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三国志13 蜀志劉備伝 #17

黄河を渡る

185年6月

 南皮に劉焉軍約四万三千が集結した。攻略目標は黄河南岸の都城済北である。今次出陣の要諦は黄河を無事に渡りきること、そして渡河直後の無防備な状態を黄巾の残党に強襲されることがないよう徐州孫堅軍と連携することだ。陽動として孫堅軍が小沛を攻め黄巾の残党の注意を劉焉軍から逸らすことで黄河渡河を成功させる手筈となっている。

 劉備は全軍の出陣準備が整ったのを見計らって徐州の孫堅に共同作戦開始を告げる伝令を飛ばした。

 劉焉軍約四万三千は劉備、関羽、張飛、張純、張挙の五部隊から編成された。

 第一軍、本軍は劉備率いる南皮軽槍兵七千五百。副将の顔良と文醜は互いに功を競う様相で意気軒昂。従軍を機に顔良を義兄、文醜を義弟とする義兄弟の絆を結び、二枚看板としての存在感を見せつけている。

 第二軍、中軍は関羽の南皮軽槍兵七千六百。副将鄒靖と焦触は劉焉直属の将軍だ。関羽の訓練は厳しく、それを乗り越えた第二軍は劉焉軍最強部隊を自負している。

 張飛の第三軍は前軍で平原軽槍兵一万千五百。南皮兵と比べやや練度不足なのは副将が呉巨一人の為。この隊には大型艦船の楼船が配備されており、黄河渡河作戦で重要な役割を担う。

