見出し画像

歴史の皮肉:「迷走5年、英国からの警告」

「迷走5年、英国からの警告」と題する記事(2023年1月4日 日経朝刊より)に寄せて:

ブレグジットを日本の攘夷に現代版とし、隣人(E U)に背を向けた結果の経済的・政治的迷走としています。ただ、この筋書きには違和感を覚えます。ブレグジットをE U嫌いの有権者の感情を煽った帰結として、あるいは、衆愚政治の結末として捉えるのは短絡的です。むしろ、なぜE U嫌いの国民が一定数存在するのかを考察してみます。

もともと英国は、第一次大戦後に、ルール地方の石炭と鉄鋼の国際管理を主張し、E Uの起源である「欧州石炭鉄鋼共同体」と同様の機構を提起した国です。ドイツではなく、英国がE Uの中心とり、統合市場の経済的利益を享受していても決して不思議でありませんでした。しかし、歴史は皮肉にも英国のE U離脱という展開を見せました。

ブレグジットは、1979年のサッチャー政権発足によって決定付けられていたと捉えると、因果の糸が見事に繋がります。
フォークランド紛争に勝利したサッチャー政権は、ナショナリズムを煽ることで政権基盤を盤石にする路線を邁進します。サッチャー首相は、保守党内に欧州単一通貨に反対する派閥を作り、これを軸に欧州懐疑派をつくりました。
欧州との協調ではなく、欧州を敵視することで、英国の主権を守りつつ、政権安定を図る施策は、政権安定に有効な施策ではありました。しかし、時を経てブレグジットに帰結としたと見るべきでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?