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好きになる努力をしなければならない時点で、それはもう嫌いだということ

今回は陰謀論などは関係のないネタなので、興味のない人はスルーしてください。

前回、怪しげな陰謀論に傾倒する外国人のパートナーと別れた話を書いたけれど、そもそも、コロナ禍も含め外国で暮らすこと自体に疲れてきていたので、彼との別れは、日本に永久的に帰国する良い機会になったと言えるかもしれない。

長い間、海外で暮らしてきた私は「いつかきっとこの国を好きになれはずだ」と思い続けてきたのだが、10年以上経過しても、結局好きになれなかった。

そもそも、「好きになる努力」をしなければいけない時点で、それはもう「好きではない」、はっきり言うと「嫌い」ということだ。

でも何だか、自分の気持ちに正直になれたみたいで、ある種の清々しさを感じている。

今までの私は、彼に合わせることで精いっぱいで、自分の気持ちを蔑ろにしていた。

嫌なものは嫌だし、好きになる努力なんてしなくてもいい。我慢し続けるより、「嫌だ」とはっきり言ってしまうほうが、ずっと健康的だ。

これからの人生は、もっと自分のことを大切にして、生きていきたい。


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