 第四軍は張挙が右軍として薊軽騎兵一万を率いる。騎兵隊の機動力を活かした速攻と配備された攻城兵器衝車を敵城門前に設置するのが主な任務だ。

 第五軍は左軍として張挙の中山軽騎兵六千が続く。副将に文官ながら簡雍が従軍し、主に本陣の守備隊と遊撃隊を兼ねる。そして軍中の雑務は簡雍が差配することになっている。

 6月13日、孫堅動く。かねてからの約定に則り、劉焉軍の黄河渡河を支援するべく小沛を攻撃し陽動の役割を果たすためだ。

 徐州孫堅軍は総勢二万三千六百。無論陽動とはいっても黄巾の残党を蹴散らし小沛を陥落させる勢いで進軍している。

 6月20日、徐州孫堅軍と小沛黄巾軍が交戦開始。緒戦は孫堅軍優勢と伝令は劉備に報告した。

 小沛黄巾軍は管亥と周倉の八千七百。この軍勢がすぐ北の済北に援軍に来なければ、劉焉軍はかなり容易に済北を攻略できるにちがいない。

 同日、劉焉軍は黄河を挟んで済北黄巾守備隊と対峙、劉備は敵軍の守りは薄いとみて黄河渡河を決行した。

 「関雲長が瀬踏み仕る、全軍続けぇぇい」

 関羽の部隊は劉焉軍で唯一水練の調練を行っている。渡河の先鋒には最も適任であった。

 6月22日、済北港において劉焉軍約四万三千と黄巾軍約六千は黄河水上戦に突入した。

 6月23日、右翼の張飛隊は大型艦船の楼船で前進し敵を脅かす。張飛隊以外の四部隊は蒙衝という船足が速い突撃艇に乗船している。左翼は張挙隊が迂回して包囲を試みる。

 6月24日、水上戦の始まりが多数の矢の雨によって両軍に告げられる。

 6月25日、敵将波才の隊には張純隊が、敵将干禁の隊には張挙隊が接舷し白兵戦を仕掛ける、劉備、関羽、張飛隊は射程距離から弓矢を射掛ける。

 6月26日、張飛に対峙する敵将は歴戦の波才だが大型艦船の楼船は水上の城に等しく、波才の小船ではとても太刀打ちできない。敵軍の士気が大きく損なわれていく。

 「またもや奴等か、屈辱だ」

 多くの黄巾の兵士が黄河に沈み戦える状態でなくなっていく。程なく敵将干禁の隊に続き、敵将波才の隊も壊滅し黄巾軍は済北港を放棄、済北城に退却した。

 「者ども黄河を渡れぃ、我等の勝利ぞっ」

 関羽の勝ち鬨が黄河に響き渡る。

 「戦功一位は張飛だな、楼船の威力凄まじいものがあった」

 論功行賞では楼船を押し出し敵船団を圧倒した張飛が戦功一位、関羽、劉備がそれに続く。

 「ヘへっ、平原の港に楼船があって俺等の部隊はついてたな」

 張飛は少し照れながら報奨を受け取る。そして従軍する文官の簡雍の手配により、論功行賞は戦死者、傷病者に至るまで公平に行なわれた。

 済北港の戦いでは戦死者約四百五十名、傷病者約千三百五十名を数えた。簡素な弔いをすませた劉焉軍は兵力四万八百を維持したまま済北城を目指す。

 6月27日、徐州孫堅軍は小沛近郊で小沛黄巾守備隊と交戦中、各地の黄巾の残党は小沛の援軍に向かっているようだ。事前に放った密偵から劉備の陣営に続々と報告が届く。

 「全軍速やかに済北城に進軍せよ」

 周辺に黄巾の援軍は見当たらない、済北城は城門を堅く閉ざしたまま沈黙している。劉備は城内の守備兵に無用な抵抗をしないよう降伏を勧める文を付けた矢を射込み、四方の城門の一つだけ破壊工作を開始した。

登場人物

劉備 ・・・ 主人公。字は玄徳。劉軍師とも呼ばれる。幽洲涿郡涿楼桑村の出身。漢の皇帝の末裔であったが、父が早く亡くなり家は没落、筵を売って生計を立てていた。身の丈七尺五寸(約173センチ)、大きな耳をしている。武器は家宝の双剣『雌雄一対の剣』。現在は劉焉軍の軍師として孫堅軍との共同作戦を開始し、約四万の兵を率いて黄河を渡河し済北城の攻略中。

劉焉 ・・・ 字は君郎。劉幽州とも呼ばれる。漢室の末裔で幽州を統べる刺史(行政長官)。文官としての才能には秀でるが軍事には疎い。その為、黄巾の乱鎮圧に優秀な武官を必要としている。性格は冷静沈着だが強欲。子に劉璋がいる。現在は本拠地を冀州の南皮に移し、私財を増やす為部下に南皮での収奪を密命した。水面下で十常侍と接触し、黄巾の乱平定後の未来を強欲に画策し始めている。

孫堅 ・・・ 字は文台。孫徐州とも呼ばれる。揚州呉郡の人。孫子の末裔を自称し、十代での賊討伐を切っ掛けに頭角を表す。若くして出世し、現在は徐州刺史。統率力、武勇に優れ、知勇兼備の英傑である。性格は豪胆。多くの兵士を従える威風を全身から発している。戦においては獅子奮迅の働き振りで自部隊の攻撃や士気を極限まで高め、周囲の部隊に兵撃を与える戦術を使う。武器は名品古錠刀。孫策、孫権の父。劉備とは朋友の絆を結んでいる。現在は劉備との約定を守り軍勢を率いて小沛に軍を進める。

関羽 ・・・ 字は雲長。桃園の誓いを結んだ劉備の義兄弟(次兄)。司隷河東郡解県の出身。なによりも義を重んじる豪傑で、極めて優れた武勇の持ち主。身の丈九尺(約207センチ)、赤ら顔で鳳眼、長く美しい髭をたくわえている。武器は重さ八十二斤(約18キロ)の大薙刀『青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)』。現在は劉備と南進の軍中で第二軍を率いている。 

張飛 ・・・ 字は翼徳。桃園の誓いを結んだ劉備の義兄弟(末弟)。幽洲涿郡の出身。猪突猛進で直情径行な暴れん坊。関羽に並ぶ程の卓越した武勇の持ち主。酒乱。身の丈八尺(約184センチ)、豹のような頭にギョロっとした目、顎には虎髭という容貌。武器は一丈八尺(約413センチ)の長矛『蛇矛(だぼう)』。現在は劉備と南進の軍中で第三軍を率いている。

張挙 ・・・ 劉焉軍薊守備隊の隊長。劉備の命により黄巾討伐の軍に召集された。薊軽騎兵一万を率いる優秀な武官。現在は劉備と南進の軍中で第四軍を率いている。

張純 ・・・ 劉焉軍中山守備隊の隊長。劉備の命により黄巾討伐の軍に召集された。中山軽騎兵六千を率いる優秀な武官。現在は劉備と南進の軍中で第五軍を率いている。

顔良 ・・・ 河北の若武者。勇猛を誇る大刀の使い手。一騎討ちは達人の域に達している。隊商の用心棒をして名だたる盗賊数十人を返り討ちにしたことから南皮で評判となっていた。劉備に仕官を勧められるも、強い者にしか従わないと一騎討ちを挑んだ。武術の実力は劉備を凌駕するものの、猪突猛進の性格を逆手に取られ僅差で敗れる。劉備の説得を受け入れ劉焉の武官として仕官した。現在は劉備隊の副将として南進する劉焉軍に従軍中。

