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僕らは、世界のごくごく一部で。

絶対音感を持つ人の世界が、僕にはわからない。きっと日常の中の何気ない音に対して「ドの音が鳴ってるな」とか「めっちゃファじゃん」とか、そんなふうに見える(聴こえる)のではないかと想像する。でも彼らは自分が“少数派”であることを弁えているから、その音感を前面に押し出すようなコミュニケーションを見せない。

それでも、彼らにしか見えない(聴こえない)世界があるのは確かなのだと思う。まあ決して絶対音感に限った話ではなく、たとえば同じ場所で複数の人が活動していても、心の中は人それぞれである。書きながら思い浮かんだが、いくつかの言葉を操るバイリンガルと呼ばれる方々にも、彼らにしか見えない世界があるのだろう。

かくいう僕にも、自分にしか見えない世界がある。複数の人が関わる中で、そのほとんどの人が見えていない世界。でもそれを基準にすることはなくて、そもそも僕に見えていない部分があるのだからそれは不可能で、というか無礼で、べつに自分を前面に出すこともない。たとえば僕には、絶対音感がないのだから。いわばお互い様である。

僕らは、それぞれのごくごく一部の世界で、関わり合って生きている。理解し合えたら万々歳で、自分の思い通りになるなんて以ての外。何らかのエラーを感じるのであれば、自分自身にも責任がある。その解消のために最善を尽くせているのか、何をすべきなのか、しっかり考えられる人間に僕はあこがれを抱くわけで、そこに近づけるよう努めていたいと思う。

いつもいつもありがとうございます〜。