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「自分の時代の問題、自分の時代の言葉の中でだけ考えるのでは、自己を開くに足る事柄が躍動しない。ゆえに古に学ぶのだ。」 伊藤仁斎

荻生徂徠や山鹿素行に比べて、伊藤仁斎の名前は語られていないように思います。あらためて、その主著『童子門』を手がかりに、伊藤仁斎の人となりを空想してみました。

「卑きときは則ち自ずから実なり。高き時は則ち必ず虚なり。」この言葉に、仁斎の剛毅でありつつも、慈しみ深い人柄が滲み出ているように感じます。小難しく理屈だけをこねる思考を「虚」と退けます。天下国家を論じるよりも、もっと身近な、親に孝を尽くすことの大切さを説きます。人間本来の感覚に従い、一人ひとりが、その判断力磨いて思想的転換を図ることが必要だと説きたかったのではないでしょうか。

「自分の時代の問題、自分の時代の言葉の中でだけ考えるのでは、自己を開くに足る事柄が躍動しない。ゆえに古に学ぶのだ。」を仁斎の人柄を空想しつつ、次のように超訳してみました。(ユヴァル・ノア・ハラリのエキスが少々混入)
「我々は無自覚のうちに資本主義がつくり出している思考に囚われている。囚われから脱し、一人ひとりが思考の枠組みを再構築するには、論語と孟子の二書から学ぶべきである。」

仁斎が、小理屈ばかりの朱子学は捨て去ったように、現世利益を売り物にする商業出版業界が送り出す溢れんばかりの書籍からは逃避し、古典や本当の良書に学ぶべきなのでしょう。

「古きを学ぶ」としつつ、仏教や道教を役に立たないと切り捨てるあたりは、仁斎の豪快さの表れでしょうか。


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