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利き手の哲学

私の手は右利きで脚は左利きである。
今回は利き手について考えてみる。

思うように動かないことのもどかしさ

最近、私は食事の際に左手を使うようにしている。
よく言われるのが
「右利きの人は右脳を活性化させるために適度に左手を使うとよい」
ということなのだが、私にとってそれはあまり重要な事ではない。
私が左手を使うようになった理由……
それは私が他人に左手利きであると思われたいからだ。

例えば私がレストランで左手を使って食事をしていたとき、私の側を通りがかった人が私のことを一瞥し、
「え?この人……左手を使っているじゃあないか⁉」
と驚嘆のまなざしで見られることを私は強烈に欲するからである。

はい。ふざけました。冗談でござる……
話を戻そう。

本当の理由は、あるとき左手で歯磨きをしてみようと考えた際に、自分が右手のように左手を使えないことにたいへん驚いたからだ。
字を書くことや食事をするなどの一定の器用さを必要とすることが正確にできないのだ。
私はそれをおかしく、興がり、もどかしくさえ思った。
なぜ右手では線をまっすぐ書けるのに左手ではフニャフニャになってしまうのか。なぜ繊細な力の加減をすることが左手にはできないのか。


そうして食事の際は左手を使うように努めるようにした。
それから半年ほど経った。
最初のころは全くと言っていいほど食べ物がつかめなかった。
まるで食べ物に弄ばれているように感じた。
しかし今では右手の70~80パーセントのパフォーマンスを食事の時に出すことができる。

だが今でも無意識に右手を使うことがある。
無意識に左手を使っていたのはほんの数回であった。

習慣。人は自らが創り上げた当たり前に慣れてくると見直す、気づくことが難しくなる。

利き手でない手を使うということは凝り固まった思考をほぐすことの一助となるかもしれない。


Column

え?両利きの人はどうすればいいのかって?
そういえば私は過去に両利きの人を見て、たいへん羨ましく思ったことがあった。
右手に鉛筆、左手に消しゴムをもって滑らかに作業できると考えていたからである。利き手でない方で一文字だけを正確に消すのはかなり難しい。

とするなら両利きの人はひたすら作業効率を向上させることに努めればよいのではないだろうか。

私もゆくゆくは両利きを目指して、他人の目に触れる際は積極的に左手を使う様をアピールしていきたい。

……左利きだと思われるように。



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