文醜 ・・・ 剛勇を誇る身の丈八尺(約184センチ)の大男。一騎討ちは達人の域に達している。黄巾党から小さな集落を守ったことでその噂が広がった。劉備に仕官を勧められるも、強い者にしか従わないと一騎討ちを挑んだ。武術の実力は劉備を凌駕するものの、猪突猛進の性格を逆手に取られ僅差で敗れる。劉備の説得を受け入れ劉焉の武官として仕官した。現在は劉備隊の副将として南進する劉焉軍に従軍中。

鄒靖 ・・・ 劉焉直属の将軍。最初に劉備、関羽、張飛の義勇軍の実力を認め劉焉に推挙した人物。尚武の気風を重んじるが、将軍としての能力はやや見劣りする。冷静沈着な性格で劉焉からは大きな信任を得ている。現在は関羽隊の副将として南進する劉焉軍に従軍中。

焦触 ・・・ 劉焉直属の将軍。現在は関羽隊の副将として南進する劉焉軍に従軍中。

簡雍 ・・・ 劉焉軍の若き文官。現在は張純隊の副将として南進する劉焉軍に従軍中。軍中の雑務一切を差配している。

管亥 ・・・ 黄巾党の頭目の一人。腕自慢の武人。現在は小沛の太守として孫堅軍を迎撃、交戦中。

周倉 ・・・ 黄巾党の武官。黄巾の残党が支配下に置く小沛で治安維持を担当している。賊に襲撃され難民となった村人を保護するなど、義侠心に厚いと小沛の市民から評判が高い。現在は管亥軍の部隊長として迎撃に出陣し、孫堅軍と交戦中。

波才 ・・・ 黄巾党の頭目の一人。地方豪族出身なのか、優秀な武人で槍兵の扱いに長ける。戦場では槍兵の行軍速度を大きく上げることができる。政治には興味がない。性格は豪胆。以前南皮攻略戦で劉備達に敗北し南皮から撤退した。済北港の戦いで敗戦は二つ目。現在は済北の守将を務めている。

于禁 ・・・ 黄巾党の頭目の一人。済北港の戦いで敗戦。現在は済北の守将を務めている。

用語説明

黄巾の残党 ・・・ 太平道の教祖である張角が主導した大規模反乱の勢力。目印に黄色の頭巾を被った。主導者の張角は既に処刑され、現在は弟の張宝が跡を引き継いでいる。残党と言われるも依然勢力は強大。

幽州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東北の州。幽州の都城は薊、北平、襄平。現在は劉焉が州刺史として各都城の太守を監督している。

徐州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東方の州。徐州の都城は下邳、琅琊、広陵。現在は孫堅が州刺史として各都城の太守を監督している。

冀州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの黄河の北に位置する州。冀州の都城は南皮、中山、鉅鹿、甘陵、鄴。現在黄巾党から奪還した冀州の都城は劉焉が監督している。

南皮 ・・・ 冀州の都城のーつ。後漢から三国時代の華北における重要な都市。黄巾党から劉備が奪還した。劉焉はここに本拠地を移した。

平原 ・・・ 冀州の都城のーつ。黄巾党が略奪を繰り返していたが劉備が制圧し劉焉軍の支配下にしたことで平和を取り戻した。済北と黄河を挟んで北に位置する。

薊 ・・・ 幽州の都城のーつ。劉焉はここから南皮に本拠地を移した。

中山 ・・・ 冀州の都城のーつ。劉備が制圧し劉焉軍の支配下にしたことで平和を取り戻した。

済北 ・・・ 兗州の都城のーつ。劉焉軍の攻略目標で現在は黄巾の残党が占領している。

小沛 ・・・ 豫州の都城のーつ、下邳の北西に位置する都市。沛県は漢の高祖劉邦の出生地でもある。現在は黄巾の残党が占領している。

衝車 ・・・ 城門や城壁を破壊するため、丸太を衝突させる為の攻城兵器のーつ。

楼船 ・・・ 水上の楼閣、水に浮かぶ城ともいえる大型艦船。遠攻に優れ、水上での攻撃力・防御力ともに最強ではあるが、船足は最も遅い。

蒙衝 ・・・ 突撃艇。近攻に優れ、水上での攻撃力は高いが防御力は低い。 船足は早い。

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