高三郷

正真正銘社会不適合者的哲学

高三郷

正真正銘社会不適合者的哲学

最近の記事

思考における機械仕掛けの神を疑うこと

前提 最近、「主観」と「客観」というワードを よく耳にする。 「主観」にハマりすぎることなく、 「客観」を大事にすることで、物事の妥当性を保てるというのだ。 はぁ。 なるほどね。 まるで、絶対的な神威だと 言わんばかりの民意ではないか。 あまりにも視野が狭い。 体系的な概念を疑うことが哲学。 であるのならば哲学しよう。 創作物からの帰納的思考 古代ギリシアの演劇の技法として、 機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)なるものがあるらしい。 どんなものかというと

    • 人類の宿痾

      年末です。 あなたにとって、今年1年はどのような年になったのでしょう。 楽しかったり、嬉しかったり、 辛かったり、悲しかったり、 色んな感情や思い出があると思う。 しかしそれももう「去年の話」となるのね。 また1つずつ沢山の思い出を作って、来年もこうやって振り返る、それを繰り返す。 それが「年を越す」という単語に含まれる人的行為だと解釈してる。 さて、と いつかの記事にも書いたように、 私は普段からこのような事を考えている。 日常のある場面を切り取り、考える。 新し

      • 明るくて何もないクリスマス

        12月。年末だよ。 今年が終わっちゃうよ。 あぁ…………… あ、 クリスマス。 なんかあるじゃん。楽しげなイベントが。 小休符的な何かが。 とは言っても何がある訳でもないし、何かしようとも考えていない。 でもクリスマスっていう単語には、何故かワクワクさせる力がある。 これは子どもの頃からの学習故なのだろう。 ケーキ、イルミネーション、カップル、プレゼント。 わぁ… なんか明るいなぁ。物理的にもだけどさ。 こんなことを考えていると余計にワクワクする。 が、私に

        • 年を重ねて

          もうそろそろ11月。 2023年も残すとこ2ヶ月になるのか。 思えばすごい速さで駆け抜けてきた。 ここで気持ちに余裕を作りたい。 余裕を生むためには片付けをしないと。 何をどう片付けするか。 気持ちとかいう主観でしかないものをだぞ。 私は「今」と「過去」を整理することだと思っている。 ということで今回の重きは、「少年期のスローライフと青年期の忙しない日々の違い」にしよう。 よし、考えるぜ 単純な話からいこう。やることが増えた。 私は今、学生だ。 学業と一言で言っ

        思考における機械仕掛けの神を疑うこと

          ある秋の日の小休憩にて

          あーーーーーーーーさむいな。 こうも寒いとやる気が一向にでない。 これがまだ序章だなんて信じたくないね。 キャンパス内のベンチに座って、 そんなことを考えていた。 寒いといつもこうだ。思考力が鈍る。 しかし、それを憂いてはいなかった。 なぜかって? 普段から余計な事ばかり 考えてしまうからだよ。 私はかなり考えがちな人間みたいで、 ちょっとの時間で色々な思考が湧く。 それが場面に相応しいものであるならよい。 そうでないことも考えてしまうから 困ったものだ。 酷いとき

          ある秋の日の小休憩にて

          何を贈ろうか

          先に断っておくね。 これは正解でも、推奨でもなんでもない 私の理想のお話。 自分に思い人がいたと仮定した時の、 贈りたい物のお話。 形に残すべきか否か 恋愛っていうのはすごく難しい。 そんなのは、きっと多くの人が学習した 自明のことだろう。 何をしたら相手が喜ぶのだろうか 何をしたら自分は幸せになるれるのだろうか 考えるだけで時針が何周もしてしまう。 それが恋愛。 はは、人間って大変だよな。 それが難しいと知っていて尚、 思考をめぐらす。 友人の話を傾聴してい

          何を贈ろうか

          版画を作る

          版画で作品を作る。 初等教育を受けていた時、1度はやったことがあるのではないではあろうか。 木版に彫りを入れて、色を与え、押す。 当時は作品の完成に夢中で それ以外のことを考えたことは無かった。 しかし成長を繰り返した現在地において、 このプロセスの強み、万能さに気づいたのは きっと私だけではないはず。 今回はそんな版画に秘められた力を、 人生にどのように登用するかを考えたいね。 さて、本題に入るか。 言ってしまえば簡単な話で、 「版画を作る」≒「マニュアルを作る

          版画を作る

          上げ底を用意する

          人には知的好奇心なるものがあるらしい。 それがどんなものであろうと。 例えば「怖いもの見たさ」。 怖いのに、見たくないはずなのに、 その先に何があるのかを知らずにはいられない。 うーーーーん素晴らしいね!!! これが強いと強いほど学者さんとかに向いてるってことなのかな? まあ強弱あれど知的好奇心はあるんだろうねっていう前提を覚えていて。 本題はここから 私は上げ底理論と呼んでいる。 もしかしたら学術的な名称があるのかもだけど、これは私の経験則からのお話。 だから、私

          上げ底を用意する

          寡黙な私と一途なあなた

          アラーム音が部屋に響くはずだったが、それなしに目に光が入ってくる。 「朝だ。」 学習して身につけたものからそう判断できる。 学習はそれだけに留まらない。 他にも感じられるだろうものは沢山ある。 焼けたパンの匂い。鼻歌交じりのあなた。 誰かに尽くすのが好きだと逐一言っていたあなたの顔は、窓から差してくる陽光と重なってよく見えなかった。 『おはよう。ご飯作ってるの?』 そのように口を動かそうとしたが、現実にはそうならなかった。 「…」 何をどうすればいいのだろう。

          寡黙な私と一途なあなた

          できるだけ傷つけない方法

          「そんなの見る価値ないってwww」 下校中の生徒から発せられた言葉だった。 駄作を指して言っているのか? 誹謗中傷を指して言っているのか? まあそこはどうでもいい。あくまで主観、 あの子の考えを否定する必要なんてないや。 でも、価値ってなに? そこに引っかかりを覚えた。 別に定義づけに難癖つけようなんて 考えてないけど、「うーん」て感じ。 私は考えを否定しない。さっきもそうだ。 彼にも、彼女にも、価値判断基準がある。 誰かがただの石を形見だと主張したら、 私たちにそ

          できるだけ傷つけない方法

          スタッカート容認派

          まずはスタッカートとは?について まあ端的には「間」です。 音楽用語だから、容認も何もないと言われる覚悟はあるよ。 まあ聞けって、あくまでメタファーだから。 ゴミへの問題提起 スタッカートの対義語はレガート。 つまり、間のない調律取れたひとつの流れ。 これを現実界に例えるなら 「人」+「人」+…の「協調性」だと思う。 大勢で1つとなる(協調性の)世の中は、 乱れた者を憎む。 規律を乱されると自分に被害回るからね。 例としてあげると、飲みニケーション。 飲みで仲

          スタッカート容認派

          枠を超え

          昔は血液型、昨今はHSPやADHDなど やたら人間はカテゴライズをしたがる。 まあそれもいい。 それが生きる糧になるのならむしろ多幸。 だけど、だけど、、 ゆっくりしてみない? あれらは全て属性、性質、記号なの。 「私○○だからさ…」 「じゃあ、○○があなたの全て?」 「そうとは言ってない。」 そりゃそうだよ。そんなわけない。 だから 言わなくていいの。蛇足でしかないの。 紹介したいならすればいい。気が済むまで。 でも、記号なんかじゃ あなたは収まりきれはしな

          枠を超え