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三国志13 蜀志劉備伝 #13

孫堅の依頼

185年2月

 徐州の孫堅軍と幽州の劉焉軍との同盟締結を成立させた劉備は孫堅と共同作戦の会議を続けていた。北と南から時を同じくして黄巾の残党を挟撃、劉焉軍は黄河を渡河して孤立する徐州を救援するという共同作戦だ。その上で物資不足の孫堅軍に劉焉軍から物資を供給し、帝都洛陽を包囲せんとする黄巾の主力を東から共に討伐するという構想である。

 2月5日、陳留を強襲中の黄巾の残党は官軍の主力と激戦を繰り広げていた。幽州は官軍主力の救援に動くのか、劉備は南皮への帰還を早めるべきか頭を悩ませていた。

 

 或日、外交の任務がー段落ついた劉備は、徐州の名士糜竺を訪ねた。

 糜竺との雑談に興じた後、劉備は帰還を早めるべきかどうか相談を持ちかけた。

 「ひとつ、陳留を襲う黄巾の残党は寄せ集めであとニ月程で官軍主力に撃退されるでしょう、急いで戻られても救援軍は無駄足となりまする」

 「ふたつ、孫堅殿と個人的に親しくされては如何でしょう、絆を深め朋友となれば、孫家秘伝の特技威風を伝授されることでしょう」

 「2つの理由から劉軍師には暫くご帰還を延ばされてよいかと存じまする」

 「成る程、糜子仲殿のご助言に感謝しますぞ」

 孫堅の特技『威風』とは孫子の末裔である孫堅が習得した兵士統率の極意であり、指揮可能兵数の上限が大幅に増えるというものだ。

 劉備は糜竺の的確な助言に感心し、その勧めに従い孫堅との絆を深めるべく準備を始めた。

 劉備は市場で名品の酒を仕入れると、孫堅のいる政庁へ赴いた。孫堅は機嫌よく劉備を出迎えた。

 「孫徐州に社康酒を贈呈致したく参上仕りました」

 社康酒とは帝都洛陽産の白酒で、酒造の神社康に由来して名づけられている価値ある名品だ。

 「かの社康酒を頂戴できるとはありがたい」

 孫堅は大喜びで杯に社康酒を注いだ。

 上機嫌の孫堅と酒を酌み交わしながら劉備は孫堅と楽しい一時を過ごした。

 「ふふふ、実に面白い、今度その義兄弟の二人に会ってみたいものよ」

 孫堅は雑談で劉備が話す関羽と張飛の豪傑ぶりに興味津々の様子だ。

 この会見で孫堅は劉備に対して同朋として最も近しい程の親近感を覚えるようになったようだ。

 孫堅と十分に語り合った劉備は一旦孫堅の政庁を後にして、更に絆を深める機会を下邳城下で待つことにした。

 2月7日、市場で任務中の孫堅を見かけた劉備は声を掛けた。

 「お仕事中に失礼します、もし宜しければ孫徐州のお手伝いさせて頂きたく」

 「何と、劉軍師にご助力頂けるとは心強い」

 劉備が力を貸したことで、孫堅と孫静が進める市場の人夫増員の任務を予定日から五日も短縮することが出来た。

 「劉軍師のご助力に感謝するぞ」

 孫堅は劉備の協力に感謝の気持ちを全身であらわしていた。

 「孫徐州のお力になれてなによりです」

 翌日、孫堅から劉備が招待されたという知らせを童子が伝えてきた。劉備は直ぐに身なりを整えて孫堅の政庁へ向かった。

 「孫徐州、何か悩み事でもおありですか」

 会話の中に塞ぎ込んだ様子を察知した劉備は孫堅にそれとなく尋ねてみた。

 「仕官の際にいろいろと援助してくれた恩人がいるのだが・・・」

 「最近、恩人の村が賊に襲撃されたらしくその後の消息が途絶えておっての」

 孫堅は実に心配している様子だが、戦支度に忙しい股肱の臣下に私情の使いは頼み辛いようだ。

 「それはさぞご心痛のことでございましょう」

 劉備は孫堅の心痛を慮って、協力するのに吝かではないことを伝えた。

 「無理を承知で頼むのだが、恩人の消息を調べて貰えないだろうか」

 「勿論、調べて参ります、何処を調べればよいでしょう」

 孫堅の恩人を捜索するという依頼を劉備は快く引き受けることにした。

 「小沛だ、もし恩人に会うことができたら、いつでも儂を頼って欲しいと伝言を頼みたい」

 劉備は頷くとすぐさま旅支度を整えるために旅館に戻った。

 2月23日、劉備は下邳を出発し小沛を目指した。

 小沛は現在、黄巾の残党に占拠されている。しかし近くに戦の気配はなく、規律は乱れ、門衛も気が緩んでいる。

 多くの行商人が門を通る時間に合わせて、難なく小沛への潜入に劉備は成功する。

 2月28日、小沛近郊の村を襲撃した賊のことを調べるため、小沛黄巾党の武官で治安維持に力を尽くしているという義俠の人、周倉を劉備は訪ねた。

