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大峯千日回峰行(せんにちかいほうぎょう) を成し遂げた 塩沼亮潤大阿闍梨のお話 

昨日、素敵な講演会に参加しました。
大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)を収められた 塩沼亮潤大阿闍梨にお話を伺う機会があったのです。

千日回峰行 :by Globis )


私は、仏教に関して素人です。

しかし大阿闍梨は、そのような無知な私にもとてもわかりやすくお話をしてくださりました。メモを取れないほど、お話に夢中になってしまいましたので、昨日の記憶を頼りに箇条書きにしたいと思います。本当に素晴らしいお話でした。


無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)

大阿闍梨がされたお話の中で、私の心に残った言葉です。

大阿闍梨は、心の中の空白、と表現されていたかと思います(間違っていたらごめんなさい)。人は手にしているものを失っていくことに抵抗を感じる。しかし、失ってみると、そこに新たに入ってくるものがある。新たな視点を見つけ、豊かに過ごすことができる…といったお話だったと思います。

私は自分では気が付かないものも含めて、きっと多くのものを失ってきたんじゃないかなと思っています。でも、失ってみてから、そこで新しく見つけるものがある。私自身、失ってみて初めて、あらたな可能性を見つけてきたような気がします。そう思ってみたら、失うことすら、豊かに感じられました。

教育は”タイト目”が良い

とても面白いと思いました。教育は少し厳しめが良いということです。

千日の修行は、人生の縮図のようなもの、と表現されていたように思います。人生の辛さを味わいながら、そこで気づきを得られることをおっしゃったと思いましたが、、、それにしても1000日の修行内容が過酷なので、タイトどころの話ではないですよね。

それでも、何にも縛られない教育よりは、少しスパイスの効いたやり方の方が良いという点に、私は気づきをいただきました。

1000日の修行が人生の縮図であるなら、人生そのものが修行のようなものではないか、とも思えます。

私が感じたのは、人々は人生の中で、大峯千日回峰行を成し解けられた大阿闍梨(のわずか一部の経験)の追体験をしているのではないか、ということでした。ゆっくりと時間を掛けて。

全ての人間が日々、様々なことを考え、命を全うします。
生きていれば、”身体が辛い”、”人間関係が大変”、”経済的に苦しい”など、様々な気持ちが心に渦巻きます。

大阿闍梨の言葉に救われるのは、私たちの体験が、大阿闍梨が過酷な修行の中で得たことと重なるからではないかと感じました。

好きになれない人を受け入れる

大阿闍梨は「山の中では、一木一草は互いに争わない。しかし、どうして人間は争うのか」とお話されていました。

大阿闍梨は、「(自分は)お坊さんであるのだから、どのような人とも良好な関係でなくてはならない(と考えていた)」とおっしゃいました。人の好き・嫌いがあっては良くないと。

そこで、どうしても好きになれない方のことを「⚪︎⚪︎%は許せる(もしくは好きになれる)」などと、考えたことがあるそうです。

私にも少し経験があって、「嫌いじゃダメなんだよね」と考えて、⚪︎⚪︎%は許せるな、と考えながら、それを最後100%許せるところまで持っていったことがあります。

最初は苦労しますし時間はかかりますけれど、一度100%許せるところまで行くと、そこからは全然違う世界が広がるのです。その相手が親族であれば、一層この上ない幸せが心に広がります。

大阿闍梨は、20代前半で過酷な修行に入られました。そこで1日48kmの山道を歩きながら、人の間(人間)の悟りを求めておられました。


最後に

お話をしている大阿闍梨は、常に柔和な雰囲気を保たれていらしゃいました。しかし、修行のお話をされていたとき、ほんの少しだけ視線が厳しくなられた瞬間がありました。

修行を終えられてからもう何年も経過していますが、大阿闍梨の脳裏には当時の修行の記憶がよぎったのかもしれません。

以前よりも言語化ができるようになった」ともおっしゃっていました。

”修行中に感じ取られたことは、言語化しにくいものであった”ということかと思います。修行から時を経て、よりわかりやすく私たちにお伝えくださろうとしてくださることに心より感銘を受けました。

「修行は、(自分のためだけではなく、他の)人々を救うものだ」とおっしゃっていたかと思います。

(大阿闍梨は千日回峰行を終えたのち、)『四無行』さらに、一切の食物、水を断ち、眠らず、横にならず、これを貫くこと9日間、堂にこもり真言を唱え続ける「四無行」に挑む

【大峯千日回峰行】1300年に2人だけの達成者、命がけの苦行から塩沼亮潤大阿闍梨が学んだ3つのこと

大阿闍梨は四無行に入られる時、「感謝しかなかった」と仰いました。
それまでサポートしてくださった方々などへの感謝の気持ちが込み上げてきたそうです。一切の食べ物、水を口にせず、かつ眠らない、横にならない、壮絶な修行に挑む前なのに、です。

過酷な修行を終えた大阿闍梨は、私たちに様々な悟りをお伝えくださいました。そのことに心から感謝しています。

大阿闍梨は、「(ご恩返しは)まだまだこれからです」とおっしゃっていました。そして、これからも自らを磨き上げる努力を続ける旨をお話されていました。


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