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PTAという社会

今のPTA会長にモヤモヤしたのは初めてではないのだけど、また「あー」ってなったので吐きだす。

そもそも、高校のPTA役員は小中学校で役員を経験してPTA活動は有意義だと信じている人が「やっても良いですよ」と控えめに手を挙げて担当する。
そして、どこのPTAでも、運営は事なかれ主義になりがち。経験が長い人は幼稚園からなので「PTAとはそういうもの」という刷り込みが強固すぎる。改革も改善もせず前例踏襲が一番丸く収まるし、楽だから。さらに、民主的に開かれた運営をするだけで多様な意見の調整に追われて役員が疲弊する。
だから、役員経験が長い人ほど、数名の本部役員のみで閉じられた意思決定をしたがり、本部役員と一般役員の情報格差は大きくなり、PTA役員と一般会員の間には越えられない断絶が生まれる。そしてPTAを牛耳っているように見える本部役員も、メンバーはどんどん入れ替わり、腰を据えて運営を見直す機運も機会も無く、断絶だけが広がる。

なので、うちのPTA会長が合理的な運営をしないのは、彼の問題ではなくてPTAという組織の構造的な問題なのだ。と、わかってはいるけれど、意思決定とか運営面のイマイチさが目に付く。あと数ヶ月のお付き合いなので我慢するけど。

一番きついのは、意見がことごとく却下されるところだ。
相反する意見を取り入れて調整するのが大変だから、穏便な方向だけを取りたがる、それは仕方ない。それなら意見を求めるようなことを言わなきゃ良いのに、会議の場では「今後議論する必要があります」とか言う。そして意見を言うと頭ごなしに全否定。
あれか「善処いたします」=「やりません」とか「行けたら行く」=「行きません」と同じようなものか。

意見なんか求めるなよ、決めてくれればその通りするから。
ダメなタイプのマイクロマネジメントをする上司の部下になった気分だ。
部下は不貞腐れて与えられた仕事だけを渋々やり、上司は「主体的に考えて動け」と怒り、部下は「主体的に動いたら勝手なことするなって怒るじゃん」と陰口を叩く悪循環。
リーダーが立候補や馴れ合いの互選で、マネジメントやファシリテーションの能力が本部役員選抜基準に無いから、こういうことになるんだよね。でも、それもやはりPTAの構造的な問題。学校運営や子どものためにボランティアしようという善意が集まってるだけだから、そこに方向性や理念の共有は無い。
私個人は、あと1年ちょっとの子どもの高校生活が快適で楽しければそれで良いので、波風立てないで会長に従っておこうと思ってる。仕切ってないと消耗するタイプだけど、職場でも家庭でも仕切ってるんだから我慢我慢。

なんでこんな批判的なのにPTA役員なんかやってるのか。
高校生の子が学校生活のことを親にペラペラ話すタイプでない限り、公立高校って本当に学校の様子がわからないから。小中学校とは明らかに目的が違う。そして、目論見どおりに、何もしないよりも学校の情報に触れられるので、総合的には参加する意義は感じてる。意外と退学がいるんだな、とか、共通テストを受ける割合とか。