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◆濱中史朗氏 ロングインタビューVOL.3

のぶちか
「実は後でお聞きしたいと思ってたんですけど、僕最初、史朗さんのこのお部屋に通して頂いた時に、この空間の美しさが分かんなかったと言うか、気付けるほど眼が利かなかったし知識も無かったし、まぁ今だってまだまだなんですけど、で当時からもうやっぱりある程度こういう空間作りって完成されてたなって僕はちょっと思っていて、その時に史朗さんとは高齢の陶芸家先生と比べるとまだ若くて近い作家さんっていう印象の中で、初めての時から一年二年と経っていく内に、この空間を作られる感性ってとてつもないなっていう事に気が付いたタイミングがあったんですよね。僕も萩焼ではあるんですけど、そういう部分の中で育ってきた中で、『この差って何だろう?』って思った時があったんですよ(笑)。今までのお話を伺って、なんかやっと分かりました(笑)。すごい、やっぱり環境というか…」

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史朗さん
「環境というか…、まぁでもやっぱり、佐々木さんの後に戻って来てから(この部屋を)いじったんやけど、まだその頃(この部屋は)土間やったから、何年かして『食器作るんやったらやっぱりベースが無いとあかんやろ』っちゅう事で、先ずテーブルが無いと(笑)、自分のテーブルが無いと(笑)、あの空間が無いダメっていう、だからそこから作っていって。だから建築もねぇすごい色々見てきてたんだけど…、なんかうーん、評価っていうか自分がしないと分からないなぁって思って…、光とかさぁ…。よく言うじゃん、その『光がどうの』ってさ。まぁなんか一緒に居た人でも言うけどさぁ、何言ってるかよう分からんっていうか(笑)。感覚がちょっとなんか、うーん…理屈じゃないんだろうなと思ってたから…、って言うと大げさだけど、まぁいっぺん自分でしないと分かんないんだよね(笑)。っていうのもあってし始めたんだけど、その設計上じゃないから…やりながら決めていく(笑)。そういう理想の物が無いからさ(笑)。まぁやっていく内に見てきたものが反映されてるっていう事ではある…。」

のぶちか
「建築だったらどんな建築(家)を見て来られました?あるいは好きな(建築家は)?」

史朗さん
「うーん……………まぁ好きかどうか分からんけど、安藤(忠雄)さんとか、でそれに付随するカルロ・スカルパとか…、まぁイサム・ノグチとこ行ったりもしたし、猪熊(弦一郎)さん…、いや限りなくいっぱい(笑)。」

のぶちか
「建築に傾倒された時っていつ頃ですか?」

史朗さん
「結局、(若い頃の住居が)家が古くてよく修理させられてたの(笑)。その屋根上がったりとか床下入ったりとか(笑)。床も陥没してたりしてたから、そこから木当てて石置いてこうやって(笑)。メンテナンスさせられたりしてた。で、家も兄貴と兄貴の友達と小屋建てた事があった、小学校の時に…。」

のぶちか
「えっ!?」

史朗さん
「親父が『材料出すから作れ』って言って、小屋作ってね。中二階あるんよ、もう本当ちっちゃい小屋。四畳半位の、で中二階があってっていうコテージみたいな(笑)。家具も作った。」

のぶちか
「へー!もう月村先生が意図的にクリエイティブな感性を養わせようとされてたんですかねぇ?」

史朗さん
「うーん、親父も実際作れるからねぇ。でも、『作れ』ってよく言われてた。『欲しいものがあったら作れ』って言って(笑)。」


大屋窯での修業

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のぶちか
「話は変わりますが、最初の十年は萩焼をされてたんですよね?」

史朗さん
「萩焼って言うかまぁウチの会社(大屋窯)の仕事よ。」

のぶちか
「当時の大屋窯さんの仕事に磁器は無かったですか?」

史朗さん
「磁器は無かった。」

のぶちか
「なんかあの均窯(宋~元代に焼かれた中国の焼物)のシリーズがあるじゃないですか、ああいうのもあったんですか?」

史朗さん
「あれはもう昔から。」

のぶちか
「じゃあ萩の土を使って、という事ですね?」

史朗さん
「うんうん。」

のぶちか
「で意匠が月村先生?」

史朗さん
「うん、あとは注文だったり。あとはブライダルだったり。大屋窯ブランドとしてっていう露出は当時無かった。でもうほとんどデパートだったり、その間に人が居たりとかね、そういう流通。」

