見出し画像

囚われの身の上

わたしはいつもなにかに囚われている。
それは最終的には必ず自分という答えに行き着くことはわかっているんだけど、誰かに囚われてることにしてみたり、過去のなにかに囚われてることにしてみたり、目の前の出来事に囚われてることにしてみたり、ルールや法律のせいにしてみたり、色々する。

誰しも自分をわざわざ悪くいいたくはないし、自分のせいで自己実現できないなんて、少なくとも15年前の私に言ってみたところで「は?」という感じだと思う。なぜなら、それは、周りからどう見られていたのかは横に置いておくとして、やっとのことで、世界に順応し、仕事をし、ある程度慣れてきて、自信も着き始め、当時のわたしが描く、理想の自分になろうと頑張っていたからだ。

まあ、その理想は表面上ではことごとく違っていたわけだけど、Beingという観点から見たらもしかしたら実は同じことを思っていたのかもしれないな、とも思う。だって、大切にしていたものを突きつめてみたら、それは実は当時はそこまで掘り下げてなかった(というか掘り下げ方を知らなかった)から言語化できていなかっただけで、きっと同じ層の上の方にあるものを大切にしていたのではないかな。

最近、わたしはどうやらまた転機らしくて、自分の周りが目まぐるしく変化しているのを身をもって体験している。それは、自分がどうあるかを決めるだけで、気がついたら変わっており、不思議でしかない(いや、だからといってめんどくさい手続きとかを何もしなくていいとかには当たり前だけどならない笑)。

でも、「わたしの世界はわたしが創っている」という確信だけは、日常の些細な経験の積み重ねによっていつの間にか積み重なってきていて、どうやらそれは自分の中でのある何某かの閾値を超えたらしく、今日溢れたような氣がしている。

そして、そんな今日は、こんな日なのです。

今日から太陽が牡牛座入りしたわけですが、わたしのPoFは牡牛座1度。
サビアンシンボルは「清らかな山の小川」。

肉体意識の目覚め。
生まれつきの資質が開花する・資源の人

なんか、なにか目覚めたのかな?w

ちょうど牡牛座1度が第6ハウスのハウスカスプでもあるので、6Hの要素を頑張るとわたしはたぶん良いんだと思っている。

とりあえず、『自分の審美眼(センス)を絶対的に信じて、いい!と思ったものにはキラキラの魔法をツール・導入として使い、たくさんの人達に本当に価値のあるもの(本物・本質)を知ってもらうためにヒラメキと発信力を駆使する』ことをここに誓います!

久しぶりに過去記事見ると、自分のことがよくわかっていいなぁ(色んな意味で)。
結構いいこと書いてたりする。そして自分で書いてるのに他人が書いてるのを読んでるみたいな気持ちになったりもするから不思議。

書いてリリースした時点で、もうある程度忘れてるんでしょうね。でもまた見ればいいから☺️


ということで、過去記事ともいい感じに繋がったところで、今日のところはそろそろ寝ますヾ(:3ヾ∠)_

自分を「囚われの身の上」にしておくか、そこから鎖を解き放って自由になるか。
それも全て、自分次第。

そんなことを思う、太陽牡牛座シーズン初日の夜でした。



よろしければサポートお願いします!!!いただいたサポートは、必ず循環させていきます!!!