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読書メモ:倫理の経済学 第2章「われわれはみんなもっと貯蓄すべきだ」

変人/偏人ブキャナンを読む。
FIREを選択することの外部不経済。あなたが感じる「後ろめたさ」は正しい!
ジェームズ・M・ブキャナン/ 訳者:小畑二郎(有斐閣 1997年2月初版)

「われわれはみんなもっと貯蓄すべきだ」貯蓄倫理の経済学

 「もっと貯蓄すべきだ」との命題は、「現在」(本書は1994年に出版)においては一般に受け入れられやすいが、「もっと働くべきだ」よりも分析的に支持されることは難しい、とブキャナンは指摘している。この背景としては、80年代の米国では経常収支の悪化に見舞わられていたが、この時点ではすでに、その重要な原因が米国の国内要因にあることは広く認識されていた。すなわち投資超過/貯蓄不足と財政赤字である。

 しかし、ブキャナンはそうしたマクロ的な議論とは距離を置き、あくまでも個人選択の厚生分析に基づき貯蓄率の低さを問題であるとする。同様にケインジアンの影響、すなわち貯蓄を支出の削減とみなし、「貯蓄/倹約のパラドックス」に伴ういわゆる合成の誤謬の発生原因とするなどの問題認識も、誤った議論として排除している。すなわち貯蓄は、経済の循環的な所得フローから単純に購買力を撤退させるのではない。貯蓄された資金は資本材を購入する人々や企業に利用されることになるである。そして資本財は、生産過程に投入され、コストを上回る剰余を生み出す。つまり貯蓄を選択した個人が消費財に支出する資金を引き上げて貯蓄することで、貯蓄された資金は投資に環流し、投資が生み出す剰余分だけ将来の経済の規模を拡大する。貯蓄を選択した個人の観点からは、消費を断念して貯蓄を選択した期間に対する収益を併せて、貯蓄から回収された資金は市場に再び投入され消費財あるいは資本財への増額された支出となるのである。

 このように貯蓄を選択することには明らかに経済的外部性が存在する。ところが、貯蓄の選択を内部化する貯蓄倫理については、労働倫理よりも深刻な侵食が進んでいるとブキャナンは憂慮する。貯蓄倫理を侵食する原因としては、①ケインジアンによる貯蓄に対する誤った問題認識(「需要」としての消費を奨励)、②借入を容易にする金融サービスによる支出の前倒し(マイナスの貯蓄を促す)、③福祉―移転国家によるセーフティネットの提供(万一の場合への備えとしての貯蓄の必要性を減じる)、④70年台におけるインフレーションの経験、などである。この中でも③の福祉―移転国家の存在による影響は強くかつ持続的であり、貯蓄倫理の復活は容易ではないと考えられる。そこで貯蓄倫理復活の代替として、この章で説明されたような貯蓄選択における経済的相互依存に関する理解を深めることが重要だ、とブキャナンは指摘する。


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