のぶちか
「うーん、なるほど。イメージ的に当時だと爆発的に注文があった様な気がするんですけど?」

史朗さん
「うーん、その前がもっとすごかったよね(笑)。俺がまぁ小学校の時とか。」

のぶちか
「なんというか、たくさん作るにしても作らされるにしてもいずれにしてもロクロをひいた数ってすっごい重要だと思っていて、そのブライダルにしてもデパートにしても『うわ~、めっちゃ来る泣!』みたいな、その中からでも良かったなって思える事とかってありますか?『あの十年が効いた!』みたいな…」

史朗さん
「うーん、いまだに上手いとは思わないんだけど、結局ねぇちゃんと習ってないってのもあるけど元々(笑)。とにかく日々作ったっていう(笑)。最初蹴ロクロでね。」

のぶちか
「最初からですか?」

史朗さん
「最初からって言っても、何年かはちょっと雑用してそれから当時隣が親父の仕事場やったんやけど、その横で蹴ロクロがあって、何年間やったっけな?それから量産になって電気ロクロ始めてって感じで。」

のぶちか
「話が逸れますけど、蹴ロクロと電気ロクロだと生産スピードは変わりますか?」

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史朗さん
「うーん、変わるやろうね。でも当時はそれ(蹴ロクロ)でもめちゃくちゃ早い人がおったからね(笑)。俺は知らない(生で見ていない)けど。だから『ひと蹴りで作れ』みたいな感じだったよ、親父に言わせると(笑)。」

のぶちか
「え~(笑)!?」

史朗さん
「ハハハ(笑)!まぁぐい呑ぐらい(のサイズだけど)。まぁ五秒位の話。ってまぁ言われたけど、実際計ってないから分かんないけど(笑)。」

のぶちか
「へぇ~、面白いな~~~!」

史朗さん
「だから親父がもっと当時の事を知ってたりする。古い事知ってるから…。今、高野山(史朗さんの第二の工房)は蹴ロクロで作ってるけど。」

のぶちか
「そうなんですね!なんかそれはこだわりがあるんですか?」

史朗さん
「いやぁまぁ取り敢えずあの借りてる場所(高野山という場所柄)もあるし(笑)、できればそういう茶陶関係とか、ハイスピードじゃなくてね、そういうのと違った仕事をする為に持って行ったって感じ。」

のぶちか
「高野山のは茶陶系統なんですね?」

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史朗さん
「まぁ、(茶陶)にするかどうかって感じだね…。その為に蹴ロクロが必要だったし。やっぱ土ものだから、向こう(高野山)でやってるのはね。そんな急いでる仕事じゃないし。猿山さんの個展の時は茶碗をちょこちょこ出してたけどね。」
のぶちか
「蹴ロクロは、本当の意味での古典回帰っていう意味合いはありますか?」

史朗さん
「うん…。やっぱ土掘ったりもして…」

のぶちか
「近くで土掘ったりして(粘土が)出るのが分かっていた場所にお借りしたんですか?」

史朗さん
「いやぁだって産地じゃないから、先ずそういう良い土は出ない(笑)。粘土的なものはでるけどね。」

のぶちか
「じゃあ混ぜてる感じですか?」

史朗さん
「混ぜてる。(掘った土単味だと)立ち上がらないからね。まぁ色んな事が複合して成り立ってるだけやね(笑)。」

のぶちか
「いやいや、なんかもう全部必要な経験だったんだろうなぁと…」

史朗さん
「親父にもなんか昔、『お前はこんな田舎におって暇じゃないの良いなぁ』とかって言われて(笑)。忙しくてねぇずっと…。でも今ようやく自分のペースになりつつあるっていうか(笑)。それまでは何でもしてた様な…。」

