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五感と言語

雪の降る道を歩いていた。
寒さを感じる冬だなぁと。その寒さに親しみを持ちながら除雪のなされた道を歩いているとふとこんな考えが頭に浮かんだ。
季節って4つしかないんだよなぁ。
この文章で何が言いたいかわかる人はメンタリストを目指すとして、段階を踏まえてこの考えを説明すると、まず私は冒頭の通り「冬」を感じた。(なんでかわからないがタイトル写真を秋の景色にしてしまったことに後で気づいた)
そこから季節は4つにしかわかれていないことに気が付いた。つまり4種類の言葉でしか季節を表すことができない。少なくとも日本では。
当然秋と冬のちょうど中間を表すことはできず、(初冬などはあるもののあまり使わない気がする)またその中間を表す必要もないというわけだ。よって寒いと感じる。そのとき大雪が積もろうとも、雨が降ろうとも気温が一定以下であればそれは冬なのである。

話を広げてみる。五感に着目してみよう。

味覚
味の種類には基本五味と呼ばれる「甘味、塩味、酸味、苦味、旨味」と、基本五味には含まれないが、味の嗜好性に深く関わる「渋味、辛味」があるという。ここにも上記の考えが適用できる。つまりそれ以外の味があるかもしれないのだ。ここにソシュールのいう言語の恣意性を見て取ることができる。無い言葉で表現するのは難しいことだ。例えば辛みと甘みの中間があるかもしれない。すべての味が混ざった味があるかもしれない。しかし、それを表すことはできない。このように味が体系化されていては(自己内で)あると感じた味を表現できないということなのだ。

触覚、嗅覚についても味覚と同じことが言えるだろう。よって割愛させていただく。

視覚、聴覚
これらはどうだろう。
視覚に関する言葉と言えば「遠い」「近い」という言葉がある。尚、ここでは目に見えている物理的な距離の事を指す。近い寄りの遠いを表す言葉はなく、遠い寄りの近いを表す言葉もない。また、「色」などのまさに言語を考える際にうってつけの視覚に関する言葉もある。
聴覚は。
少し調べたところ音の三要素と言うのがあるらしい。音の大きさ、音の高さ、音色。だそうだ。
これも音が大きい、小さい、高い、低いなどで視覚と同じことが言える。

気付いた人も多いことかと思うが、この分割の差異性を考え出すときりがない。たとえ季節が8つあったとしても、その8つの間の季節の言葉をまた考えなくてはならないからだ。つまりどこかで必ず思考を停止しなくてはいけない。そうでなければ無限と対峙することになるからだ。
しかしながら、自分の心情を相手に説明するためには言語が必要不可欠である。よって必要な際にこの問題を考えることは相手の理解を促進させることとなるのは確かなことである。

Column

あなたの隣にいる友人がこう呟いた。
「この感動は言葉で表すことはできない」
このときあなたはすぐこう言わなければいけない。
「いや、言葉であらわせるよ。現に君は今言葉でその感動を表しているじゃあないか」
するとどこからか冷たい空気が流れてくることだろう。

しかしながら、言葉にならない感情と言うのも言葉で象られたものであることを忘れてはならない。ただしこれは厳密性に欠ける。よって「言葉ではあらわせない」ということばでは共感を成し得る可能性は下がる。
従って、私はこの共通理解を図るために毎日恐ろしいほどの睡魔と健闘しながら、そんな自分を嗤って書物に目を向けるのである。




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