日本と細部

例えば日系と欧米系のホテル・チェーンを比べると、日系のホテルはどこか垢抜けない。それは高級ホテルかどうかではなく、同じ価格帯のホテルを比べてもその差がある。おそらく建設費は大差ないのに結果が違うのは、日系チェーンが2つのことを軽視しているからだと思う。

一つはカラースキームやデザインの力を軽視していること。真っ白にしてみたり、奇抜な色にしてみたり、素人発想のものが多く、何色を使えば、そして何色と組み合わせれば、どんなイメージになるか、というプロの目を入れることを怠っている。

そして、素材感を軽視している。神は細部に宿るというが、ちょっとした素材のこだわりを欠き、合成素材の壁紙やプラスチックを使い、どこかアンバランスなチープ感が生まれていることに気づいていない。

そして、2つじゃなくなってしまうが、余計な張り紙やポスターが台無しにしていることに気づいていないことも多い。

元々日本は細部のこだわりに強かったはずなのに、その感性はどこに行ってしまったのだろう。きっと生まれながらにして、化学素材や、派手な看板や、空を覆う電線や、アイドルグループの世界観に囲まれて育ったおかげで、繊細な感覚が失われてしまったのだと思う。

歌舞伎や文楽にしても、谷崎潤一郎や杉本博司が指摘しているように、本来は暗闇の中にうっすら浮かぶはずの色たちが、眩い光を当てられて過剰さだけが残り、それを伝統だと言って有り難がっている。そういった過剰さが正当とされていることにも、影響を受けているのかもしれない。

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