 「初めまして劉玄徳と申します」

 「貴殿が噂に名高い劉玄徳殿か、敵対する黄巾の城中に堂々と入り込むとは豪胆な御仁だな」

 素性を隠さず正面から敵中に一人乗り込んできた劉備に周倉は内心感嘆していた。

 「実は、小沛の近隣の村が賊に襲撃され、消息が途絶えた者がおります、小沛の治安を預かる周倉殿なら何かご存知かと思い伺った次第です」

 劉備は小沛の街の人々から周倉が義俠に厚いと聞き、一か八かの賭けに出た。

 「賊に襲撃された村なら知っている、避難してきたところを市中で保護しているはずだが、貴殿の尋ね人は生きておられるとよいですな」

 周倉は劉備の頼みに親身になって対応し、知っていることを包み隠さず教えてくれた。しかも被害に遭った村人達を難民として保護しているという。

 周倉の警邏所を後にして、黄巾の残党にもあれ程の義俠の傑物がいると知り劉備の心は揺れ動いた。

 2月末、小沛の街中で劉備は孫堅の恩人の捜索を開始した。

登場人物

劉備 ・・・ 主人公。字は玄徳。劉軍師とも呼ばれる。幽洲涿郡涿楼桑村の出身。漢の皇帝の末裔であったが、父が早く亡くなり家は没落、筵を売って生計を立てていた。身の丈七尺五寸(約173センチ)、大きな耳をしている。武器は家宝の双剣『雌雄一対の剣』。現在は劉焉軍の軍師として孫堅軍との同盟を締結させ、共同作戦の準備を進めている。

孫堅 ・・・ 字は文台。孫徐州とも呼ばれる。揚州呉郡の人。孫子の末裔を自称し、十代での賊討伐を切っ掛けに頭角を表す。若くして出世し、現在は徐州刺史。統率力、武勇に優れ、知勇兼備の英傑である。性格は豪胆。多くの兵士を従える威風を全身から発している。戦においては獅子奮迅の働き振りで自部隊の攻撃や士気を極限まで高め、周囲の部隊に兵撃を与える戦術を使う。武器は名品古錠刀。孫策、孫権の父。

劉焉 ・・・ 字は君郎。劉幽州とも呼ばれる。漢室の末裔で幽州を統べる刺史(行政長官)。文官としての才能には秀でるが軍事には疎い。その為、黄巾の乱鎮圧に優秀な武官を必要としていた。性格は冷静沈着だが強欲。子に劉璋がいる。現在は本拠地を冀州の南皮に移し、私財を増やす為部下に南皮での収奪を密命した。黄巾の乱平定後の未来を強欲に画策し始めている。

糜竺 ・・・ 字は子仲。徐州東海郡の人。広大な土地を有する大富豪で、万を超す小作人に慕われている。義を重んじ、温厚篤実、秀才の誉れ高く、農政に明るい。現在は孫堅の陣営に招かれ農政改革に取り組んでいる。孫堅との外交に奔走する劉備に数々の助言を与えている。

孫静 ・・・ 字は幼台。孫堅の弟で文官。政治全般を得意としている。

周倉 ・・・ 黄巾党の武官。黄巾の残党が支配下に置く小沛で治安維持を担当している。賊に襲撃され難民となった村人を保護するなど、義侠心に厚いと小沛の市民から評判が高い。

用語説明

黄巾の残党 ・・・ 太平道の教祖である張角が主導した大規模反乱の勢力。目印に黄色の頭巾を被った。主導者の張角は既に処刑され、現在は弟の張宝が跡を引き継いでいる。残党と言われるも依然勢力は強大。

徐州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東方の州。徐州の都城は下邳、琅琊、広陵。

下邳 ・・・ 徐州の都城の一つで徐州の州都。現在は孫堅の拠点となっている。

幽州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東北の州。幽州の都城は薊、北平、襄平。

南皮 ・・・ 冀州の都城のーつ。後漢から三国時代の華北における重要な都市。黄巾党から劉備が奪還した。

軍師 ・・・ 軍事・政治的に主君を支え様々な献策を立案する参謀のこと。

社康洒 ・・・ 酒造りの名手社康の名を冠した白酒の名品。中国の酒造の神杜康(とこう)に由来して酒造りの名手に杜康の氏を授けたとされる。社氏(とうじ)の名称の起源ともされる。曹操は自らの漢詩『短歌行』の一節で「何を以て憂いを解かん、唯だ杜康 有るのみ」と詩を賦した。

威風 ・・・ 指揮兵数の上限を増加することができる特技。全身から漂う威風により多くの兵卒を従えることができる。孫堅は孫子の秘伝からその極意を習得したようだ。

小沛 ・・・ 豫州の都城のーつ、下邳の北西に位置する都市。沛県は漢の高祖劉邦の出生地でもある。

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