見出し画像

無意識に自覚的であるということ

少し前に書いていたのですが、出してなかったのを出します。
覚書みたいなものなので、淡々としててなんか味気ない(?)気もしますが、たまにはこういうのもいいかなと。




自分が奪われることに無頓着/無神経になっていると(さらに言えば差し出す/差し出してしまうことに無感覚になっていると)、他者から奪うことに無頓着/無神経になるなぁと思っている。

自覚的だろうが無自覚だろうがエネルギーがズレてることに変わりないから修正が入るので、自分は奪ってるつもりなんかない!と思っていても、本日からズレてたらそれは奪ってることになる。
その人(もちろん自分も含めます)を甘やかす表現をすると、奪ってることに'なってしまう'。

無意識に奪っている間は、本当に欲しいものは手に入らない(手に入ってしまうと気付かないといけないことに気付けないから)。

無意識に自覚的であるということは本当に大切な事だと感じる。
それは、自分と徹底的に向き合うことでしかできない。

向き合いすぎるのはよくなく、適度に、人によっては過度に(←これは±どちらもいえること、過ぎたるは及ばざるが如し)、他者の介入をゆるすことや、他者の言葉・意見に耳を傾ける必要がある。

自分をあえて横に置き、他者の言葉を真ん中に入れてみることで初めて調整されるもの、理解できる感覚があると思う。

守るべきものを間違えないこと。
ときに(常に)、自分の常識を疑うこと。

それが、生まれ変わり続ける秘訣なのではと思う。


ということで、日々精進致します(切実)。



ここから先は

0字

¥ 100

よろしければサポートお願いします!!!いただいたサポートは、必ず循環させていきます!!!