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のぶちか
「いやぁでも、作品だとか先ほどのしつらえのお話もありましたし、おもてなしの事もありますし、ディテールの部分に関してもそうなんですけど、おべっかではなくて現実の話としてもう本当にオンリーワンというか、少なし萩では間違いないですし、僕は陶芸シーンでも…なんていうのかなぁ…、これだけ(陶芸、食器に)パクリが増えてきている中で…、真似したがってる方は最近ちょっとだけ見かけるんですけど、まぁ真似にもなってませんし、エッセンスが届いてないっていうか…、だから別にほっとくって感じなんですけど、やっぱり作品が持ってるパワーっていうかオーラっていうか、あぁいうのは他の人に追随されてないというか…、あのあたりは絶対にその『色々』っていう事ってものすごくこれ一個生み出されるまでの間に必要だったというか、確実に影響だったりパワーになってる経験だったんだろうなぁって…、お聞きして思います。じゃないとこういう世界観ってできないだろうなぁって。『そういう空間素敵だなぁ』って分かる人や、そういう空間をお金で買える人はいると思うんですけど、そういう世界観を一個一個作っていくとか…、」

史朗さん
「でも二十代の頃、借りてたとこはちょっとそういうコーディネートしてたね。こんな感じじゃないけど…。タイミング的なものが多いかもしれないね。結構待つよね、なんか色んな事とか。」

のぶちか
「待つ…?」

史朗さん
「仕事的には急いどるんやけど、なんか出来上がる瞬間って待ってたものが来たみたいな感じ。降って来るとかねぇ…当時はね。降りて来るとか(笑)。」

のぶちか
「ずっと醸成されてて、機が熟した頃に…」

史朗さん
「でも、クリエートっていうのは絶やさずやっていく。で、たぶんそれができなくなったら終わりだろうなって思って(笑)。もう、職人に徹するとかさ。一応ベースがあるからさ。そうなれる可能性だってあるしさ。まぁ今のところあのぅ…(仕事が)途絶える事が無いからやれてる感じ。ちなみに兄貴っていうかファッションだと年に二回コレクションでさ、サンプルを何百って考えないといけない状況だって言ってた(笑)。で、そういう影響もあったりもする。クリエートに対する影響っていうか。」

のぶちか
「生みの苦しみというかですか?」

史朗さん
「生みの苦しみっていうかノルマ的なもの…。生みの苦しみってのは無いけど、苦しまない様に色んなものをインプットしていくっていうか…。」

のぶちか
「インプットに関してもお聞きしたかった事があるんですけど、僕自身が焼物しか興味が無かった時に、史朗さんとこうやってお話させて頂く様になって家具だったりとか、あぁいうものが好きになったというか、興味が沸いたというか。で、結局その焼物とか家具っていうジャンルで見るんじゃなく『造形』っていうものとして見方が変わって来た時に、椅子もそうですしこういう楽器もそうですし、

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自転車だったりもそうなんですけど、なにか史朗さんの中で焼物をクリエートするんですけど、そこに対して異ジャンルの物も意識的にたくさんインプットされてるんじゃないかな?って想像した事があってですねぇ。またそれはきっとすごく重要な事なんだっていう風に史朗さんの中で思われてるのではないかって想像した事があったんですけど…。焼物を作っていく際の源泉っていうんですかね。」

史朗さん
「でもみんなそういう俺が知ってるアーティストとかは、みんなそんな…、そこだけじゃないっていうか、みんなそんな影響があるんじゃない?佐々木さんしかり、親父しかり、もう全部こう…、俺もなんかそう…焼物だけっていうかその…もので育ってきてるから…、まぁ結局ものなんだよね俺は(笑)。ものって全部共通するからさ…」

のぶちか
「そこの感覚をもう無意識の内にもう若い時からなんかそういう感覚ですかねぇ?」

史朗さん
「感覚っていうかいまだにもの感を付ける為にいじったりとかする…、やっぱり物に対する感覚を得る為に買ったりはするよね。ものがあって生きてるみたいな感じ(笑)。違うかな(笑)?」

