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令和6年/2024年 新年の所感と目標

今年は喪中だったこともあり、松が明けるまでは投稿を控えていました。

新年の抱負とか目標は、そろそろ飽きてきた気もするんだけど、何も定めないと何もしなくなってしまう気もするので、例年通り書いてゆくことにするが、その前に、昨年の目標と結果を振り返りたい:

(1)  読書: 年間200冊
(2)  映画: 月1本
(3)  食べる: 月に一度は美味しいものを食べたい
(4)  友達と会う: 今年は意識して機会を増やしたい
(5)  旅をする: 近場でも海外でも、色々なところ、行ったことのない場所に足を運びたい
(6)  語学の勉強: フランス語、英語、イタリア語
(7)  息子と過ごす
(8)  アウトプット:エッセイの継続と、読書、映画、食べることのレビュー

(1)  読書
目標200冊に対して507冊読めた。一昨年の実績が411冊だったので、100冊近く上積みしたことになる。
(2)  映画
目標12本に対して29本観られた。劇場には全く足を運ばず、専ら自室や出張先で配信やDVDを楽しむだけだったけれど、邦画・洋画ともいろいろ観られた。
(3)  食べる
目標12回はほぼ達成できたと思う。海外出張の機会もあって現地の食事も楽しめた。
(4)  友達と会う
目標の数値は特に定めていなかったけれど、ほぼ毎月誰かに会えた。2023年はコロナ明けということもあり、遠方に住む恩師や友達に会いに行くことも出来た。
(5)  旅をする
これは仕事の関係もありかなり達成できた。国内唯一の寝台特急になってしまったサンライズ出雲に乗ることもできた。
(6)  語学の勉強
フランス語は、母校のOB向け講座に引き続き出席。秋から学校での対面講義が復活。
英語は、息子の勉強の面倒をみながら自分も学習する時期もあったんだけれども途中で断念してしまい、それ以降は特に意識しての勉強はしなかった。
イタリア語は、図書館で単語集を借りて勉強したりしたんだけど、あまり頭に入らなかった。10月から、NHKのテレビ講座の新シリーズが始まったので、少しずつ追いかけて学んでいる
(7)  息子と過ごす
中3になった息子は、反抗期という言葉では収まらないような問題が少しずつ顕在化して、親としてはどうしたものかと思っていたけれど、高校進学(中高一貫校なので現在の学校の成績に左右される)も無事決まってひと安心。
(8)  アウトプット
2022年から続けていた、1話800字のエッセイを3月まで続けたけれど、そこで燃え尽きてしまって後が続かなかった。
また、体調不良に襲われたこともあり、毎月の振り返りは中断せざるをえなくなった。

さて………
中途半端に終わってしまったことも多かった2023年を繰り返さないように、今年は、以下の目標をだらけずに達成したいと思う:

(1)  読書
欲張らず、例年通り年間200冊を目標にする
(2)  映画
昨年同様、月1本は観る時間を取りたい。後述の語学の勉強とも関連するんだけど、外国語の活きた表現を学ぶ為にも洋画を積極的に観たい
(3)  食べる
昨年と同じく、月に一度は意識して美味しいものを食べたい
(4)  友達と会う
月イチは機会をつくりたい
(5)  旅をする
近場でも海外でも、色々なところ、行ったことのない場所に足を運びたい
(6)  語学の勉強
フランス語、英語、イタリア語を引き続き勉強する。イタリア語は、現職の本社にイタリア人がいるので、機械翻訳無しで彼とコミュニケーションを取れることを目標にしたい
(7)  息子と過ごす
僕が高校生の頃に、自分の親父とどんな関わり合いがあったかあまり覚えていないけれど、息子と対話する時間は今年も意識してつくりたい
(8)  アウトプット
今年こそは月イチのコラムと書評を書いてゆきたい
(9)  クイックアクション
僕は小さな頃から初動が遅くなることがあって、今は発達障害って便利な言葉があるけど、しっかりすべきところでもたつくことが少なくなかった。今はそれを自覚できるし、極力その欠点は減らしたいと思っているので、今年は、こういう素早い動きができてよかったという点を意識して行動したい。そしてその成果を月次で振り返りたい

昨年「今年はともかくも昨年よりも良い年にしたい」述べたことは概ね達成できたと思う。

僕は良くも悪しくも独立独歩なので
「お前の意思なんてどうだっていいんだ!俺の言うことにだけ従え!」
というようなやり方にはどうしても馴染めないんだけど、いまの会社ではそういうことは皆無だし、交友関係も、むかしはお互いに尖っていても今は話ができる友達がむしろ増えてきたかなと思っている。

多様性が大事とか、自由とか開放とか言ってみせながら、実は他人を自分の流儀に押し込めたいだけ、自分の支配欲の道具にしたいだけ、みたいな人種に出会ってしまったこともあるけれど、そういう人たちの思考には、自己に相対する他者が、少なくとも同列にはいないんだろうと思う。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」
と何回訊いてみても、鏡が映したことがあるのが自分しかいなかったら1位は常に同じだろうけど、その結果を根拠に自分が世界最高の美人だと言い張って、赤の他人にお前は大したことないんだと強要して見下してみせても、相手は鼻白むだけ、だよね。

かつて僕は、
「ミズノ君は上から目線だ!」
(そのアンタの発言こそ超絶上に立ってるじゃん)
「ミズノ君はすぐ決めつける!」
(って超絶決めつけてるのはアンタじゃん)
と、それぞれ別の時期に別の異性から罵られたことがあって、括弧内の僕の内心は口には出さずに黙ってはいたんだけど、黙っていると何も伝わらないのも事実だし、さりとて、ぜんぶ言ってしまったらますます相手をイキリ立たせるだけ。

メンドクチャイ人種との対話は減らすしかないのかなと考える一方で、自分には分からないものがたくさんあるという自覚は常に必要なんだろう。

僕はこの歳で何者にもなっていないし、今後何かで名を成すこともないと思うけれど、他者をどう尊重したらよいのかはいつも考えていたいし、それだけに、他者から尊重されない、悪く思われる原因、即ち自分の欠点や悪いところは日々改めてゆかねばならないんだろう。

さて、今年はどんな1年になりますか



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