廣島の歩き方 3日目
平和記念公園
三日目になりました。
その日の夕方に広島を発つ予定だったので(台風の余韻で予定変更に)、時間がゆる限り広島を堪能します。
やはり平和記念資料館へ。
リニューアルしてから2回目です。また訪れることができました。
昼間は多くの人が並んで入場までに数時間かかることも。
宮島に行った時のタクシー運転手の方に、朝一番か夕方17時すぎお薦めとのこと。
夕方は行けない(予定では)ので、開館時間に間に合うように向かいました。ANAホテルは資料館まで近くて便利です。
炎天下での待ち時間は危険です。資料館の方、よかったら整理券システムを作ってみてはいかがでしょうか。
待っている時間をお茶したり、折り鶴タワーに登ったりと経済効果もあると思います。
原爆の恐ろしさ、そして国を操る人が作った計画と実際に被爆してしまった人たちとの乖離を改めて感じました。
プーチンが頭で描いていることを実行するためだけに、何人の人が犠牲になったか。
今はもっと原爆の性能も上がってると思うので、本当に恐ろしいです。
この鎮魂の建物は、原爆ドームと慰霊碑とを線上で繋げています。
祈りがまっすぐに届くように作った。んだと勝手に感じてます。
折り鶴タワーに登ると原爆ドームが違う角度から見ることができます。
ただ、今回は相方が暑さにやられたのと、入場料を観て断れました。
私としては、一度は登って欲しいです。そして鶴を折って欲しいです。
お昼ご飯も結局折り鶴タワーのカフェで。
観光客に嬉しいラインナップです。
この頃から、帰りの新幹線がいよいよ怪しくなってきました。
今までなら台風一過で落ち着くはずですが、静岡で局地的な雨とのこと。
雨が止んだら動き出すのではないかと諦めきれないボクら。
SNSでは情報を発信してくれたり、迂回路を模索してくれたりと、有り難いです。
大和ミュージアム
夕方までの時間をどうするか。
東京からなかなか山陽地域までは来れないので、弾丸で呉まで行くことに!
快速で30分ちょっとで行けます。
途中から海沿いを走るので車窓も素敵。
そもそも広島は毛利藩の国として栄え、その後明治政府の計画で軍事都市として栄えたようです。
戦争や軍ということは置いといて(置いては行けませんが)、科学や化学など知が集中した場所だったと思います。
大和ミュージアムで一番印象に残ったのが、世界一の戦艦大和を見た瞬間に大和に乗りたくて、一緒に死ぬことも厭わなかった、乗組員のキラキラしたお顔です。
大和が戦争の道具でなければとても素敵な話なのにととっても複雑、というか印象的でした。
日本人は(と言っていいかわかりませんが)、真面目で好奇心もあって、追求するのが好きだと思うので、その性質を環境や国が発展する方向に進めて行けば、このキラキラが人を幸せにすることに行かせたらと、強く感じました。
私の周りも少し保守的に閉塞感があるので、もっと自由に知的好奇心を満足できる日本になって欲しいです。
そんなこんなしている間、新幹線情報を確認していたのですが、静岡あたりがまだ不通とのことで、私が乗る予定の便が大阪止まりになってしまいました。
①大阪まで行って一泊 翌日始発(自由席) 大阪ー東京間は負担
②予定の便を取り消して、翌日広島発自由席で帰る。(指定席は既に満席)
③新幹線で新大阪まで。その後は普通車を乗り継いで東京まで。
究極の選択でしたが、バタバタせずに②で行くことにしました。
時間にも余裕がでたので呉湾艦船巡りをしたかったのですが、残念ながらタイムオーバーでした。
以前に行った時は艦船を小さな船で間近で見ることができて迫力があったので、是非おすすめです。
あと、こちらも今回行けなかったのですが、海上自衛隊の資料館も併せて見ると、呉を満喫できるのではないかと思いました。
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