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唐突に始まるにらめっこ

ベビーカーに乗った天使に出会った。
通勤途中で乗り入れてきた彼女は手に持ったマーブルチョコの箱を振り回していた。今も同じパッケージデザインなんだぁ、やっぱりあのチョコのサイズ感が食べやすいのかなぁ、なんて考えていた。目が合う。

唐突に始まるにらめっこ。
ほぼ満員電車にも関わらず下を向いて口を膨らませたり、変顔をしていたぼくは客観的には変なお兄さんだったと思う。
10秒ほど拮抗の末、決着がついた。ぼくの勝ち。これが大人のちから。
笑いながら顔を隠す姿がめちゃくちゃに可愛かった。
目的駅で降りる前には手を振り返してくれた。今日も頑張れる気がする。

できるだけ同じ時間の電車に乗るようにしていると、勝手な顔馴染みができたりする。いつもサッカー動画を見ている人、ビジネス系の番組を見る人、音楽を聴いて上を向いている人、ソシャゲの広告で出てくるグミを揃えるタイプのゲームをやってる人(あれ面白いのかな)。
話すことはないけど顔馴染み。

気づけばスマホを触っている。それはぼくも同じ。
スマホは便利だからこそ、その情報取得の簡単さをもってして、情報が得づらかったからこその楽しさが減ってしまった。考えるよりも先にスマホを触って、SNSを見ているぼくも中毒者の1人なんだと思う。

さっきまで考えていたことが、リールの動画や音楽・流れてくる漫画広告によって押し流されていく。一度押し流されたものはなかなか拾うのが難しい。使い方を考えないとだな、と思った。

あの雲は何ににている。このチョコはお父さんで、このチョコはお母さん。きっと出会った天使はそんな遊びを日々しているのかもしれない。
こどもの視点から学ぶことが多い。というのは、彼らが宇宙人であると同時に、彼らが世界というものをその目・鼻・耳(口・肌)で必死にわかろうと、自分の知っているものを組み合わせて構築しているからなのかもしれないと思った。その組み合わせのクリエイティブさ・自由さが大人がびっくりするポイント。

にらめっこなんてガチャ要素も課金要素もないのに、どうして面白いんだろう。目の前の人を笑わせようとする。誰も傷つけない気持ちのいい遊びを作ってたことに気づいた。

どう顔を動かすのか、どうしたら変で面白いのか、目の前の人と向き合うシンプルで原始的な遊びが愛おしくなった。

気がつくとただのにらみあいをしていまう大人。
解決策はにらめっこにあるかもなー。

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