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節分の前に。お化けや鬼で子どもを怖がらせることについて

まもなく2歳になる子どもをお化けで脅してしまったのだけれど、いいのでしょうかと質問がありました。

たまたま宅配便の人が来たときに、お化けかな、と言ったら、子どもがいい子になった、というのです。それで、寝かしつけのときにひょんなことから「お化けが来たよ、寝よう」と言ったら、効果てきめんですぐに寝た。また使っていいかな?でも、緊張した呼吸で寝ついたし、関係があるかどうかわからないけれど、翌朝、保育園で子どもが親から離れなかったから、止めておいた方がいいかなと。

おばけの専門家、どこかにいないかなあ、とまず思いました(笑)
日本の妖怪の専門家のアメリカ人、アダム・カバットさんが、前の勤務先の同僚でしたので、聞いてみたいなあと思いました。
(あとで書く河童のエピソードは、ずいぶん前にカバットさんに聞いた話です)

と思いつつ、まもなく節分ですし、心理屋の私の考えたことを書いてみました。


日本には、妖怪やら、お化けやら、なまはげ、節分の鬼(現実にやってきますね)、桃太郎の鬼(絵本、つまり空想の世界ですね)といろいろいますよね。最近は海外のお化けも怖いものから可愛いものまで、いろいろ入ってきています。脅しが効くからでしょうね(笑) 

で、もし鬼で怖がらせることがだめなら、なまはげの文化や節分の文化は消えますよね。

でも、なまはげの文化にはその土地の背景があって、意味があって、社会をつないでいるし、鬼を最高にもてなして退散させるその家の主がいる
節分は、鬼は豆で外に追い出すけれど、福は中に入れる。セットですよね。しかも、追い出す方法が、小さな豆とか魚とか柊とか、まじないの類です。

両方とも、年に一回だけ。恐怖だけではない。これは肝な気がします。
毎日出て来て何も起こらなかったら、ありがたみも効き目もない(笑)
恐怖だけなら、繰り返したくない。

だから、お化けや鬼そのものは、子どもたちにとっても「いい悪い」じゃない気がします。

問題は、
・心の中の恐怖とどうつきあうか、です。

・誰かに助けてもらえるか、
・自分で闘えるか、
・自然や見えないもの、不可思議なものへの畏敬をどう持つか、

というようなことかなあと。

また、河童の存在には、小さい子が沼に行ってはまらないように、近づかないように、という意味もあったらしいです。大人や大きくなった子どもたちは信じていたわけではなくて(信じていた人もいるだろうけれど)、
沼にはまってしまうような子どもたち向けのストーリー。大人たちの工夫。
文化的、社会的な意味があったわけですね。

お化けや鬼も、夜は野生動物もやってくるし、出歩かない方がいいとか、早く寝た方がいいとか、そういう意味があったんじゃないかなあ。

なにより、お化けや鬼という概念を生み出すリアルな人間や、災害をもたらすほどの自然の脅威の方がずっと怖いわけです。現実は怖い。

そういった怖いものに対して、人は耐性を持てるようになる必要があるわけで、私は、恐怖の中で、それに打ち勝つ、より強いものを信じられるようになるといいなと思うわけです。

サンタであれ神様であれ、自分を救ってくれる見えないものを信じるというのは、一つの力ですよね。ウルトラマンも、人間の哀しき業をやっつける存在でした(相手は哀しいバックグラウンドから生まれてしまった怪獣だったから、不条理だったんですけどね)。本当の信心の心は5歳までに身につくと、精神分析の先生がおっしゃっていたなあ。

目に見えないものを信じる、内化させるというのは、自身を律する力を持っていると思います」と酒本恵梨子さん。
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「お天道様が見ているよ」という言葉がありましたが、私は母に鬼ではなく「神様はどこでも見てるからね」とよく言われていましたし、それが現在でも、いま私は何をすべきか?という時にお天道様に恥じない、神様が喜ぶ選択は?という感覚が心のどこかにあることを感じています。

きっと鬼というのは、そう言う私たちの弱いところを励ます役割であったと思いますので、支配のためのツールではなく共存できると良いなと、noteを読みながら思いました。
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酒本さん、ありがとうございます。

さて、そんなもろもろを考えると、たまたまお化けや鬼が子どもとの会話の中で出てきてしまった(使ってしまった)ということ自体は、そんなに悪いことだとは私は思いません。

でも、本当に恐怖を感じている子に何度も方便として使うのは止めた方がいいと思いますし、ましてや親から離れないほど怖がっているのなら、それは止めてあげたいな、私は。

なぜ?

自分がそうされたくないから~~~。

親が鬼になるのは怖すぎるし、親が鬼をコントロールして出してくる(悪い子のために鬼に来てもらう、親が鬼と見えないところでつながっているわけですよね💦そんな鬼のアプリとか最悪)のは、なしでしょう
それに、一度しみついた恐怖心は、なかなか消えないのです。子どもをあとあとまで怯えさせるような恐怖心は植え付けたくないものです。

 恐怖だけなら、マルトリートメント(虐待)ですよね。
 それを日本中がやっていたら、社会的マルトリートメント。

一方で、眠ることで消える(うなされるのではなく)レベルの怖さや、
親が必ず守ってくれるから大丈夫ということであれば、ありだと思います。

それから、むしろ、同じ空想の世界なら、先ほど酒本さんが書いて下さったように、お天道様とか女神様とか天使とか、そういう存在がやってきて、眠れ~~って言ってくれたらいいかも。「女神さまがあなたを見守っててくれて、いい夢が見られるよ~、早く寝ようね~」「お天道様は眠りにつくあなたを見ているよ~」みたいな。

そう、こういうとき、私はもし自分だったら?と考えます。
女神の方が絶対にいい(笑) 

もし、お化けや鬼なら、ちょっと怖いな、でも近くにお母さんやお父さんや保育士さんが味方でいてくれて、守ってくれるから大丈夫、と思えているならOK.(そういう親子関係や保育士さんとの関係(危険を回避するためにしがみつくという愛着関係)、がちゃんとできているかどうかがポイント)。

一人でホラー映画は無理だけれど、誰か(この誰かを選ぶことが大事ですよね!)とだったら大丈夫みたいな。怖いのに、しがみつきたくて映画に行くみたいな(笑)。

節分のとき、ただただわんわん泣いて大人にしがみついていた子どもたちが、年長になるにつれ成長して自分で鬼に向かっていくことができるようになるのは、大人のウソを見破る力がついたというようなことよりも、自分で恐怖に立ち向かう力がついてきているからかなあと思います。もう少し大きくなると、お化け屋敷に行ける力になりますね。もちろん、そこには、順番として、まず大人にしがみつけるという発達段階が絶対的に必要なんですよね。基本的信頼、安心感です。

さて、私は自分がやってほしくないことは、やっぱりやってほしくない。
子どもでも大人でもそれは原則
ではないかな。
ちょっと怖い気分になって、よしもう寝ちゃおう、で寝つけるくらいならいいんですけどね。

シチュエーションと相手の気持ちを考えて、ということになるでしょうか。絶対やってはいけないこと(親の都合や面白みで恐怖に陥れる)は確かにあるけれど、しがみつける大人がいるところでだったら許容範囲かなと。

もし大丈夫かどうか確認したかったら、まずはよく子どもを観察すること。
そして、それ以上に確認したかったら、お子さんが落ち着いている昼間に、ていねいに対話してみてはいかがでしょうか。聞いちゃうのが早いですね!!

今年の節分、楽しみです。

※ 写真は室伏淳史さん 昨年元旦のお日さま。

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