のぶちか
「では物に対してはすごく良い意味で執着というか…」

史朗さん
「もので育ってきたから(笑)。でもその若い頃とかは知らない事も多いからさ、知ったら調べていく訳よ(笑)。そればっかり。」

のぶちか
「もう深掘っていくっていう事がもうすごく習性というか…」

史朗さん
「習性というか、深掘らないとそうにはなれないだろうって感じ。周りがそうやったから(笑)。」

のぶちか
「うわぁ~…、そうなんだ~…。」

史朗さん
「周りがこうやっぱ一流の人がおったから(笑)。で自分はまぁちょっとやっぱこう…『できるんかな?』って思ってたぐらいだからね、そんな人達見てて(笑)。だからもう恐れ多いっていう感じ…。で本当は美術やるんだったら本当に死ぬ気でしないとダメだろうなっていう…、本当に死ぬ気でやってる人居たからね(笑)。っていう思いはあったね。まぁ特に美術なんかねぇ…。」

のぶちか
「いずれその両軸というか、今食器を介して表現されてる様に僕は思うんですね。あの食器を作るというよりは、表現の手段として食器が選ばれてるという様な。で、最初の走りがアートで、いずれ食器と両軸なのか…」

史朗さん
「アートやってみたいっていうか、アートよりになったりとかね…。うん、でも本質的にはそっちが憧れてるけど。結構ファッションでもねぇ、絵描きの人が絵描きで食えないからファッションしたりしてさ、あの…成功してる人達もいるけど…。」

のぶちか
「僕は史朗さんほど交流が広くなくて、だけど史朗さんとお会いできた事で焼物以外に興味を持つ事ができたというか(笑)。」

史朗さん
「ハハハ(笑)!」

のぶちか
「もう本当にそれくらい遅かったというか遅れてて、まぁあれからもう4年位経つのかなぁ…、なんか本当に良かったなぁって思います。それこそその環境だとかっていう部分では、それぞれ生まれ落ちた時からしょうがなかった部分があるとは思うんですけど、その萩焼の中でもロクロひく事はできても、ロクロを引く技術とか焼く技術とか、そこしかないままインプットが無いというか…」

史朗さん
「あぁだからそういう人も見てきてる。結局、職人さん居たりとかもしてたし。だから両極を見てる。だから、それで自分が『(焼物を)なんでするのか?』っていう疑問を持ってた。するならばなんかないと、難しいだろうと…。それでまぁあのクリエーションしていくんだけど、それがまぁ本当…、元々無かったら出て来る筈もないから、(アウトプットが)出てるんだったらできるな、っていうのが毎年更新されてね…、次ダメやったら…ダメやろうみたいな感じで、自分に課してた勝手にね(笑)。だから誰かに言われて作ってる訳じゃなくて…、課してた…。だから能力が無いと絶対無理やって思ってたからね。あるならば、才能があるならば続けられる筈やみたいな(笑)、理論的に。」

のぶちか
「じゃあ才能を枯らさない為にインプットも…」

史朗さん
「まぁ才能があるか無いか分からない。でもあるならば続けられるっていう(笑)…。」

のぶちか
「なるほどですねぇ~。」

史朗さん
「で、拾われてるから結局、(才能が)ある無いに関わらず(笑)。向こうが気になってっていうのはある種のなんかそういのがあるんやろうなとは思うけど、まぁそれだけじゃないじゃん。そういうの…、まぁ良く分からんけどね。」

のぶちか
「いやいやいやいや…。なんかあのう、お父さんがやってからやってますっていう話だとちょっと面白くないから、後付けでストーリー作ってやってるって事って僕は萩の中には多いと思うんですよね。だけど、そのアウトプット見ると僕の場合は感じるものがあって…、『いやいや、好きじゃないでしょ?』みたいな。そもそも萩焼も焼物も好きじゃないのにやってるでしょ?って思っちゃったりする人がほとんどというか…」

史朗さん
「だから違う事したりとかねぇ…。萩焼っていうか萩焼屋の家じゃなかったんよね、そもそも(笑)。親父は萩焼をやってたけどねぇ、やっぱりそれじゃないチャレンジもしてたし・・・。」

◆濱中史朗作品はこちら⇩


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