツイートすると、友達数人から電話がかかってきた。近所に住んでいる友達も連絡をくれた。通夜にも来てくれるらしい。

そんな中で電話をくれた友達が、同じくお父さんを肺がんで亡くしており、そんなこともあって都度報告はしていた。とても親身になって話を聞いてくれてありがたかった。電波が悪かったから庭に出たのだけど、その時ウイスキーでかなり高まっていたので瓶ごと持って外で電話をしており、どうやら泣いていたらしい(全然覚えてない)。その後も別の友だち(同じく親御さんを亡くしている)に無意識に電話していたようで、やっぱり泣いていたらしい。親父とのソリは合うほうでは無かったコトや、覚悟を決めていたコトもあいまってそんなに泣くとは思っていなかった。のだが、それなりに底の方にたまっていたんだなと自覚した。

■8/30

居間で妹に叩き起こされる。前日に庭に居たところまでしか記憶にない。どうやら昨晩の電話がうるさかったらしく、様子を見にきた妹が、庭のイスで寝潰れている僕を発見し、居間に担ぎ込んだらしい。起きてからめちゃくちゃ怒られた。命日から酩酊する放蕩息子で申し訳ない。いや、逆にその日のうちに全部吐き出したのだから見逃してくれ。

起きてからお寺で打ち合わせがあるとのコトで、母と同席。終わってから車を走らせマックへお昼を買いに行き、早めにお昼を済ませる。妹は子供を連れて一旦帰っていった。

13時頃に葬儀屋さんが打ち合わせに来るとのコトで、母と同席。結局2時間くらい打ち合わせた。このご時世なので通夜振る舞いはないようで、こちらとしても手間のかかる行事が一個無くなって結果オーライだと思う。親父の意向で「あまりお金かけてほしくない」というコトだったので、燃えてしまう棺桶はシンプルに、逆に残る骨壷は少し良いものにした。白が好きだったというコトで、花もそれら中心に暖色系で固めてもらった。

その他、火葬に参列できるのは15人までとか、色々と葬儀屋さんから注意事項をきいた。コロナが原因で亡くなるパターンは、この地域ではあまり多くはないようで、だから「コロナが原因で火葬場が混雑している」という一部のネットの言説はあまり真に受けない方がいいようだ。

母の妹夫婦が晩御飯を買ってきてくれたので、それを一緒に食べた。お風呂につかり、久しぶりに睡魔がきて、本当に久しぶりにぐっすりと眠った。

■8/31

母も久しぶりにぐっすり眠れたようで、だからかもしれないが、病院から持ってきた親父の荷物をやっとほどいたらしい。やっぱり所持品を見るのは辛いみたいで、半泣きになりながら洗濯機に服を詰めていた。使ってないパジャマは要るか?ときかれたので、せっかくだからもらっておいた。病院の辛い思い出は捨てて、残せるものだけ残していくのが母の精神衛生的にも良いと思う。

この日も先日の打ち合わせで必要になったものを色々準備していた。主に遺影だ。SDカードにちらばったデータを探すので半日かかった。母やその友達は「几帳面な性格だった」と言っていたけど、じゃあパソコンのデータも几帳面にそろえておいてくれ。同じファイルめっちゃ出てきたぞ。

探している中で、ご先祖の白黒写真が結構出てきた。スキャンしたらしい。祖父母のきょうだいが多かったというのもあり、かなり大所帯の集合写真だった。その先頭に、今は立ってしまったのだなと気が締まる思いだった。

一段落ついたところで、溜まりに溜まったLINEの返信をした。前述のとおり酔って寝落ちたあとに打ち合わせがあったため、気づかなかったのだ。かなりの人達が連絡をくれて、本当にありがたかった。地元の飲み友達から音楽仲間まで、本当にたくさんの人が連絡をくれた。こういう時に人の温かみはシンプルに染みる。

この8月は「父を亡くす」というメモリアルな月になった。

8月が、特別な月になった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?