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用字用語集の不思議

 校閲・校正者が一般の国語辞典とは別に“座右の書”としているのが用字用語集というやつだ。『記者ハンドブック』(共同通信社)、『朝日新聞の用語の手引』(朝日新聞出版)、『読売新聞用字用語の手引』(中央公論新社)など、いくつかの種類がある。
 国語辞典と違って、単語の意味を解説するものではない。載っているのは、漢字や送りがななど表記の基準、類語の使い分け、外来語の表記、紛らわしい法令関連用語の使い分け、さらには記事のフォーマットなど、新聞記事を書くためのルールである。

 なかでも広く使われているのが『記者ハンドブック』。この連載のためにわざわざ買って、前回話題にした「未亡人」を引いてみたら、×マークとともに〈使わない〉と明記されていた。「注意を要する」とかではなく「使わない」。取り付く島なしとはこのことか。注釈にいわく、〈「故○○氏の妻」「○○夫人」「○○さん」などと具体的に表記し、一般的には「夫を亡くした女性」などと工夫する〉って、何の工夫もないような……。「寡婦」と言い換えよ、とは書いてなかったが、『朝日新聞の用語の手引』には書いてあるのかもしれない(そっちは買ってないので未確認)。いずれにせよ、新聞各社にはそれぞれ自社の基準とする用字用語集があるわけだ。

 たとえば前々回取り上げた職業に関する用語を『記者ハンドブック』で見てみると、「差別語、不快用語」なる節のなかに「職業(職種)など」という項があった。そこには〈女工→女性従業員〉〈潜水夫→潜水作業員〉〈百姓、農夫→農民、農家の人、農業従事者〉〈床屋→理髪業・店、理容師〉〈女中→お手伝いさん〉〈サラ金→消費者金融〉といった言い換え例とともに〈談話などで本人が意識的に使う場合はその通り引用し、なぜそのように表現するのかを文脈で明らかにする〉〈「○○屋」の形で職業・肩書を示すのは避ける。「床屋さん」「魚屋さん」など愛称的な表現は使用してもよいが文脈に注意する〉といった注釈が。また〈「建設作業員までして」など生活に苦労したことを「○○までして」とする表現は○○に該当する職業の軽視に受け取られるので避ける〉との注釈もある。

 言いたいことはわかるし、共同通信社の社員が『記者ハンドブック』に、朝日新聞社の社員が『朝日新聞の用語の手引』に従うのは理解できる。それがその会社のルールだから。しかし、社外の人間の署名原稿にまで、それを無理やり適用するのはいかがなものか。
 そして、もうひとつ不思議なのは、共同通信社や朝日新聞社と縁もゆかりもない出版社・校閲までが『記者ハンドブック』や『朝日新聞の用語の手引』に盲信的(これもNGワードか?)に従おうとすることだ。
 繰り返すが、それぞれの用字用語集は、その会社が自社の基準として定めたものにすぎない。それを他社の人間が使うこと自体がまずおかしい。ましてや「『記者ハンドブック』に〈使わない〉と書いてあるから使っちゃダメ」「『記者ハンドブック』に示されている表記じゃなきゃダメ」なんてのは思考停止っつーか何つーか、極めて無責任な態度と言わざるをえまい。

 もちろん、ある程度の基準は必要なので、参考として利用することまでは否定しない。しかし、最終的には出版社ごと、編集部ごとに自分たちの頭で考えた基準を作るのが筋で、こうした用字用語集を金科玉条のように扱うのは怠慢以外の何物でもないだろう。
 別に差別用語的なものだけの話じゃなく漢字の使い方ひとつにしても、用字用語集に出ている表記は文科省の諮問機関である国語審議会が勝手に決めた「常用漢字表」に準じているだけで、民間人がそんなものに従う義理はないのである(かといって、あんまり難しい漢字を多用すると逆に頭悪く見えるので要注意)。

 アマゾンで検索してみたら、冒頭で挙げたもの以外に、講談社校閲局編『日本語の正しい表記と用語の辞典』(講談社)というのもあった。このタイトルを見て思い出すのは、いしいひさいち描く『ののちゃん』の藤原先生の言葉である。
〈わざわざ正しいって言わなくちゃならないのは たいして正しくないからね〉

(※当記事は「季刊レポ」が発行していたメルマガ「メルレポ」2012年7~9月配信分を再構成して掲載しています)


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