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小寺の論壇:AD哀史がなくならない理由

1月14日に東スポが報じたところによれば、テレビ局内でADという呼称をなくそうという動きがあるそうだ。

・テレビ各局で「AD」の呼称廃止へ 最下層扱いにメス…新名称でどうなる?

https://news.yahoo.co.jp/articles/ffb0cb634b691a5b9460628a060b473e4ab79262

広告代理店勤務の女性が過労に起因する自殺で、若者の働き方にメスが入ってから7年が経過する。若いからという理由で、命を削るような働かせ方が認められるわけはない。だがこの事件が社会にもたらしたのは、「大手は」しっかりせいというメッセージでしかなかったように思う。

テレビ番組制作も、過酷な労働が問題視される職業だ。ただあまり報道されないのは、現場そのものがメディアの実権を握っているからであり、どこも同じ脛に傷を持つ仲間だから、と思われるかもしれない。だが実態は、それほど簡単なものではない。

番組制作において、雑用全般を行うのがADとされているが、そもそもADとは何なのか。80年代前半からテレビ業界に関わってきた身からすると、この35年ぐらいの間でADの意味がすっかり変わってしまったと思っている。

今回はそんな話をしてみたい。

■昔のADとは

ここでテレビ番組制作における、それぞれの役割を把握しておこう。まずプロデューサーとは番組制作者のポジションであり、進捗の把握や予算割など進行全体のマネージメントを行う。ディレクターは演出家であり、現場監督である。アシスタントディレクター、いわゆるADはディレクターの手足となり、現場でも動くし、事前準備なども行う。

筆者がテレビ番組を編集するポストプロダクションにビデオ編集者として社会に出たのが、1983年のことである。まず当時の番組制作はどういう構造だったのか。以下の図を見ていただきたい。

旧来の制作モデル

まずテレビ局が番組制作者として、局正社員のプロデューサーを立てる。局内での責任者だ。外部の制作会社はその下に入り、自社のプロデューサーを立てる。番組に対する責任者だ。

番組規模が大きい場合は、自社のディレクター数名で番組のコーナーを担当することになる。その中で誰か1人、もしくは持ち回りでチーフディレクターとなり、全体の演出も行う。もしくは毎週のレギュラー番組では制作が追いつかないので、1つの番組を2〜3のチームで交代で制作していくケースもある。

アシスタントディレクター(AD)も社員であり、特定のディレクターの下について動くことが多い。ADは1人では手が回らないので、大抵2人以上が1人のディレクターに付くことになる。AD間は対等であったり、あるいはAD歴が長い人がリーダーみたいな格好になって、その人の下に付くケースもある。

大学生アルバイトも使うこともあったが、責任問題もあるのであまり番組の中身にはタッチせず、モノを届けたり取りに行ったりといった雑用を担当していた。もっとも筆者はポストプロダクションの編集者だったので、編集段階での動きしか知らない。ロケ現場ではまた違った動きもあったかもしれない。

昔の制作プロダクションは、制作全般を1社ですべてまかなえるところが多く、当然ADも社員、もしくは契約社員として身内に抱えていた。当時は映像制作系の人材派遣会社というのはなく、業界の老舗である「クリーク・アンド・リバー社」も創業は1990年であり、最初は編集マンの派遣からスタートしている。

昔のディレクターとADは、師弟関係という意味合いが強かった。ディレクターの手伝いをしながら演出や制作を学び、ときおり「おい、若いヤツから見るとこれどっちがいいと思う?」などディレクターの相談相手になって、信頼関係を築いていく。そこで4〜5年修行したのち、「じゃあそろそろ小さいコーナーを任せてみるか」となって、別のADを付けてあげてディレクターデビューする。

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