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コンピュータと土、あるいは私と私。

たしか二十年くらい前に養老孟司さんの対談本で読んだと思うのだけど、朝、目を覚ました人間が「私は昨晩眠りについた "あの" 私だ」と、自我の連続性みたいなものを保持するメカニズムは驚異的なもの(というか、理屈がよくわかっていない)らしい。

シャットダウンとスリープ。
僕が、使い終わるたびにコンピュータの電源を毎回シャットダウンしていたのは、まだMacがプリエンプティブ・マルチタスク(ってわかりますか)を手に入れる前のことだ。何年前だろう。僕の人生の長さを地質時代で喩えるならば、それはちょうどジュラ紀から三畳紀に移り変わるタイミングと呼応する。きっとあなたは今、「本来の表現よりも喩え話の方がわかりにくい事って本当にあるんだな」と感心しただろうけれど。

最初に買ったボンダイブルーのiMac(Rev.B)は、「コンピュータってこんなに愛着が持てるものだったんだな」と僕を静かに感動させたけれど、定期的にシャットダウンしないとメモリが枯渇して不安定になる傾向があった。ハードディスクは4GB。そう、メモリじゃなくてハードディスクが。

記憶媒体といえばSSDやUSBメモリの事だと思いこんでいる諸君に教えてあげると、あの頃はデータ書き込みの都度、コンピュータの内部に配置されたすり鉢状の陶器に、曜日ごとに最適なチームに編成されたこびとたちが懸命に溝を掘ることで情報を記録する「ハードディスク」という媒体が主流だった。やはり土の品質が決め手となるから、岐阜県産のものが重宝されていたわけだ。

というところまで書いて眠りに落ち、一晩が過ぎて読み返してみると、やっぱり「この文章を書いたのは、まぁ "この" 僕だろうね」と思い至る。「最初から最後まで、なんの話をしているのかわからない」という実感が、今もありありと手の中にあるから。


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