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「伝わらない」も引っ括めて。

僕が子どもの頃、エンタメは専らテレビが担っていた。いやもちろんマンガやアニメもあったけれど、教室の話題はいつだって番組の話だった。『伊東家の食卓』や『学校へ行こう!』をはじめとするバラエティはもちろん、学年が上になればドラマもチェックするようになっていた。僕も友人と『野ブタをプロデュース。』や『プロポーズ大作戦』などを話した記憶がある。

さらに時間を数えると、深夜のバラエティ番組の面白さにも気がつく。それは19時頃のいわゆるゴールデン番組とは異なり、少しブラックな雰囲気が感じられた。放送の尺も短く、内容も“万人ウケ”とは距離を置いたちょっとディープなもの。決してクラスの中心の話題になることはなかったものの、僕は分かり合える数名とこっそり楽しんでいた。

「伝わらない」を加味したコンテンツだったように思う。いや厳密にいえば「伝える」のための「伝わらない」であり、言い換えればニッチである。ある程度ジャンルやトピックを絞ることで、より尖らせた内容になったのではないだろうか。思うに、今でいうところのYouTubeだった。それほど個人的な発信ではないにしろ、何かを失う覚悟を感じさせた。

僕はこの深夜番組のテンションが、好きだった。そして相変わらず、今でも好きである。すべての人に伝えようとするのも大切な要素であり、たとえば優しさや思いやりと言えるのかもしれない。しかしながら「伝わらない」があるからこそ、そこを認めるからこそのコンテンツがあると思う。まだまだ言語化の不足を感じるけれども、とりあえずあの深夜番組の感じ、好きだったんだよなあ。なんだったんだろうなあ、あの独特の雰囲気は。

いつもいつもありがとうございます〜。